2013年12月21日

校花は魔性の間諜か?平和の女神か?

スヌーピー展.jpgスヌーピー展にいってみた。

人、多すぎ!入場料が2000円もするにもかかわらず。

以前、こういう企画が大盛況となるのって世界の中で日本だけなのだろうな、って思っていたけど、未だにそうなんだぁ、と、そんなことに感心した。

スヌーピー展
2014年1月5日まで。
森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ)にて。




さて、新刊「上海エイレーネー」のご紹介の続きを。
名刺用カバー4.jpg
以下帯の文言から借用すれば、

キャッチコピーは、
校花(キャンパスの花)は魔性の間諜か?平和の女神か?

本作を一言でいえば、
美人スパイ、鄭蘋如をモデルとして、太平洋戦争前夜の上海の特務工作戦と日中和平工作秘史を描く歴史ドキュメント小説」。

あらすじは、また明日。
(もったいぶているわけではなくて、どうもブログで長い文章を書く忍耐力がなくて……)

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posted by osono at 17:11 | Comment(0) | 著作

2013年12月20日

「上海エイレーネー」2014年1月18日発刊!

とてつもなく久しぶりの記事投稿となってしまった。

なぜにかくも間隔があいてしまったのか。

その理由は……新刊がでなかったから。

僕がブログを書く動機は極めて不純なので、宣伝すべきものがなかったので書かなかったんだ。

そんな僕が突如ブログを復活して、今日からしばらく毎日書き続けようと思っているのは、ついに新刊がでるからなんである!

発行日は来月18日。

タイトルは「上海エイレーネー」

原稿用紙換算約900枚。結構長い……から結構大変だった。執筆期間が8か月。その後しばらく原稿を眠らせて、校正に4か月。計ほぼ1年を要してしまった。

あぁ。疲れた。

本の内容などは、また明日。



posted by osono at 21:45 | Comment(0) | 著作

2013年04月05日

夕刊フジで紹介いただいた

(既に一週間以上前のことだけど)
夕刊フジで「カレンシーウォー」を紹介いただいた。
記事はこちらと同文
まあマーケット参加者は昨今の暴れ馬のように激しい上下動を繰り返す相場に乗るのに手いっぱいで、僕の本など読む時間はないとはおもうけど、なにはともあれ紹介いただいたのは実に嬉しかった。
posted by osono at 02:44 | Comment(0) | 著作

2013年02月16日

紹介記事が掲載された

拙著「カレンシー・ウォー」の紹介記事が、J−CAST、biglobe、infoseekなどに一斉に掲載された。
(例えばこちら)

うれしい。

でも、アマゾンが一瞬で在庫切れになってしまった。

読んでみようか、と思っていただいた方を逃してしまったに違いない。

あぁ。残念。
(来週早々には在庫が補充されるはず)


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posted by osono at 03:37 | Comment(0) | 著作

2012年12月31日

鑑真について書きたい


常々「かっこいい男」について書きたいと思っているのだが、藤田君から「それならば鑑真なんてどうか」との指南をもらった。

確かに不屈の人、鑑真はかっこいい。

鑑真で書けるだろうか、と思い、すぐにアマゾンで2冊注文した。

「鑑真」東野治之著 (岩波新書)
「天平の甍」井上靖著 (新潮文庫)

後者はベストセラーでもあり、長く中国に携わってきたわりにまだ読んでいなかったことは恥ずかしいことなのかもしれない。


失明してまでも六度の日本渡航を試み、最後には成功するという壮大な物語があり、
想像を絶する渡航の困難、密告者の存在、重要な登場人物の死など、アクション・シーンや心に訴えるシーンも織り込め、
ちょうど時代が重なる玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスも絡められるかもしれず、
さらに、昨今日中関係がギクシャクする中で、日中の交流のために尽力した人々を描くことで、社会に対するメッセージも自然に書くことができる。


