2017年01月11日

悪徳企業から子供をまもらなくちゃ (3)

僕が戦隊ヒーロー/ライダーを嫌う理由はほかにもあって、玩具会社の販売のしかたが強引すぎるということ。テレビと映画を駆使して子供が関連製品を買いたくなるようにしむける。テレビや映画にあわせてオモチャが売られるというよりも、オモチャの販売のためにテレビや映画がつくられるというような感じ。

戦隊ヒーロー/ライダーだけでなく、妖怪ウォッチもポケモンもカミワザ・ワンダも同じ。オモチャやゲームを売るために番組がつくられているようにみえる。

子供の生育に役立つオモチャならまだいいのだけど、テレビや映画の主人公が身につけるアイテムのオモチャは音や光が出るだけのものばかりで、子供の創造性を育てることもない。あまりに単純なオモチャなので子供は数回遊べば厭きてしまう。でも、次から次へと関連商品が出る。そのうえ毎年毎年同じような内容の新作が作られて、同じような商品が販売される。どんどんゴミが増えていく。もったいない。

番組の製作者が子供のことを第一に考える人ならばこんなテレビ番組はつくらないはず。利益第一、子供第二と考えている人が番組を手がけるとしても、オモチャを売ることが目的でさえなければこんな番組はきっとつくらない。

日曜朝のテレビ朝日、日本の将来のためにも消えてなくなればいいのに。




posted by osono at 23:46 | おかしいと思うこと

2016年12月28日

悪徳企業から子供を守らなくちゃ (2)

image.jpeg子供の興味は目まぐるしく変わる。季節ごとに変わるといってもいい。息子の興味は今年の夏はベイブレードに夢中だった。朝起きても、夕方幼稚園から帰ってきてもベイブレード。週末は朝、昼、晩。ところが秋になるとベイブレードは下火になり、今度はポケモン・ガオーレに夢中になった。

前回書いたとおり、いま息子がはまっているポケモン・ガオーレにはかなり問題があると思っているのだけれども、ベイブレードの前にブームだった戦隊ヒーローやライダーからはさらに遠ざかってくれたことにはホッとした。

僕は戦隊ヒーロー/ライダーが乱暴な大人を作ってしまうのではないかとけっこう本気で心配している。戦隊ヒーロー/ライダーには殴る・蹴るシーンがあまりに多い。子供はすぐまねをする。見始めてすぐに息子は僕のことを殴り蹴るようになった。基本的にはじゃれている程度であり痛くもないので「まあいいか」と思っていたのだけれども、彼がなにかで怒ったときに、僕の鼻をゲンコツで殴ったときは、さすがに「これはいかん」と思った。対象が僕に限られるのならばまだいいが、妻のこともときどき蹴るし、バーバをぶったときにはさすがに叱りつけた。幼稚園で友達を殴るのではないかと心配している。

考えてみれば僕は人を殴ったことは一度もない。テレビではしょっちゅう誰かが誰かを殴るシーンがあるけれども、たいていの人は生涯で一度も人を殴らないのではないかな。殴らなければならない状況におちいることもない。それなのに戦隊ヒーロー/ライダーは殴る蹴るだらけで、それを見た子供は確実に影響される。戦隊ヒーロー/ライダーを見続けた子供は将来暴力的になるのではないかと心配するのだけど、考えすぎかなぁ。

そういえば、ディズニー・チャンネルでは人を殴ったり蹴ったりするシーンは非常に少ない(昨年放送が始まったドラえもんでジャイアンがのび太を殴る程度かな)。敵を爆破したり殺戮するするシーンは見たことがない。オーストラリアで息子が見る子供向けの放送でも暴力シーンは見かけない。国が規制しているのか、それとも製作者が自粛しているのかはわからないけれども、暴力シーンを垂れ流す日本のテレビは特異なのではなかろうか。

「子供番組の暴力シーンを規制せよ」と主張したならば、「日本はアニメ大国。日本の強い産業をつぶしたいのか」とか批判されそうだけれども、他国が規制し、または自粛して作成しない暴力的アニメを売りつけ儲けているのだとすれば、180年前にイギリスが阿片を中国に売って儲けていたのと似ているような気がするのだけれども。

posted by osono at 23:09 | おかしいと思うこと

2016年12月06日

悪徳企業から子供を守らなくちゃ(1)

