2017年10月31日

近代中国の通貨制度

拙著『カレンシー・レボリューション』の原稿を校正しているとき、1920年代の中国通貨制度についての記述をバサっと落とした。物語が冗長になってしまうと思ったためなのだけれども、結構調べたのに捨ててしまうには惜しい気もするので、それをもとにして、近代中国通貨制度についてまとめて以下に記しておく。

1920年ころの中国では、銀貨、銅貨、紙幣が並行して使用され、そのうえ銀貨には両と圓、二種類の系統があり、紙幣は中央政府、地方政府、各種金融機関がほとんど規制を受けずに発行していた。

1.銀貨

(1)銀両

両は本来重さの単位であり、1両は同じく重さの単位である1斤の16分の1(現代の中国においては1両は1斤の10分の1)で、グラム換算では約37.3グラム。通貨の単位として両を使う場合、例えば、ある物品が約37.3グラムの銀塊と等価値である場合にその物品の金額は1両となる。すなわち銀両は「秤量貨幣」(ひょうりょうかへい。使用する際に重さや品質をはかって用いる貨幣)の単位。

取引に使用される銀塊は馬蹄形のものが一般的で、「銀錠」、「元寶」、欧米人には「sycee(細絲)」、日本人には「馬蹄銀」などと呼ばれた。

鋳造は中央政府ではなく、多数の民間業者によって行われていたので、形状も重量も品位(銀の含有量)も様々だった。清代においては、その最後の十数年間を除いて、銀両が本位通貨の地位にあったが、形状が携帯に適さず、品位にばらつきがあり、計量や計算に手間がかかる等の欠陥があった。

(2)銀圓

銀圓は「計数貨幣」(けいすうかへい。一定の重さと品質を持ち、使用の際に個数を数えるだけで用いることができる貨幣)の単位。1圓銀貨は一般的に「大洋」と呼ばれた。

大航海時代以降、ヨーロッパと中国の経済交流が深まるにつれ、海外の銀貨が中国に流入し、それらは銀錠と同様に秤量貨幣として使用された。外国銀貨は銀錠と異なり円形で使用しやすいこともあり、複数種類のものが普及したが、なかでも広く使用されたのが8レアル銀貨だった。8レアル銀貨は16世紀にスペインが、その植民地であり銀産国であるメキシコで鋳造を開始したもので、国際貿易において広く使用され、中国にも大量に流入していた。

清末に至り、自国鋳造の円形銀貨を発行すべきとの上奏が相次ぎ、1887年、両広総督(広東・広西両省の民政・軍政を統括する地方長官)張之洞の上奏が聴許され、「光緒元寶」が発行された。8レアル銀貨1枚が0.72両と等価だったので、光緒元寶1枚も0.72両となるよう鋳造された。すなわち1圓は0.72両と等価だった。その後、他の地方政府も銀貨発行を続々と手掛けるのだが、いずれも表面に光緒元寶と刻まれ1圓0.72両のレートが踏襲されたものの、各地でばらばらに鋳造がなされたため重量や品位にばらつきがあり、流通には計量が必要なときもあり、計数貨幣としての機能を完全に有しているとは言えなかった。

辛亥革命後の1914年、袁世凱政権下で「国弊条例」が定められ、ようやく形状・重量・品位の均一な銀貨が発行されることとなった(国弊条例で定められた計算方法によれば、1圓は純銀約23.98グラムと等価となる)。統一銀貨は広範に流通するようになり、本位通貨の地位も銀両から銀圓に移っていくが、契約書の建値や振替決済による取引などにおいて引き続き銀両も使われた。


(3)角

圓銀貨は一般的に「大洋」と呼ばれたが、それに対して少額銀貨は「小洋」と呼ばれた。単位は角である。張之洞は圓銀貨と同様に光緒元寶と表記した角銀貨を鋳造・発行した。

国弊条例のもとでは1角、2角、5角の3種が発行された。本来角は圓の10分の1を示す通貨単位だが、大洋の銀含有率が90%前後であったのに対し、小洋の銀含有率は70%程度と大きく品位が劣ったので、やがて1角は0.1圓以下の価値となり、圓と角との間で交換レートが建てられるようになった。つまり圓と角とは本位通貨と補助通貨の関係というより、あたかも異なる通貨間の関係のようになってしまうのである。