小説の題材としては理想的ともいえるのだが、2冊の本を読んでみて思ったのは、
「生半可な知識では手を出せない」
ということ。

多数の資料にあたって歴史背景を詳細に調べるということは、歴史モノを書こうとするならばあたりまえのことであって、それがいかに大変そうであっても萎縮してはおられないが、問題は、このテーマで書くのであれば仏教についての深い理解が必要であろうということ。仏教を思想として理解するだけではなく、仏教の制度をもよくわかっていなければ書けそうにない。

ちなみに井上靖氏は京都帝国大学文学部哲学科の卒業で、また、天平の甍の前に同時代の仏教モノ「僧行賀の涙」を手掛けておられる。

鑑真は最初の渡航失敗から10年を経てようやく日本にたどり着いた。

鑑真について書くのであれば、どうやら10年くらいをかけてじっくりと取り組まなくてはならなそうである。
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posted by osono at 18:37 | Comment(0) | 著作

2012年12月22日

坂だらけの重慶

「カレンシー・ウォー 小説・日中通貨戦争」では重慶市内の様子が数度登場する。

例えば
 重慶はどこへ行っても坂ばかりで、華北平原の中に位置する北京や長江デルタに都市が建設された上海とは違い、人力車を主要交通手段とするにはおよそふさわしくない土地である。
 しかしここでは、市内のどこへ行くにも人力車だ。
 自動車もあるにはあるが、ごく一部の政府高官による使用に限られている。インフレーションはモノとモノとの間の相対価格を根本から変えてしまったが、中でも最も高くなったのが燃料であり、他方で最も安くなったのは人の汗である。

 道路わきには露天商が並んでいる。売り手は叫ぶようにして道行く人の足を止めようとし、足を止められたほうは威勢よく値切っている。離れたところからは喧嘩をしているようにしか見えないが、近くで見れば両者のやり取りは何やら楽しげでもある。
 天秤棒の両端に、野菜やら、小動物やら、一見しただけでは何の物体なのかわからないものを提げた人々が忙しく往来している。天秤棒や籠が活躍しているのは、この街が通りから一歩入ればどこもかしこも階段だらけだからである。

などなど。

とはいえ、重慶には過去に一度訪れただけであり、その時には市内を見て歩かなかったので、これらの記述ももろもろ文献を見ながら想像で描いた。

改めて見てみた重慶は想像以上に坂だらけだった。

長江と嘉陵江に囲まれた市中心部分は、川岸は断崖絶壁と言ってもいいほど。中央部分も平坦な部分はめったになく、右へ歩いても左へ歩いても坂。こんなところで人力車が主要な移動手段だったなんて、およそバカげている。空からの攻撃ができない時代は、まったく難攻不落の天然の要塞都市だ。
cq2.jpg
ホテルの部屋から見た市中心部。霧で辛うじて見える程度なのがまた幻想的


 大使館のゲートを出た時、眼下に長江が見えた。
 ここへ来る時に乗ってきた人力車の車夫がゲートのすぐ横に座って休んでいる。車夫はヤングが出てきたのを見て立ち上がったが、ヤングは掌を軽く見せて断った。
 そして通りを横切り、コーヒーの入ったグラスにミルクを溶いたような長江へと続く長い階段を降り始めた。

というシーンもあるのだが、当時のアメリカ大使館の所在地(現地下鉄1号線両路口站そば)から歩いて数分のところに、このシーンにイメージぴったりの階段もあった。
cq1.jpg
階段を下から撮った写真。このシーンでは上から下に歩いていくのだが、上から撮った写真はステップが見えずよくわからないので


市中心部から長江を隔てて南側に宿をとってしまったので、市中心部へ行くのがやっかいだった。空車のタクシーはなかなか来ないし、地下鉄まで歩くには遠すぎる。長江沿いの路上で待つこと十数分でようやくタクシーをつかまえることができた。

ところが朝天門のそばを歩いていたら長江南岸へのロープウェイがあった。ロープウェイ降り場からホテルまでは歩いて15分ほどだった。
cq3.jpg
段階絶壁を一気に下り、長江を飛び越えて対岸に着く



posted by osono at 20:46 | Comment(0) | 著作

2012年12月20日

重慶抗戦遺址博物館へ(2)