ここ数日DeNAのキュレーションサイトが問題になっている。DeNAといえば、数年前にはコンプリートガチャの問題があった(あのときはグリーがめだっていたけれども、DeNAやバンダイもコンプリートガチャをやっていた)。いずれも企業が利益を追求するあまりに社会に損害を与えたという事例なのだけれども、同様の観点から昨今僕が問題だなぁと思っているのが『ポケモンガオーレ』。

ポケモンガオーレはポケモンを捕まえるアーケードゲーム。主に玩具店に設置されており、ゲームの内容は単純で、おそらく5歳から8歳くらいの子供を対象としている。

このゲーム。結構お金がかかる。

まずプレーを始めるのに100円。

ポケモンとバトルをし、捕まえたあと、ポケモンをディスクにして排出するのに100円かかる。

ここでやめてもいいのだが、子供たちはやめられない。ポケモンが雄叫びをあげ、新たなポケモンを呼ぶのだ。
持ってないポケモンが現れれば当然欲しくなるので、100円を追加投入してバトルをし、さらに100円を入れてディスクを排出する。

でもまだ終わらず、ポケモンが再び雄叫びをあげて次のポケモンを呼ぶ。子供はまたまた100円を投入してバトルをして、もう100円を入れてディスク排出。

計600円也。

もちろんバトルを1回でやめ、ディスクにしなければ100円で済むのだけれども、子供たちはディスクを集めたくてプレーしているのだし、レアポケモン(レアポケモンをもっていると次回以降のバトルで有利に戦うことができる)は何度もプレーしなければゲットできないので、とても100円では我慢できない。子供の心理を巧みについて100円玉を吸い上げていく仕組みになっている。

それ自体では何の価値もないカード(ディスク)を集めさせ、それを繰り返すうちに偶然に特別なもの(レアポケモン)を得られる仕組みで消費者の射幸心を煽って利益をあげる、というのは、まさにコンプリートガチャと同じ。絵合わせ行為ではないので景品表示法違反とはならないのだろうけれども、法が守ろうとしている消費者の利益は損なわれている。それに、コンプリートガチャの場合、被害を受けたのはティーンエイジャーが主だったけれども、ポケモンガオーレの場合は5〜8歳くらいの幼児を対象としているので一層悪い。

自分の子供が6歳になり、営利追求ばかりを考えるために子供相手にあくどい商売をする企業が目につくようになってきた。ポケモンガオーレ以外にも問題だと思っているものがあるので、それらについてもいずれ書かなくちゃいけない。

IMG_2091.JPG

写真は本文とは関係なくて、東京都水の科学館。
無料なのに結構おもしろくてためになった

posted by osono at 01:15 | おかしいと思うこと

2015年02月25日

昨今の“インバウンド”ブームを見ていて思うこと

ここ半年ほど、株式マーケットは「インバウンド」祭り。ラオックスやドンキホーテ、象印など中国人観光客の爆買い関連銘柄から始まり、日本空港ビルディングや京成電鉄など交通関連や帝国ホテルなど宿泊関連等々、次から次へと銘柄が発掘され、買い漁られている。

まあ20年近く日本と中国の間を往復してきた人間としては「いつかは必ずそうなる」と思っていたことであり、むしろ「思っていたよりもずいぶんと遅かった」という印象なのだけれども、一方で、昨今のお祭り騒ぎを見ていると、なんだか不安にもなってくる。

20年の間に見て、聞いて、その結果身体に染み付いたことはいくつかあるけれども、そのうちのひとつが、日本と中国とは定期的に必ず疎遠になる、ということ。政治・外交上の問題だけではなく伝染病の発生なども含め、数年に一度、日本から中国へ、もしくは中国から日本への人やモノの流れに大きな影響を与える事件が発生する。日本と中国とのつながりにはいい時期と悪い時期とがあって、それが波のように繰り返される。

僕が中国にかかわった20年弱について遡っていくと、
2012年9月の尖閣国有化前後から昨年にかけての日中関係の悪化を忘れている人はいないだろうけれども、その前にも、
2008年の殺虫剤入り餃子問題があって中国からの食品輸入に対する不安がつのり、
2005年には上海他で反日デモの嵐が吹き荒れ、同年は鳥インフルエンザも猛威をふるい、
2003年前後にはSARS騒動があって中国駐在員も多くが日本に帰り、
1997年のアジア金融危機のあとは一時期ANAの東京―上海直行便もなくなった。