2.銅貨

以上は銀系の通貨だが、銅貨も広く流通していた。一般的に「制銭」と呼ばれる銅貨の単位は「文」で、1000文が1両に相当するとされた。清末になり制銭が不足がちとなり、円形無孔の新銅貨、「光緒通寶」が発行された。その表面には当初は100枚が1圓に相当する旨が刻まれ、銀圓の100分の1の価値の補助通貨であることが明示されたが、のちには、1枚は制銭10文に相当すると刻まれるようになり、銀圓の補助通貨という位置づけが曖昧になってしまった。銀貨と同様に各地方政府がばらばらに鋳造したため品質は一定しておらず、また、需給に従って銀圓との相対価格は大きく変動した。

3.紙幣

紙幣の状況も鋳貨に劣らず複雑である。

(1)外国銀行による紙幣発行

1850年前後より外国銀行の進出が相次いだが、これら外国銀行が活発に紙幣の発行を行った。外国銀行は治外法権の地位を有しているので、本国政府の監督に服するものの、中国の政府により規制されることなく勝手に紙幣を発行したのである。銀両建てで発行するものもあれば銀圓建てで発行するものもあり、その両方を発行する銀行もあった。それらのほとんどは銀系通貨だが、日本統治下の朝鮮の中央銀行である朝鮮銀行が発行した紙幣は金兌換券であった。その背景には、日本が中国東北地方への経済進出を深めていく中で、銀系紙幣よりも、日本円と同じ金系紙幣のほうが使い勝手がよかったいいということがある。

(2)民族系銀行による紙幣発行

1900年代に入ると、外国銀行に倣って民族系の商業銀行が相次いで設立され、それぞれが銀行券を発行した。また、伝統的な金融機関も発券を行うようになる。清朝が倒れ、ようやく紙幣発券規制が開始されるが、関連法令はほとんど順守されなかった。

(3)公的機関による紙幣発行

公的機関による紙幣発行については、各地方政府による発券が1900年前後より積極的に行われるようになった。各地方政府の発券機関は省銀行または官銀號などと呼ばれ、銀両建て、銀圓建て等各種紙幣を発行した。1904年には清政府が半額出資する戸部銀行が設立され、銀両建てと銀圓建ての紙幣が発行された。すなわち近代以降における中央政府による初めての紙幣発行である。戸部銀行は1908年に大清銀行と改称され、発行量を増やしていく。また清政府は1908年に交通銀行を設立し、銀圓建て紙幣を発行させた。辛亥革命後、大清銀行は中国銀行に改組され、交通銀行とともに発券業務が続けられるが、両行ともに兌換を義務付けられておらず、発行準備についての規制もなく、またそもそも、両行の銀行券発行の主目的は財政需要を賄うことにあったので、必然的に紙幣が乱発されるに至った。中央・地方政府発行の紙幣は、銀行券というよりも、財政資金調達のための、政府証券というべきものであった。

4.総括すると

以上のように、宋子文が広州の中央銀行行長に就任した1920年代半ばの時点では、中国の通貨制度は極めて乱雑な状態にあった。物価安定のために通貨発行量をコントロールするようなことはできず、各通貨間での両替にかかる手間は国民経済に大きな負担をかけていた。清朝は通貨制度が経済の根幹を成すなどという考えは全くもっていなかった。制度の整備を図ろうという意思はほとんどなく、通貨の発行は、それをやりたいものが勝手にやればいいというのが基本的な姿勢だったのである。通貨制度の混乱は、清朝が倒れて十数年が経っても大して改善されなかった。

複雑な当時の政治経済情勢や、その後の中国幣制改革についてさらに知りたいかたは、拙著『小説集 カレンシー・レボリューション』をぜひご一読いただきたい。

posted by osono at 00:00 | 中国経済

2015年04月26日

上海極楽湯の奇跡

image.jpg

上海東大OB会さんのアレンジで、一橋・東大・京大三学共同の勉強会があるというので参加してみた。お勉強するのは上海極楽湯の成功の秘訣。場所は先ごろオープンした上海極楽湯2号店で、以前から行ってみたかったので「これは是非!」と思った。

いやいや、すいごいすごいとは聞いていたけど、本当にすごいんだ。冬季の週末ともなると入場に2時間待ちとなるほどの大人気なのだとか。4月になって気温の上昇とともに客が減ったそうだが館内は満員だった。オープンしたてということもあるかもしれないけれど、風呂もトイレも床暖付きの床もピッカピカ。