蒋介石ら国民政府幹部たちの山間の疎開先、すなわち現在「重慶抗戦遺址博物館」と呼ばれている場所は、「カレンシー・ウォー
小説・日中通貨戦争」のいくつかの舞台のうちの一つである。

「1939年 重慶」の章では、

アーサー・ニコルス・ヤングの乗った車は、重慶市の東郊外の緑深い山間に入っていった。この曲がりくねった上り坂にさしかかると、ヤングはいつも、出口のない迷路に迷い込んでいくような感じがするのだった。

この道の先に、木々の間に隠れるように国民政府の中枢がある。いや、隠れるように、ではなく、まさに隠れるために政府はこの山奥に移ってきた。

四本の太い柱に支えられた重厚なゲートをくぐり、林の中に通された細い道を抜けると、霧に覆われた木々の中に十数棟の瀟洒な戸建てが点在する場所に出る。

ヤングの目には、この濃い霧に包まれた邸宅群が雲上の宮廷にしか見えないのだった。


等々の記述がある。

実を言うと、この場所を見ずにこれらを描いた。全くの想像で描いた。

グーグルの航空写真を見て風景を大まかにイメージし、ウェブ上に載っている写真を片っ端から見てそのイメージを固めた。そして当時の重慶について触れている古い文献を見てイメージを補強した。

しかし想像だけで描いているのでかなり不安で、実際に見て確認したかったのだが、尖閣問題の発生のために渡航を取りやめ、結局確認できずに出版に至ってしまった。

で、事後になってしまったけれども、その検証をしたのである。

検証の結果は……

我ながら、なかなか悪くない、と思った。それをちゃんと模写できたかどうかは文章力の問題であって、イメージはほぼちゃんとできていたようだ。

重慶抗戦遺址博物館へは、曲がりくねった道を延々と上っていく。路線バスが遅いせいもあるが、行けども行けども目的地に着かず、次第に高度が高くなり霧が深まっていく様は、まさに迷宮に迷い込んでいくかのようであった。

ようやくたどり着いた重慶抗戦遺址博物館は改修中で閉鎖されていたのだけれども、チケット売場にいたオバちゃんに「わざわざ遠くから来たのだから」と頼み込んでみた。

オバちゃんは、「建物には入れないわよ」と言いつつ、ゲートの中に入ることを許してくれた。

ゲートを抜けると、写真のとおり

深い霧に覆われた細い道が林の奥へと続いていた。
003s.jpg

それを抜けた先にはテニスコート二面程度の広場があって、広場を中心にして林の中にパラパラと戸建てが散らばっていた。霧のかかり具合、頬が引き締まる程度には冷たくそれでいて寒さを感じさせない気温、木々の間に二階建ての建物が見え隠れする様、各建物へと続く小道の曲がり方など、あたかも早朝の北軽井沢か蓼科の別荘地の中に立っているような感覚だった。
005s.jpg
宋美齢邸のバルコニー。ここにチェアを出してくつろぐ彼女を想像した


一方でイメージと少し違ったのは、各建物がそんなに大きくはないということ。宋美齢や孔祥熙などが豪邸に住んでいた様を想像したのだが、実際に見ると、高級ゴルフ・リゾートを取り巻く大きめの別荘、という程度の大きさだった。宋美齢が空軍の、孔祥熙が財政部の会議のためにも自分の家を使い、蒋介石邸は首相官邸としての機能も有していたことを思うと、むしろ狭いと言っていい規模の建物であった。

民衆が苦しむ中で贅沢をする国民党幹部、という雰囲気で描いたのだが、多分に共産党の宣伝に影響されていたかもしれない。

蒋介石邸が山の頂にあったということも、僕のイメージとは少なからず異なっていた。まるで天守閣のように、他の邸宅を見下ろすような位置である。作中では孔祥熙邸が最も大きいものとして描いたのだが、見たところ蒋介石邸のほうが、少なくとも床面積はずいぶんと広いように見えた。
006s.jpg
孔祥熙邸。孔祥熙と妻の靄齢はすぐに別の場所に引っ越し、そののちは娘の令俊がここに居住した