「親中」と「嫌中」のふたつにわけるのであれば、僕は明らかに前者だし、一年程前にはこのブログで日中関係悪化を憂う記事を頻りに書いていたのに、いま日中交流の蜜月に水を差すようなことを書くと「あまのじゃく!」と指差されてしまいそうだけれども、地震予知風に表現するならば、

――日中間の交流は、今後2〜5年以内に90%の確率で悪化する。

もっとも、その悪い時期の次にはまたまたいい時期がくるのだろう。でも、いまの株式マーケットのように、今後ずっといい時期が続くことを前提として行動するのは大変あやうい、と思う。
posted by osono at 13:41 | おかしいと思うこと

2014年10月30日

消費税。改めて細切れな引き上げを考えるべきではないの

(これまでの論議をフォローしていたわけではないのでよくわからないのだけれども……)

消費税。なぜもっと細切れに上げていくことにしなかったのだろう。

一気に3%上げれば、そりゃあ消費は歪む。ちょうどいま自宅の外壁塗装の見積もりをとっているのだけれども、3%違えば支払い金額の違いは10万を大きく超える。業者さんがどちらもずいぶんと熱心なのは、やっぱり今年4月以降の受注の落ち込みがかなり大きいためなのだろう。

いま、来年10月に予定どおり2%引き上げるかどうかが論議となっているけれども、ゼロか2、ではなくて、改めて細切れな引き上げを考えてみればいいんじゃなかろうか。

例えば、ちょっと前倒しで来年4月に0.5%、それから半年ごとに0.5%、とかね。そうすれば、1年遅れの2016年10月には2%引き上げに追いつく。で、半年ごとの0.5%引き上げをそのまま続けていく。15年間とか。

そうすれば、

*消費税導入時や今年3月のようなひどい駆け込み需要は起こらないし、

*黒田さんのインフレ目標2%は期限までの達成はどうやら難しそうだけれども、半年ごとに消費税を0.5%ずつ上げていけば、年間で1%のインフレが発生するのとほとんど同じことになるし。
(消費を遠い将来に伸ばすと消費のための支払金額が大きく増えてしまうので、耐久消費財などの高額消費については緩い前倒しの効果が出て、税率引き上げが続いている間、貯蓄の圧縮効果があり景気に対してはポジティブに働くはず。で、高齢化で日本の貯蓄が足りなくなるころまでに引き上げを終え、貯蓄を正常に戻す)

*消費税引き上げがあると、レストランがメニューを修正するコストなど、社会に負担がかかるけれども、細切れにかつ完全に定期的に上がることが決まっていれば、それに対処したメニューの書き方をすることなどで、そういったコストも小さくてすむだろうし。






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2014年09月30日

昨今の障害者関連事件に関するネット上での論調を見て思うこと

もう一ヶ月ほど前のことだが、夏の甲子園優勝校大阪桐蔭の中村誠主将が中学3年生のころに書いた作文がずいぶんと話題になっていた。

中村少年には突然障害者になった友人がおり、作文はその友人を見て学んだことを記している。一部引用すると、
友達を見て、初め「かわいそう」だと思っていました。でも一生懸命にリハビリに取り組んでいる友達の姿を見ていると、僕は「かわいそう」と思うのは良くない事だと思うようになりました。なぜかというと、人に対して「かわいそう」と思うことは、その人を見下しているように思ったからです。

この作文は複数サイトに転載され、数万から十数万もの「いいね!」を得て拡散したようだ。

僕は「いいね!」をためらった。この作文は確かにいいと思う。誰かをみて「かわいそう」という感情を抱くとき、本人にそういう自覚がなくても、そこには往々にして相手を低くみる気持ちが隠れている。そのことに中学生でありながらも気づいた中村少年の感性はすばらしい。

でも僕は「いいね!」をクリックしなかった。この作文が何十万人へと伝播していくとき、果たして中村少年の趣旨は正しく伝わるのだろうか、「「かわいそう」と思うのは良くない事だと思うようになりました」という一文を「障害者を特別扱いするべきではない」という意味だととらえる人が少なからずいるのではなかろうか、と思ったのだ。

