2014年03月26日

尖閣問題。いにしえの賢人はこう語った

日中関係関連の出来事があるたびに、中国はいったいなにを考えているのだろう、と思うことが少なくないけれども、それを理解するためのひとつの鍵は中国がもつ「大国意識」だと思う。

西暦1500年前後。すなわち日本は戦国時代まっただ中で中国は明朝約280年のほぼ真ん中のころ。日明貿易における日本から中国への輸出品といえば太刀、槍、ラッコの皮、胡椒、木材、銅、扇子、銚子などで、輸入品といえば生糸、北絹(絹布の一種)、緞子、金鑼(打楽器の一種)、銅銭、書籍などだった。おおまかにいえば、日本は、長く戦乱の世にあるために技術水準が高い軍事産品と扇子などの工芸特産品を除けば、一次産品を輸出し、中国からは二次産品を輸入していた。日本は発展途上国型、中国は先進国型の貿易を行っていたのである。中国からの輸入品のうち銅銭は日本経済の根幹である通貨として使用され、書籍は文化の基礎となったのだから、日本は文明をも輸入していたといえる。当時の中国は経済的にも文明的にも圧倒的な大国、日本は軍事大国ではあっても経済的、文明的には全くの小国であった。

歴史は下って、日清戦争で日本が勝利し、その後に多数の中国人留学生が日本で学び、日中戦争期では日本が中国沿海都市を占領、戦後は日本が超特急列車に乗って経済発展を成し遂げた一方で中国は共産主義という普通列車もしくは進行方向が逆の列車に乗ってしまったがために経済力の差がついた。つまり、軍事、経済、文明と分野を区切ってみれば、いずれかの分野において日本が優勢となることが過去に少なからずあった。

しかしながら、日清戦争以前の歴史があまりに長く、かつ、いつの時代であっても日本に比べて国土は広大で人口も膨大であるためだろう、中国が大国、日本が小国という意識は、少なくとも中国の側では明朝の時代からほとんど変わっていないようにみえる。中国では、差別的な意味合いをもって「小日本」という言葉がよく使われるが、「小日本」は「大中国」と対になっており、その字のとおり、「日本は所詮小国で中国はなんだかんだいっても大国だ」という意味だ。

日本が中国をみているほどには中国は日本をみていない、という人がいる。少なくとも昨今のきな臭い日中関係に陥る前で、かつ中国経済が今次の景気減速に入るまえのころはそのとおりだった。日本企業は挙って中国市場を熱い目で見つめていた。一方で中国にとっての日本はアメリカや欧州に並ぶ、投資をしてくる諸外国のうちのひとつに過ぎなかった。鉄砲伝来以降にヨーロッパとの貿易が始まるまで、日本にとって中国は最大の貿易相手国だったが、一方で中国にとっての対日貿易は、琉球、朝鮮、オイラート、ポルトガル、イスラム諸国との貿易に並ぶか、それ以下のものに過ぎなかった。自分の国が他の国に比べて小国であると考えることには抵抗感があるけれども、いまも昔も日本にとって中国は極めて大事な国で、中国にとっての日本は諸外国のうちのひとつに過ぎないと考えると、やはり中国は大国で日本は小国なのだという気にもなってくる。

自ら自国は大国であると考える中国が目指すところはなにかといえば、それは覇権国になるということかもしれない。春秋時代においては漢民族諸侯の中で覇者が生まれ、秦始皇帝以降に統一王朝が形成されるようになってからは、周辺諸国との関係において中国は覇者となった。日清戦争以降約120年間、中国は覇権を失っているが、かの国の悠久の歴史からすればごく短期間のことであり、日本のGDPを抜いたいま、再び覇者となることを目指していると考えるのが自然のようにも思える。

さて……

時は紀元前300年。諸国遊説の旅をする孟無子(もうむす)が圓の国に寄ったとき、その高名を聞いた圓の王、安晋は孟無子を招き教えを請うた。

安晋王は北面して孟無子に向かい排手して、隣国である華の国との関係について訊いた。華の生産力はさきごろ圓を凌駕し、覇を唱えるのも時の問題にもみえる。華が圓に加える圧力は日々増しており、安晋王にとって華との関係は、「安晋之混政」と呼ばれる経済政策の成功に次いで重要な政治課題であった。

「先生。覇道についてお教えください。覇者の条件とはなんでしょうか」

「斉の桓公は宰相の管仲を重用して内政改革を断行し、経済力を高め軍事力を充実させました。その名声が諸侯に伝わり、諸侯の間の関係を調整し、または諸侯を防衛する役目を担うようになりました。晋の文公も同様です。そうして斉桓・晋文は周王に代わり天下を経略しました。すなわち覇者の条件とは、会盟を主催して諸国間の諸規則を定め、諸国間に起こる紛争を仲裁し、諸国を夷狄の侵入から護り経済的危急に陥った国があればそれを救済すること、ということができましょう」