孔祥熙や宋子文が、その業績の割に中国での評価が低く、そのために日本であまり名前が知られていないという状況を憂い、そういった人たちに正当な評価を与えたいと思っているのだが、やはり共産党の評価に影響されているのかもしれない。

蒋介石邸へと続く霧の中の長い階段を見上げながら、物書きとしてこんなことではいけない、と大いに反省したのだった。

posted by osono at 00:55 | Comment(0) | 著作

2012年12月16日

チムシャーツイから香港島を望むシーン

香港でのランチについて希望はあるか、と訊いていただいたので、ずうずうしくも「チムシャーツイで香港島を一望できる店を」とリクエストさせていただいた。

店はチムシャーツイのiSquare(国際広場、ネイザンロード63号)29階、阿一海景飯店。リクエストどおりのすばらしい景観のレストランで飲茶をいただいた。

それで、このリクエストの理由は、「カレンシーウォー 小説日中通貨戦争」の中で、イギリスの財務官、エドマンド ホール=パッチがペニンシュラの最上階の部屋で香港島を眺めながら独白する場面があり、その模写を正しく書いたかどうか確認しておきたかったから。

その場面というのは、

南からの海風を抱くように、ザ・ペニンシュラは「コ」の字型に建っている。エドマンド・レオ・ホール=パッチは、その南東端最上階の部屋の窓辺に立ち、太陽光線をきらきらと反射しているビクトリア・ハーバーの上を忙しそうに行き来するフェリーを飽きることなく眺めていた。

眼下のフェリーが向かう先の香港島は、海面から背中を覗かせる巨大な動物のようである。

1841年にイギリス海軍がこの島を占領したとき、バラン・ロック、すなわち不毛の岩山と呼んだと言うが、それは嘘か見間違いに違いない、とホール =パッチは思った。山肌は緑で覆われ、広い庭園を有する白亜の邸宅が斜面一帯に広がっている。

香港には太陽があり、海があり、山があり、緑がある

という書き出しで続いていく。

店からとった写真がこちら下矢印2
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それから、スターフェリーの乗り場の横で撮った写真がこちら下矢印2
004s.jpg


posted by osono at 19:53 | Comment(0) | 著作

2012年12月02日

カレンシー・ウォー 小説・日中通貨戦争出来!


「カレンシー・ウォー 小説・日中通貨戦争」

12月16日発売開始です。
現在予約購入いただけます。
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本作品は僕にとって初めて世に出す長編小説ですが、実はこの作品の前に既に書き終わり、現在文学賞の結果待ちの小説があり、さらに現在執筆中の小説とあわせて、近代日中関係史についての三部作となる予定です。

背景となる年代は、現在執筆中のものが1926年11月から1935年11月までで、最初に書きあがったものが1937年7月から1940年2月まで。そして本作が1938年2月から1942年12月までですから、本作が世に出るのは最初ですが、扱う時代としては最も遅いということになります。

日本が中国占領地域において独自の通貨を発行し、経済的挑戦をしかけていった史実に沿って物語は進行します。第一部では主人公である元大蔵官僚が、中国側通貨の法幣駆逐を目指し奔走し、第二部では主人公がイギリス財務官とアメリカ人の中国国民政府顧問に「エコノミストの力で戦争終結を早めよう」と誘われ、その発案にのり暗躍を始めます。

歴史の話や為替レートなど数字の話が多いので、中国近代史に興味がなく、かつ日経新聞なんて読まないというかたには少々読みにくいかもしれません。しかし中国近代史と経済のいずれかに興味があるかたには楽しんでいただけると思いますし、中国の歴史を扱った小説と経済小説のいずれも好きだというかたには、自分で言うのもなんですが、本当におすすめの小説です。

あらすじなど、関連情報はこちらをご覧ください



posted by osono at 00:23 | Comment(0) | 著作