もちろん特別扱いされたくないという障害者もいるだろうけれども、そうでない人もおり、特別扱いされることを必要としている人も確かにいる。少なくとも僕の兄はそうだった。アスペルガーの特徴として、一見しただけでは障害者であることがわかりにくい、ということがあげられる。だから兄は学校や職場で健常者と同じように扱われたのだが、そのことが兄を大いに苦しめた。「こだわりが強い」とか「暗黙のルールがわからない」といったことなどから、周りの人と仕事の進め方がどうしても異なってしまう。周囲は兄のことを自分と同じだと思っているので「どうしてそんな仕事もできないのだ」と感じてしまう。そうした感情がいじめにつながった。彼が通った複数の学校や職場のいずれにおいてもひどいいじめがあった。兄は特別扱いされることを望んでいたと思う。少なくとも周囲が兄はちょっと違った人間なんだと考えてくれさえすれば、彼の人生は全く違うものとなっていたはずだ。

中村少年の作文は「自分と人は違っていて当たり前なのだし、その他人を認めることは最も大切なことだと思います。世の中のすべての人が自分と違う他人を受け入れることこそ、差別のない社会の実現につながっていくように思います(後略)」と結んでいる。全くもって至言、というべきか。

さて、昨今精神疾患をもつ、もしくは精神疾患をもつと思われる者による事件が複数あり、そのたびにインターネット上では「精神障害者だからといって特別扱いするな」との論が多数書き込まれた。一方でそれに対する反論も少数ながらもあるようだが、後者は精神障害者もしくは精神障害者の近親者により書き込まれている場合が多いようだ。よって論が分かれるのは精神疾患に対する理解の深さの違いによるのではないかとも思われるのだが、もちろん後者の意見が絶対に正しいとは言い切れない。精神障害者およびその近親者の場合、障害者寄りに過ぎ、社会全体の利益を考えた時にはバランスを失しているということがあるかもしれない。ただ少なくとも言えるのは、前者の意見が精神疾患に対する深い理解なしに述べられているのだとすれば、それはちょっと待ってほしい、ということだ。意見を言うのではあれば精神疾患についてよく理解したうえでにしてほしく、理解をしていないのであれば、せめて黙っていてほしいと思う。







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2014年08月26日

朝日新聞の誤報問題から考えるマスメディアのありかた

もはや旬な話題ではなくなってしまった感もあるけれども、朝日新聞の誤報問題について、少し考えておきたい。

朝日新聞の国民に与えた影響について論じるのならば、同社の戦前の行いについても必ず触れなければならないと思う。

ちょっと長くなるけれども、拙著「上海エイレーネー」から抜粋したい。ラジオ局に就職した主人公の趙靄若に対して、英国外交官のエドマンド・ホール=パッチが、1937年12月の南京事件について日本の一般大衆およびマスコミがどのような態度をとったかについて語るシーンである。

「僕が憂いているのは、事件のあとの日本での反応だよ。日本の民衆は大喜びだったそうだ。東京では何十万人もの市民が街に繰り出し、ブラス・バンドを先頭に、『万歳』と歓声をあげながらの大行進となったらしい。街じゅうの電飾と市民の提灯とでインペリアル・パレスの周りは華やかな光の海となったそうだよ。陸軍が暴走して南京に雪崩れ込んだとか、悪いのは現地軍だと言っている人もいるが、日本の民衆の支持が彼らをあと押ししたんだ。それは間違いない」
 エドマンドの話しぶりは、彼にしては珍しく、ずいぶんと熱が入っている。
「とはいっても、日本の民衆に全ての罪を着せようというわけでもないよ。急成長している国は往々にしてナショナリズムが激しくなりがちだからね。問われるべきはマスメディアの罪だ。新聞は事実だけを伝えていればいいのに、いろいろと意見を書きたがる。意見を報じるのならば、まさにたった今君が言ったように、民衆にその反対の意見に触れる機会が与えられていなくてはならない。もしそれがないなら、新聞は意見など書かないほうがいい。日本国内では南京入城を美しく書いているものばかりなのだそうだよ。それでは日本人が誰も南京戦に疑問を抱かないのも無理はない」