「華は覇者たろうとしているのでしょうか」

「いまはまだ早いけれども、いずれはそうなりたいと思っている。そう考えていいでしょう」

「先生は、覇者は諸国間で起こる紛争を仲裁するとおっしゃいました。しかし華は争いごとを仕掛けてきているようにみえます。わが国と華との間の海に海鳥しか住まない島があります。われわれはその島を万閣と呼んでいます。圓は万閣はわが国固有の領土であると説いているのですが、華はそれを聞き入れようとしません」

「王がいくら法や判例などに拠って理をもって説得をしようとしても、華はそれに納得することは決してないでしょう。覇者にとっては夷狄により定められた法に従うことは本意ではないのです。覇者は、自らが主催する会盟の場で定められた規則で諸事を決するべきだと考えます」

安晋王は眉を顰めている。王の苦悩は深い。数日前に人民に人気の芝居、「富士可笑」に出演した時にみせた微笑みはどこにもない。

「先生。華は軍備を拡張しています。万閣周辺にも出没しています。剣を交えることにならないかと心配でなりません」

「覇者の使命のひとつは圧倒的な武力を背景にして諸国間の紛争を仲裁することです。すなわち紛争の解決手段として武力を使うことはあり得るといわざるを得ないでしょう」

安晋王は深いため息をついた。

孟無子は構わず続けた。

「ただし、覇者は周辺諸国から領土を切り取ろうという野心をもちません。覇者と周辺諸国とをつなぐものは、徳が上策、文明の威光や経済力が中策、武力が下策であり、下策である武力をもって周辺諸国を侵せば、もはや覇を唱えることはかなわなくなります。よって華が真の覇者たらんとしているのであれば領土拡張を目的とした侵略をすることはないと考えてもいいでしょう」

天空に陽のあるうちは春の陽気に包まれたが、日没とともに季節は冬に戻った。部屋の中に微かに吹き込む冷たい風がろうそくの炎を揺らしている。

孟無子はろうそくの一本を手にとりさらに続けた。

「華には中華の思想があります。中華というのは光のようなものです。光源を中心として光の届くところが中華です。中華の範囲に明確な境があるわけではありません。光源から遠ざかるにつれてだんだんと暗くなっていくのです。中華の思想のもとでは国境が明確である必要はありません。はっきりと線で示すことができる国境は夷狄の考え方といってもいいでしょう。中華の思想においては、国境が曖昧であっても、そこで争いさえ起こっていなければ、放っておけばいいと考えるものなのです。紛争の芽を摘むために国境を引くことはあっても、国境を引くことが紛争の芽となることは望まないのです」

「しかし先生。華は万閣を『核心的利益』だといって、積極的に争おうとしています」

「王は華が争いごとを仕掛けてきていると考えておられますが、華のほうでは圓が争いの火種をつくっているとみています。例えば、前の野佳王の行った万閣の国有化であり、例えば王の泰国神社参拝です。華の考えでは、圓が争いを仕掛けてくるならば、それを核心的利益と称して対抗しなくてはならないと考えているのです。ですから圓としては、火種となることの一切を避けるようにして、両国間に争いごとが起こる可能性を極力小さくするよう努めるべきでしょう」

「泰国神社参拝は信念があってのことです」

と、安晋王が口調を強くして反論した。

「『見小利則大事不成』。ご存知でしょう」

「孔子の弟子の子夏が地方長官に任命された際に師に政治について尋ね、それに対して孔子が答えたという言葉ですね。小さな利を見ていると大事なことを成し遂げられないものだ、という」

「そうです。王にとっての「大事」は人民の幸福です。幸福にはいろいろな要素がありますが、中でも王に期待されるのは人民の身体と財産に対する危険を可能な限り小さくして、健康と富を増進することです。それ以外のことは全て小事です。いま王は信念があるとおしゃいましたが、その信念は王の大事の前では小事ではありませんか」

「しかし―−」

と、安晋王は反論しかけたが、途中で口を噤んだ。

「王に申し上げましょう。圓が領土問題は存在しないという論を掲げ続けて諸事を無理に進めようとすれば、その先には、紛争を処理する唯一の手段と考える華による武力侵攻が待っていると考えておかねばなりません。それを望まないのであれば、まずは領土問題は存在しないという旗を降ろす必要があります。蘭の国におかれている裁判所へ提訴をするのもいいでしょう。華は提訴に応じることはないでしょうけれども、それにより圓は話し合いで解決しようと努めているという姿勢を示すのです。そのうえで華との間で会盟を開くのです。会盟を開いても国境を定めることはできませんが、中華の思想にのっとれば国境は曖昧なままでもいいので華もそれに同意するでしょう。国境は曖昧なままにするという前提のもとで、島や周辺海域の利用方法、船舶の航行などについての諸規則をひとつずつつくりあげていくのです」

安晋王は孟無子に向かって排手した。

無言であった。

しかし、その表情はわずかに晴れやかになったようであった。








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posted by osono at 13:43 | Comment(0) | 中国社会・外交など