日本本社から派遣され1号店の立ち上げも手がけた方から伺った話は驚きも少なくなかった。例えば、日本式サービスの提供を徹底しているとのこと。日本企業がサービス業や中国で売る製造業で中国に進出する場合、日本式に多少の中華風アレンジを加えることが成功の鍵だと思っていた。以前書いたビジネス書でもそんなことを書いたのに、極楽湯は日本式を徹底することで成功しているようだ。従業員のお辞儀の角度まで決めているんだって。それに、上海極楽湯の立地は一号店が浦東金橋で、先ごろオープンした二号店が祁连山南路、つまりどちらも上海のドいなか。上海においてサービス業で成功するためには立地が極めて大事であり、中国側パートナーなどのいいなりになって悪い立地で出店したりするとひどい目にあう、みたいなことも以前書いたのに、それも覆されてしまっている。

極楽湯はJASDAQに上場しているようなので、ならばさっそく株を買わなくっちゃ、と思い調べてみると2014年3月決算は赤字で2015年3月期3四半期も赤字。当3四半期決算をセグメント別に見ると日本が 約1.5億円の赤字で上海が約0.75億円の黒字。日本で大きな赤字を出し、しかしながら新規の上海事業はその赤字額の半分ほどにもなる黒字を出した、という状態のようだ。う〜む。いっそのこと日本の数十店舗を全部閉じて海外事業に特化しちゃえば、と言いたくなるような決算内容。買いなのかどうか、ちと悩む。
posted by osono at 23:04 | 中国経済

2015年02月04日

中国の銀行でセカンドIDの登録が必須となったと言われた件

image.jpgつい先日のこと。

中国のシティバンクのインターネット・バンキングが使えなくなっていた。

上海和平飯店1階の支店で訊いてみると、昨年より必要となったセカンドIDの登録がなされていないので口座が凍結されている、との由。

セカンドIDとは我々外国人の場合はパスポート以外の身分証明書のこと。駐在員ならば居留証や免許証があればそれを登録できるだろう。でも僕のような出張者や旅行者の場合はどうすればいいのか。中国国内で通用するIDでなければ不可だそうで、つまりは日本の免許証や健康保険証とかではダメなのだ。

支店の受付君、
「国際免許証はもっていますか?」
「もっているけど、日本においてきたよ」
「じゃあ次に中国に来る時にもってきてください」
「でも、国際免許証って中国では使えないよ。それでもいいの?」
「あっ、そうか。じゃあだめです」

でも、自分の口座のお金をおろせないなんてことがあっていいはずはない。このままでは国際紛争に発展する、と思いつつ粘ってみると、
「じゃあ、ホテルで「この人は当ホテルに宿泊しています」と書いてもらって、それに印鑑をもらって持ってきてください」
とのことだった。

「めんどくせぇ」と思いつつも文句は言わず、ホテルに帰って「境外人員臨時住宿登記単」なるものをもらって支店に戻る。

その後30分ほど待たされて、
「明日午後から口座は復活するでしょう」
と、受付君。それじゃあ今日中にキャッシュが手に入らないじゃないか、と大いに不満だったけれども、ぐっと堪えて支店を出て、次の太陽が昇るのをジッと待った。

しかし翌日。口座は凍ったままだった。正午を過ぎても溶けない。14時が過ぎてもキンキンに凍っている。

15時まで待って支店に行った。

待つ。待つ。待つ。

30分ほどした頃、女子行員に「オソノサン?コニチハ」と声を掛けられた。前日に店頭で長いことトラブっていたので名を覚えたのだろう。キャワイイ。目がクリクリしている。沈んだ気持ちが一瞬晴れた。

さらに待たされる。。。

15分して再びクリクリおめめの女子行員が現れた。彼女は僕がいつまでも待たされているのを見て、状況をあちこちに問い合わせてくれた。

どうやら本店のバックオフィスが「境外人員臨時住宿登記単」に公安の印章がないから手続きできないと言っているらしい。

それはあんまりだと思い俯くと、彼女は「一緒に公安に行きましょう」と、輝く笑顔で言った。

外は雨。彼女は傘を持っていなかった。公安まで10分ほどの相合い傘。ド、ドキドキした。

公安に着き彼女が受付のおばちゃんに印鑑を押してほしいと頼むと、受付おばちゃんは「その紙に印は不要。絶対に不要」ときっぱりと言った。

彼女は申し訳なさそうな顔をして僕に謝り、「支店に戻って交渉します」と言って帰っていった。

その日の夜は宴会があったのだけど、僕は終始なんだか不機嫌だった。最終的にはなんとかなると思ってはいるのだけれども、少ないとは言えない額の資産が消えることを想像すれば誰であっても気分は沈む。

