1) 商船三井の前身の一社である大同海運が1936年6月と10月に中威輪船公司から6000トン級の順豊号および5000トン級の新太平号を1年契約で借りた(定期傭船契約)。契約は1937年に更新された。
2) 1938年8月、2隻は1938年3月に制定されたばかりの国家総動員法に基づいて海軍に戦時徴用された。
3) 1938年12月21日に「新太平」が座礁し沈没。この沈没に対しては大同海運に対して保険金が支払われた。
4) 契約は1938年中に(もしくは1939年にかけて)満了。1939年、中威輪船公司側が傭船料不払いがあるので大同海運に問い合わせたところ「戦時徴用されてしまった」と通知があった。
5) 1944年12月25日に「順豊」が連合国に雷撃され沈没。
6) 戦後、中威輪船公司オーナーの陳順通氏が2隻の沈没を知る。
7) 1964年、陳順通氏の相続人が日本政府を相手として東京簡易裁判所に調停を申し立てたが1967年不調に終わる。
8) 1970年、同じく東京地方裁判所に損害賠償請求を提訴したが東京地裁は1974年に消滅時効の成立を理由として棄却。原告は東京高等裁判所に控訴するが1976年に取り下げて、東京地裁の判決が確定。
9) 1987年初に中国の民法における時効制度が通知され、1988年末が損害賠償の提訴の期限となったため陳順通氏の相続人が1988年末に大同海運の後継会社であるナビックスライン(株)(現在の商船三井)を被告とし上海海事法院に定期傭船契約上の債務不履行等による損害賠償請求を提起。ちなみにこのときの原告側弁護団は多国籍からなる総勢56人の中国民事訴訟史上最大のものだったらしい。
2007年12月7日上海海事法院で約29.2億円の損害賠償を命ずる一審判決が出された。被告側は同判決を不服として上海市高級人民法院(第二審)に控訴。2010年8月6日、上海市高級人民法院より第一審判決を支持する第二審判決が出された。被告側は最高人民法院に本件の再審申立てを行ったが2011年1月17日に同申立てを却下する旨の決定を受けた。
これを受け、商船三井は原告側に示談交渉を働きかけていたが、2014年4月、突然所有する所有する鉄鉱石運搬船「BAOSTEEL EMOTION」の差し押さえの執行を受けた。そのため同月23日、金利分などを加えて供託金40億円を支払った。翌24日、差し押さえは解除された。
さて、本事案を考えるにあたってひとつのキィーとなるのが、本事案は日中共同声明にいう「戦争賠償」の守備範囲となるのかどうかということ。日中共同声明の
「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」
という文章は曖昧さがあるけれども、サンフランシスコ講話条約第14条(b)の
「連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」
という文言を参照にして広めに解釈すれば「中国とその国民は日本国とその国民に対して戦争賠償の請求をしない」という意味だということもでき、よって本事案が戦争賠償に当たるのならば賠償の必要はなし、という結論を導きだすこともできる。
では「戦争賠償」に当たるのかどうか。
・契約は対日本国ではなく、民間企業同士の商業契約
・契約の締結は日中戦争すら始まっていない1936年
・日本政府と商船三井(の前身の会社)との間では形式上とはいえ損害賠償がなされているはずで(戦時補償特別措置法によって戦時補償が全額なされていると思われる(同時にその額と同額の賦課がなされているので政府は1円も支払わないのだけれど))、であるならば徴用開始後も契約の流れは 中威輪船公司代表者 ←→ 大同海運 ←→ 日本政府 のままであり、中威輪船公司代表者の契約相手は大同海運であると思われること
・中国の報道によれば徴用される前の傭船料にも滞納があり、また「新太平洋」沈没については保険が支払われそれを大同海運が着服してしまったという。もしそれらが本当ならば、これらは戦争とは関係のない債務の不履行(「新太平洋」沈没は戦時徴用後のようだけれども、保険が支払われているのであれば戦争で沈んだわけではないことになる)であること、
などから考えると、これは戦争賠償の問題というよりも、商業契約上の紛争と考えたほうが妥当なように思える。
また、戦時徴用後もなにがしかの傭船料が支払われていたのではないかと思われ(これはまったくの想像。中国側報道には、逆に大同海運が海軍に対して傭船料を払っていたと書かれていた。ちょっと信じ難いけれども、何らかの理由で2隻が拿捕され没収され、それがそのまま貸し出された、なんてことはむちゃくちゃな時代だからあるのかもしれない)、それなのに中威輪船公司に傭船料が払われていなかったのであれば、ここでも大同海運は着服していたことになる。戦時徴用前の傭船料不払い、戦時徴用開始後の傭船料着服、保険金の着服はいずれもなかった可能性もあるので断言すべきではないけれども、諸々大同海運に不当なところはあったような感じがする。
40億円を支払わされた商船三井は気の毒ではあるけれども、他の戦時徴用船については自分でカネを出して買った船が戻ってこなかったのだから民間企業が広く戦争の負担をさせられたのに、2隻についてはカネを払って買っていないのだから大同海運に負担はなかったわけで、大同海運は得をした、ということもできる。そのツケの伝票が70年後にまわってきたと考えてもいいだろう。
そう考えてきて思うのは、菅官房長官の発言は勇み足だったのではないか、ということ。
菅官房長官の「日中共同声明に示された国交正常化の精神を根底から揺るがしかねない」発言は外交的失策というべきかもしれない。その発言の意図が、世間一般がそう捉えたように「戦争賠償の請求を放棄することを約束しているのに、それに反する」ということであれば、上記のとおりそれは的外れと思われるし、日本はなんでもかんでも「戦争賠償だから相手にしない」といって済まそうとする国だと国際的に思われる結果となってしまったかもしれない。むしろ官房長官は「あれは民間同士の事件だから」といって流しておいたほうが日本は合理的法治の国だと思われ、他の訴訟を有利に進めることができたように思う。かつ、あのような発言をしてしまったために中国国民に「戦争賠償であっても国対国の損害賠償請求でなければ(どちらか一方が国でなく国民であれば)中国国内裁判で勝訴すれば賠償を獲得し得る」と思わせる結果となり、他の訴訟に悪影響を及ぼす可能性もでてきたのではないか。
次から次へと訴訟が立ち上がるのが怖くて反射的に「戦争賠償の請求を放棄することを約束しているのに、それに反する」といってしまったのかもしれないが、1989年以降については中国においても時効が成立するので同様の訴訟が新規に起こされることはないはず。
菅官房長官発言が、もし単に「日中友好を損なうものだ」という意味だとしたら、子供が友達のオモチャを壊して相手の子供が怒ったときに、壊したほうの子供が「仲良くしなくっちゃいけないって先生がいっていたじゃないか」と反論したようなもの。
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