このエドマンドの語りのうち「新聞」というのは「朝日新聞」と置き換えても構わない。当時朝日新聞は社を挙げて日本の侵略を肯定し、日本人を鼓舞する論を展開した。

エドマンドの言を要約すれば、戦争責任は日本軍だけにあるわけではない。日本の大衆の支持と熱狂が軍を動かしたという面がある。そして、日本の大衆を導いたのがマスメディアである。すなわち責任は三者ともにあって、中でも偏った報道で大衆を導いたマスメディアの罪は重い、ということであろう。

軍と大衆とマスメディア。書いた本人はエドマンドのようにマスメディアの罪が最大だと断言することはできないけれども、戦前のマスメディアの中でも先頭に立って日本人を奮い立たせた朝日新聞の罪が相当に大きかったことは間違いないと言っていいと思う。

そして現代。従軍慰安婦に関する誤報である。あちらこちらで言われているように日韓関係を壊す大きな要因となった天下の大誤報だ。A級戦犯たちは絞首刑となったが、朝日新聞は戦後も生きながらえて、再び日本国民に多大な損害を与えた。これほどの長期にわたって、かつこれほどに大きな損害を日本国民に与え続けたものは、個人・法人通じて他にはないのではあるまいか。

ところでなぜ朝日新聞は戦前と戦後でがらりと態度を変えたのか。戦前の行いの反省をして百八十度転換したのだろうか。おそらくはそうではなくて、企業利潤を追求しようとした結果なのだと思う。

戦前の朝日新聞はずっと軍国主義的であったわけではなくて、満洲事変(1931年9月)の頃までは、軍部の反発のなかでも政府の軍縮方針を指示しそれを強く後押しするなど、どちらかと言えば平和主義的・自由主義的な傾向にあった。しかしその姿勢を満洲事変勃発の頃にガラリと変える。

このあたりの事情は、どうやら発行部数の問題だったようなのだ。いわゆる大正デモクラシーの時期、リベラルな記事が大衆ウケするのでそれに合わせる記事を載せた。満洲事変勃発の前後、世論が右傾化すると、それに迎合するように朝日の記事も右傾化していったようだ。リベラルな傾向にあった朝日新聞に対して、地方の軍人会が不買運動を繰り広げたことなどもあって、発行部数維持のためには記事内容を変更しなくてはならなかったのだ。

発行部数を伸ばすためにマスメディアは大衆の空気をかぎ、その空気に合わせる編集方針を採る。ただ、他誌との競争もある中で一部でも余計に売るためには大衆の空気のさらに先をいき、それを助長するような記事を書かねばならない。その記事を読んだ大衆は空気をさらに濃厚にしてゆく。日本の世論はそのようにスパイラル的に醸されて結局極端なところにまでたどり着いてしまう。

発行部数という観点から戦後の朝日新聞の編集方針も説明し得る。戦後、リベラルを通り越してあたかも諸外国に迎合するかのような記事を載せたのも、国全体に厭戦と贖罪のムードが強く、新聞を売るためにはそうした国民感情に合わせ、さらにその一歩先をいく記事を載せるのが一番だと考えたためかもしれない。そして今回誤報を明らかにしたことも、昨今、特に第二次阿部内閣の誕生以降、国論が修正されたと感じ、それに合わせるように編集方針の変更があったからなのかもしれない。

僕は経済学バックグラウンドの人間なので、営利追求が行動原理であるということに対して理解を示さないわけではないけれども、その影響力の大きさを考えるとき、やはり新聞には営利のことを差し置いてでも、何かに流されることのない報道に務めるという意志をもってもらいたいと思うし、もしそれができないのだったら、エドマンドが言うように、自らの意見は一切書かずに、事実だけを淡々と伝えることに専念してもらいたいと思う。





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2014年07月31日

スターウッド系ホテルのサービス&アメックスのサービス

image.jpg

インターネットの重要な機能のうちのひとつがクチコミなのだから、以下の経験はぜひ書いておかなくてはならない。

7月上旬から中旬にかけてのアメリカ滞在時のこと。

その間に7つのホテルに宿泊し、うち4つはスターウッド系列のホテルに泊まった。

その4つのスターウッド系列ホテル滞在のうち、実に3つのホテルにおいて支払い関連のトラブルに遭った。それもいずれも過剰課金であった。

image.jpgまずはシェラトン・サンディエゴ・ホテル&マリーナ(Sheraton San Diego Hotel & Marina)。室内でWiFiを使いたくて、SPG(スターウッドのポイント・プログラム)のプラチナ・ステイタスの場合、通常インターネット使用料金は無料となるのだけれども、念のためにフロントに電話をして料金がかからないことを確認したうえでWiFiを使用した。そしてチェックアウト時。フロントで「伝票はあとでメールで送る」と言われたのだが「時間があるから一応プリント・アウトしてくれ」と頼み確認してみるとインターネット使用料が課金されていた。その場で抗議し、課金を取り消してもらった。