翌朝10時頃。シティバンクから電話があり、口座が復活したと告げられた。

僕は電話を切ってすぐに「ヤッタ」と声を上げた。

ただすぐに、ホテルの滞在期間が終わればIDの有効期限切れということで再び口座を止められるかもしれない、と思い、再び気分が沈んだ。

しばらくしてクリクリおめめの女子行員から
「口座が復活したそうです」
とのショートメッセージが届いた。

僕は、手を尽くしてくれたことのお礼に続け、
「また会えるといいね。と言っても、またトラブルに遭いたいと思っているわけではないけどね。HaHa」
と書いて返信した。

(ところでHSBCでは問題なくお金をおろせている。どういうことなんだろう、と思うけれども、HSBCで訊いたら「じゃあセカンドIDを登録して」と言われそうで、怖くて訊けない)
posted by osono at 22:34 | Comment(0) | 中国経済

2014年05月27日

人民元から外貨(香港ドル)への転換

円安・人民元高傾向が止まり、また昨今のきな臭い日中関係もあって、手持ちの人民元を外貨に換えたいと思っている人って結構いるんじゃなかろうか。

で、今回華南滞在中にいろいろやってみたので、自分自身の覚えのためもあって(かつ、こういう話題って結構検索で引っかかるので)、以下書き留めておこうと思う。

ちなみにこの日の香港ドル対人民元レートの仲値は1.2427程度だった。

まずマカオの銀行で人民元を香港ドルに両替。レートは1.2408で、それに加えてその両替を行った銀行に口座を持っていない場合は50ドルの手数料がかかり、さらに6000ドル以上を交換する場合は20ドルほどの手数料がかかるとのことだった。20,000人民元を交換して手元に返ってきたのは24,748.35ドル。つまり実質的なレートは1.2374で、仲値とのスプレッドはたったの0.43%!

街の両替屋さんを覗いてみるとレートは1.23だった。仲値とのスプレッドは1.02%。円のトラベラーズ・チェックを米ドルに換える場合と同じくらい。円と米ドルのキャッシュを交換する場合に比べればずいぶんいい。

カジノのキャッシャーでのレートは1.17931。仲値とのスプレッドは5.1%。も、ものすごく悪い!

カジノ内のATMで引き出してみると1.2178だった。仲値とのスプレッドは2%。

香港行きフェリーターミナルの両替店では1.2323だった。仲値とのスプレッドは0.84%。意外に悪くない。

香港にわたり、上水のHSBCにて。レートは1.2276だった。仲値とのスプレッドは約1.22%。マカオの銀行で両替する場合よりも悪いので驚いた。20,000元両替し返ってきたのは24,552ドル。マカオの銀行での両替よりも196ドル、約2500円も少ない。すごく損した気分。

翌日、ひょっとしてHSBCのレートが悪いのかと思い、九龍塘の東亜銀行でレートを訊いてみると1.2387との由。続けて同じショッピングモールの階違いのHSBCに行って訊いてみるとそちらも1.2387だった。ということは、昨日の上水HSBCでのレートはなんだったのだろう。テラーが頼りないオッサンだったので、なんらかの手違いだろうか?九龍塘HSBCでの仲値とのスプレッドは約0.32%。いろいろやってみた中ではこれが一番よかったことになる。ただ、香港HSBCには口座があり、そのために別途の手数料がかからなかったのかもしれない。つまりひょっとしたら人民元から香港ドルへの両替はマカオでするほうが香港でするよりも得なのかもしれない。

ちなみにマカオでは一日に20,000人民元までしか両替をしてはいけないらしい(年間の両替金額制限はないようだ)。香港では、香港居住者でなければ、いったんキャッシュを人民元口座に放り込み、それを外貨に両替すれば、交換金額に上限はないらしい(香港居住者の場合は一日20,000元までだとか)。

なお、人民元キャッシュの国外持ち出しには一回20,000元までという制限がある。「マカオへは持ち出し制限がない」なんて書いてあるウェブサイトがあったが、それはウソ。珠海からマカオへの出国で時々摘発されているようだ。