帰国後のこと。いつもはしないのだけれども、たまたまアメリカン・エクスプレスの請求内容をウェブ上で見ていると、サンフランシスコのパレス・ホテル(Palace Hotel, San Francisco)からの請求が3件載っている。ひとつは前払いした宿泊費、もうひとつは、一度夕食をルームサービスで済ませたのでそのチャージ。しかしあとひとつは何だろう?138ドルとある。支払った覚えが全くない。

不思議に思いつつ、他の請求も詳しく確認してみたところ、もうひとつおかしな請求があった。ウェスティン・ラスベガス(Westin Las Vegas Hotel)。チェックアウト時に受け取った伝票上の金額よりなぜか10ドル多い額の請求がなされている。

スターウッドには「アンバサダー・サービス」というのがあって、空港送迎やシアターのチケット手配などをしてくれる。その専属窓口の女性、Oさんに連絡をして、支払いについての確認を依頼した。Oさんはすぐに各ホテルに問い合わせをしてくれた。

翌日、ウェスティン・ラスベガスからメールで「誤って10ドルを余計に課金してしまった」との連絡があった。10ドルはアメックスの翌月分請求時に返金されることとなった。

image.jpg同様にパレス・ホテルからもすぐに連絡があるだろうと待ったのだが、連絡が来ない。Oさんによれば5営業日以内に回答せねばならないというルールがあるとのことだったが、パレス・ホテルからは5営業日を過ぎても返事がなかった。

以上のように。。。

4つのホテルに泊まって、そのうちの3つで過剰課金されたとなると、これはもうただの偶然とは思い難い。そのうえトラブル発生後に迅速かつ誠意ある対応もないとなると、アメリカのスターウッド系列ホテルの資に大きな疑問符を付けざるを得ない。まあ、アジアでは同様の思いをしたことは一度もないのでスターウッド系列全てに問題があるとはいわないけれども。

ちなみにパレス・ホテルの課金については、しょうがないのでアメックスに連絡をして「支払った覚えがない」と訴えると、いったん電話を切ったあとわずか5分ほどで折り返しの電話があり、支払い請求を取り下げる、との由であった。

アメックス、すばらしい!





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2014年06月24日

セクハラ問題の根深さ&流行りのオーサー制度の問題点

このYahooニュース個人の記事↓
セクハラ野次@都議会事件に関する一般論による解説
あまりに内容が悪く、軽く炎上もしているようなので、執筆者本人もしくは運営者によってじきに削除されるかな、と思っていたのに、未だ掲載されているようなので、ちょっと批判を書いておこうと思う。

この記事、「一般論」という言葉が何度も繰り返し使われている時点で嫌悪感を感じ、また、一読しただけでは筆者がなにを言いたいのかよくわからない。

まあそれは単に文章がヘタなのだと考えれば目くじらをたてるほどのことではないのだけれども、二度、三度と読み直してみると、書かれている内容も相当にひどいことがわかってくる。

この筆者、今回の騒動の問題の所在が全くわかっていない。

以下、ちょっと長くなってしまうけど引用すると、
国民からも”議会の品格”について改めて議論となっているのは、やはり野次で罵倒される対象が広すぎるからだと思われます。なぜなら、問題となったセクハラ野次は、当該女性議員だけでなく一般の女性や、不妊治療に悩む男女間・夫婦の悩みにも直結しているからです。広く国民一般の苦悩をも揶揄したと思われる発言では炎上しても仕方がありません。

野次というのは、誰がどう見ても正論であり、かつ本人に対してのみ効果的な文言に限定するべきだ

塩村女史に対して『結婚しろ!』と野次ることは、結婚できないことに悩む一般国民の多くに対しても罵声を浴びせることと等しく、塩村女史だけでなく一般国民をも公職にある議員が馬鹿にした、と受け取られることになります。同様に、塩村女史に対して『子供は産めないのか』と野次りますと、結婚したけれど子宝に恵まれず辛い不妊治療に挑む夫婦や、晩婚や体質の問題などで産むことができない人にも悪辣な言葉を投げつける形になるわけです。


そして、文章の後半は塩村議員に対する個人攻撃の言葉がくどくどと書かれている。個人的な恨みでもあるかのではないかと思うほど悪辣
である。こんな一節もある。
一般論ではありますが、人によっては塩村女史のことを「女性の風上にもおけないビッチだ」と思われるかもしれませんし、あるいは「男の下半身を要領よく渡り歩いてきた人間のクズ」という風に感じられることもあろうかと思います。

美貌と性を売りにして名声を博し、それを足がかりに政治の世界へ打って出た以上、本件セクハラ野次の品格の件とは別に、この塩村女史の議員としての品格、資質もまた問題にするべきではないかと思うのです。

己の美貌や男性遍歴について極めて強い自負と自信を持っていると思われる塩村女史に対して『ブス!』と野次ったところで、まったく効果がないばかりか、ブスな国民も全員そろって敵に回す品格にかける不規則発言となってしまい、野次った側にメリットがありません。一般論ではありますが、このような場合は塩村女史に対してピンポイントに効果のある、一般国民に対して嫌悪感の抱かれない正論を軸に野次る必要があるのです。上記のような経歴を持つ塩村女史が晩婚化や出産関連の都政に冠する質問をする場合に、例えば『晩婚以前に他人の家庭を壊すな不倫女!』『みんなの党は他に適任いないのか!』というようなピンポイントに正論を語る野次や、『お前が言うな!』『どの口が言うか』『自分が何してきたのかよく考えろ!』といったボカした野次のほうが、一般論ではありますが正論となり品位も保たれ世論も反発せず本人に然るべきダメージが届くのではないでしょうか。


つまりこの筆者、今回の騒動は国民一般を傷つける文言を吐いたことが問題であって、塩村議員を傷つけたこと自体は問題だとは思っていないようなんである。

おそらくこの人、いわゆるセクハラ発言がいかに相手を傷つけるか実感としてはわかっておらず、世間が騒ぐからどうやら悪いことのようだ、と思っているのではなかろうか。

「じゃあ、男であり嫁もいるおまえにわかるのか」というヤジが飛んできそうだが、我が家は「超」がつくくらいの高齢出産であり、それまでの苦労や周囲からのプレッシャーは並のものではなかった。よく年賀状に子供を含めた家族みんなで映っている写真を送ってくる人がいるけれども、そういう年賀状を受け取るたびに「はぁ〜」とため息をついたものだ。

ちなみに、名乗り出てきたという鈴木議員は子供が三人おられるようだ。筆者の山本一郎氏に子供がいるかどうかは知らないが、セクハラ問題に対する男性の無理解というのは相当に根深く、今回のような騒動は起こるのがむしろ必然だったのかもしれない。

ところで、なぜこんなひどい文章がいつまでも「Yahooニュース」として掲載されているのだろうと思いちょっと調べてみたところ、Yahooニュースはフリーランスのライターやコラムニストなどに「オーサー」となってもらい、自由に投稿してもらっているそうだ。オーサーはYahooが選抜し、直接執筆の依頼をしているらしい。

このような悪文かつ問題のある文章を書く人を選抜することも、その文章をいつまでも掲載していることも、全くもってYahooの見識を疑ってしまう。以前インターネット会社をやっていた時、自社で出すニュースがYahooニュースからリンクされるとアクセス数が激増した。Yahooニュースの威力は非常に大きく、よってこのような文章を掲載させてしまうことは危険なことでもあると思う。

(と、これを書き終えてから改めて件の文章を読み直し「一般論」の意味を考えてみた。おそらくこの筆者、無意識のうちに、主張にちょっと自信がなく批判されそうな内容を述べる時に「一般論ではありますが」と前置きをして、自分の主張があたかも世間一般がそう考える正論であるかのように見せようとしているようだ)








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2014年02月26日

真央ちゃんの会見でのすてきな笑顔を見て思うこと

世間一般オリンピックのネタにはもはや食傷気味だろうし、既に鮮度を失っている女子フィギュア・スケートの話題を蒸し返すことには抵抗もあるのだけれども、四年に一度(もしくは夏冬あわせれば二年に一度)思うことでもあるので、ちょっと考えたことについて記しておこうと思う。