Google


posted by osono at 23:06 | Comment(0) | 中国経済

2012年12月15日

ビックマック指数の続き

久しぶりに広州に来たので、以前やっていた物価の定点観測の続きを。

ビッグマック:16元
ハンバーガー:6.5元
チーズバーガー:8元

ちなみに過去は

2010年6月27日
ビッグマック:14元
ハンバーガー:5.5元
チーズバーガー:6元

2010年9月3日
ビッグマック:15元
ハンバーガー:6元
チーズバーガー:6.5元

商品によってバラツキがあるが、ビッグマックは年率で5%ほど上昇したと言っていいかな。

一時に比べれば物価上昇はかなり落ち着いている。

ちなみに日本のビックマック320円で算出すると、

1元=20円

やや改善したものの、ビックマックの比価で考えると、実際の円元レートはまだまだかなりの円高人民元安である。
posted by osono at 17:36 | Comment(0) | 中国経済

2012年12月08日

法幣の対ドル・対ポンド・レートの推移

法幣、すなわち国民政府(蒋介石政権)の通貨の、対ドルおよび対ポンド為替レートをグラフにしてみた。

(クリックして拡大してご覧ください)
forexrate.gif


(1)法幣は1935年11月の幣制改革によって生まれた。以降1937年7月の日中戦争勃発までの間、法幣の対ドル・対ポンドレートはほとんど全く動かなかった。1935年の幣制改革まで銀本位制下にあった中国の通貨は銀の国際価格に弄ばれ極めて不安定だったが、法幣は誕生直後から大地にしっかりと根を張っていた。

(2)日中戦争勃発後も、約半年間法幣レートは安定していた。この時期、国民政府は中国銀行等を通じて積極的に為替介入を行いレートを支えていた。

(3)しかし1938年4月。対外支払い準備が危なくなってきた国民政府は為替介入を停止し外貨割当へ政策変更を行った。その直後からレートは急落する。

(4)レートの下落がインフレーションの進行よりも大きすぎたためか、1938年夏ごろに下落は止まり、それから約一年間、レートの安定期に入る。

(5)ところが1939年6月の日本軍による天津英仏租界封鎖を機に法幣不安が高まり、あわせて法幣防衛のためにイギリスとの共同で設立された法幣安定基金が底をついてしまい、法幣は暴落する。

(6)もはや法幣は死んだかと思われた法幣は、ドイツ軍のポーランド侵攻、すなわち第二次世界大戦の勃発によって九死に一生を得る。欧州へ逃げていた資金が中国に還流し、また、海上輸送が困難になることにより輸入の減少が予想され、法幣が一気に買い戻された。

(7)レートは、1940年初にかけて持ち直したあと、それ以降法幣のインフレーション進行に並行して徐々に安くなっていった。

もっと詳しく知りたいかたは↓
posted by osono at 01:50 | Comment(0) | 中国経済

2012年12月03日

1937〜1945年上海・重慶インフレ推移

日中戦争が始まった1937年7月から終戦の1945年8月までの上海および重慶の物価上昇率の推移をグラフにしてみた。

このグラフは、1941年12月を100としている。

1941年12月をもって上海租界は日本の統治下に入るので、それまでは、上海・重慶ともに法幣経済下にあり、グラフは法幣の二地点における物価上昇率を示していることになる。1941年12月以降は上海は日本の占領下にあるので、上海と重慶のグラフは、それぞれ日本と蒋介石政権下の物価上昇を示していると言うことができる。

グラフをみると……
(↓クリックして拡大してご覧ください)

inflation.gif

(1)日中開戦から約二年間は、戦時下でありながらも、上海においては物価が安定していたことがわかる。一方重慶では物価上昇がみられるが、これは、1938年の国民政府の重慶への移動にともなって重慶の人口が増え、物資不足が発生したためと考えていいだろう。

(2)日本軍天津英仏租界封鎖(1939年6月)の頃から上海・重慶ともに顕著な物価上昇がみられるようになった。1939年9月に法幣の四つの発券銀行の発券業務を統合的に管理する連合弁事処が設置され、同時に法幣発行準備に国債が含められるようになった。連合弁事処の設置は、発行準備に国債を含めるにあたっての管理強化を目的としたものだが、それが却って法幣の増発を容易にしてしまったものと考えられる。

(3)日本軍による軍事費の現地借入の開始(1943年4月)より、上海の、すなわち日本軍占領地域の物価上昇が加速し、1944年には「ハイパーインフレーション」と言っていい状態に陥っていく。