いまさっきワイドショーで真央ちゃんの日本外国特派員協会での記者会見の様子を見た。まぶしいほどに晴れやかな笑顔で質問に答える彼女の姿を見て、なんだか胸のあたりが暖かくなった。

新聞かブログかなにかで、みんなが真央ちゃんの親の気分になっている、と書いてあった。確かにそうだ。苦しい時間を過ごしてきたあとの彼女の笑顔を見てホッとして、骨髄のあたりから暖かいものが湧き上がってくるこの感覚は、まさに親ならではだろう。

ただの親ではないな。愛情過多な親かもしれない。バカ親と呼ばれる範疇かもしれない。

テレビを見ていると、真央ちゃんのことを悪く思っている人が誰もいないようにみえる。アナウンサーも解説者もコメンテーターも街の人もみんな。引退云々について、みなもっと続けてほしいと思っているのだろうけれども、その発言がわずかにでも真央ちゃんのプレッシャーになることを恐れてなのか、そういおうとはしない。結果は残念だったけれども、とにもかくにも彼女が笑えていることを嬉しく思っている。ともかくしばらくはゆっくりさせてあげたい、肉体的にも精神的にも疲れた身体を休めさせてあげたい、と思っている。みんな愛情いっぱいの親なのだ。二十三歳なのだから恋もさせてあげたいとも思う。ということは、父親ではなく母親の気分なのか。

元首相にしても親のような気分だったのだろう。件の発言全文を読むと、愛情たっぷりなのに、世間に対しては自分の子について甘やかしたことをいえない親のようでもあった。

ところで、真央ちゃんが日本人だから親のような気分になっているのだろうか。おそらくそうではない。もちろん日本人選手だからこれまで日本で報道される機会が多く、ずっと注目してきたこともあって親の気分になってしまっているのだけれども、他の多くの選手、特に今大会で初めて名前を聞いたような選手に対しては全く同じような感情が湧かないのは、日本人選手であることが親の気分になる理由ではないからなのだと思う。すくなくとも十分条件ではない。葛西紀明にしても上村愛子にしても、その人の背景にあるストーリーをある程度知っているからこそ注目し、応援し、選手とともに一喜一憂する気分になったのであって、日本人選手だからというだけの理由ではないと思う。

中国でも韓国でも真央ちゃんには好意的な報道がなされているようだし、各国のフィギュア・スケートの選手たちが多数真央ちゃんに励ましの言葉を送ったとも聞いた。国を越えて親のような気分になっている人が多数いるようだ。

オリンピックの閉会式は各国選手が入り交じって入場してくるが、あれっていいなと思う。一方で、全般的にオリンピックでは国という単位が前面に出過ぎることに、いつもなんとなく不快感を抱いている。なんで国ごとのメダルの数を競う必要があるのだろうと思うし、(これを書くと批判されそうだけれども)ヘルメットや頬に日の丸を描いている選手をみると、なんだかウンザリする。とはいえ僕も日本人選手の競技ばかりをみて、日本人選手ばかりを応援するので、なんだか矛盾があるような、単に国際人、もしくは平和主義者を気取っているだけのような気もして、その不快感を扱いあぐねていた。

でも真央ちゃんの記者会見における笑顔を見て、少し整理がついたような気がした。期待したメダルが日本にはもたらされなかったけれども、もはやそんなことはどうでもよくなって、彼女が微笑んでいることだけを嬉しく思った。

どうだろう。中国や韓国で真央ちゃんに好意的な報道がなされていると聞けばなんとなく嬉しいし、ロシアの観客のロシア選手が演技するときの異常な盛り上がりを見たりとか、真央ちゃんが転倒した時に笑いが起こったという報道に触れれば嫌な感じをもったのではないだろうか。それはやっぱり国を単位とした考え方を愚かしく感じているからではないだろうか。

日本外国特派員協会でのインタビューで、「キムヨナとはライバル関係にあるが、日韓関係を改善するにはどうすればいいか」という質問があったそうだ。ああ、なんて愚かな質問だろう。対して真央ちゃんは苦笑して、何かをいう立場にはないとしたうえで、キムヨナとは友達だ、と答えた。正答!

国の境がきな臭くなっている昨今だからこそ、こんなことをつらつら思ったりしている。






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