もっと詳しく知りたいかたは↓


posted by osono at 18:26 | Comment(0) | 中国経済

2010年11月04日

来年初の元高圧力

前回の記事から時間がたってしまったが、物価の話を続けて。

先月下旬、中国の預金金利が引き上げられた。
「やれやれ、やっとか」
と思った人も少なくないはず。

日本の預金金利に比べれば高いけれども、中国の預金金利はインフレ率をかなり下回っており、定期預金にしていてもお金の価値はどんどん減価していってしまう。今回の預金金利引き上げによっても、公表物価上昇率さえも上回ることにはならないけれども、一度引き上げられた預金金利は今後も上昇していくことも期待され、銀行預金をもっている人にとっては、何はともあれ喜ばしいことではある。

その預金金利引き上げについて、日経は一面でとりあげ、「為替政策批判に考慮か」というようなことを書いていたけれども、そんなこたあない。為替高を狙って金利を引き上げるのは、為替レートが原則自由に変動する国についてのこと。中国の金利引き上げは純粋に国内をにらんでのものであって、為替レートを高めたいのであれば介入額を減らせばいいだけ。

で、マクロ経済の教科書には「固定相場制においては金融政策は無効」と書いてある。実質固定相場制下にある中国での金利引き上げは、資本を呼び寄せることとなり、それに介入に応じるから市中にマネーを出すこととなるので、結局金利引き上げの効果は消えてなくなってしまう。理論的には。

「資本を呼び寄せる」といえば。。。

年末が近づいている。外貨から人民元への両替は年間5万ドルまでに制限されているけれども、今年は人民元高期待が強かったので、この両替枠を早々に使い終わってしまっている人が相当にいるはず。人民元は対日本円では安くなってしまっているものの、ドルや香港ドルに対してはこの一年でかなり強くなっている(このページでグラフ表示してみれば一目瞭然!)。この両替制限は暦年ベースなので、来年1月には外貨から人民元への両替ニーズが一気にでて、人民元上昇圧力と、それに対する介入によるインフレ圧力が強まるに違いない。
posted by osono at 00:00 | 中国経済

2010年10月23日

中国の消費者物価上昇率は43%?

中国の消費者物価上昇率が3%ちょっとなんて、とても信じられないと思っている人はおおいんじゃないだろうか。

鉄道だって、レストランだって、ゴルフ場だって毎年値段がどんどん上がっている。流通機構の整備・効率化によってモノの価格は安定しているのかもしれない。でも、我々外国人にとって影響の大きいサービスの価格は、体感では年率10%くらいで上がっているような。

で、ふと物価上昇を実証しようと思い立ち、“ビッグマック指数”を記録してみることにした。

観測地点:広州中信広場1階マクドナルド

2010年6月27日
ビッグマック:14元
ハンバーガー:5.5元
チーズバーガー:6元

2010年9月3日
ビッグマック:15元
ハンバーガー:6元
チーズバーガー:6.5元

わずか2カ月強で、ビッグマックは1元上昇。年率に直せば、なんと約43%高くなった!(もちろん2カ月間のサンプルではあまり意味はないけど)

ちなみに東京では、ビッグマック320円、ハンバーガー100円、チーズバーガー120円であった。すなわち、ビッグマックで算出した為替レートは

1元=21.3円

実際の為替レートが1元12.1円程度なので、ビッグマックで考えれば、現在の日本円は異常に高い、ということになる。

さらについでにアメリカでのビッグマックの価格3.73ドルで計算すると、

1ドル=85.8円

実際の為替レートに近い。

ということは、「元に対して円が異常に高い」というより「円に対して元が異常に安い」というほうが適切かもしれない。

(もちろん為替レートを購買力平価で論じることにあまり意味はないけど)
posted by osono at 00:00 | 中国経済

2010年05月12日

カード決済とレート

完全に読者を意識しないブログに成り下がってしまったが。。。


クレジットカード決済の損得メモ

使用カード VISA
使用日 4/23
利用額 2626元
引落額 36915円
適用レート 14.058
当日の公定レート 13.689
かい離率 2.70%

使用カード AMEX
使用日 4/26
利用額 932元
引落額 13121円
適用レート 14.078
当日の公定レート 13.794
かい離率 2.06%


2%以上かぁ。切り上げが遠のいた今や、HSBCで中国に送金して、両替してキャシュで払ったほうが得だ。
posted by osono at 00:00 | 中国経済