2014年01月17日

ガーデン・ブリッジ(現外白渡橋)

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1930年代の雰囲気をより感じることができるんじゃないかと思って、外灘の建築群のライトアップ終了後の深夜の様子を撮影してみた。

写真はガーデン・ブリッジ(現外白渡橋)。

ガーデン・ブリッジは1907年の竣工で、2008年に一部修復されたが、100年以上前の姿がほぼそのまま残っている。

上海エイレーネー」の主人公・靄若は作中で何度もこの橋をわたる。

原稿を検索してみると、作中で「ガーデン・ブリッジ」という単語が16回も登場する。

例えば132ページ。
緊張していて気づかなかったが、今夜はかなり寒い。蘇州河の上を吹く風が冷たく、両手で耳を覆いながらガーデン・ブリッジを渡った。橋の中央で通行する者ひとりひとりを睨みつける日本兵の横を通り、対岸の橋のたもとで無表情に立つイギリス歩哨の脇を抜けた。ガーデン・ブリッジを渡ってすぐ左手にはパブリック・ガーデンがある。夏ならば夕涼みの人で賑わうこの公園も、この寒空の下で人影は見られなかった。

1937年11月の上海陥落からまもなくして、ガーデン・ブリッジの中央に日本人の歩哨が立つようになった。橋を渡る人は、日本人も中国人も、みな頭を軽く下げて日本兵の横を通り抜けたそうだ。

ちなみに、蘇州河から吹く突風が耳を覆いたくなるほど冷たい、というのは創作。実をいえば、この橋を歩いてわたる時に他の場所に比べて風が特に強いと思ったことはないので(この写真を撮ったときは無風だった)、実際にはそれほど寒くなることはないのかもしれない。

それから例えば191〜192ページ。
靄若は松本の考えを推察した。ガーデン・ブリッジの歩哨は左側通行の橋の左側に立っている。松本はそこを日本語で同盟通信の車だと言って通過する気なのだろう。右側に座っている高宗武は、帽子で歩哨からは顔が見えない。胸には記者バッジが付いているので、歩哨も彼を記者だと思うだろう。

著名ジャーナリスト松本重治はその著作「上海時代」下巻の中で、国民政府の元外交部亜州司長、つまり日本風にいえば元外務省アジア局長を車に乗せ、ガーデン・ブリッジを渡った時のことを記している。この部分はその記述を参考にしている。高宗武は徹底抗戦の姿勢を強める蒋介石の意向に反して日本との和平交渉のために日本に向かうのだが、上海深夜発のEmpress of Japan号に乗る直前に決心がにぶり、松本重治の家で酒を飲みながら松本に説得される。そしてようやく日本行の決心を固めた高宗武は松本の車で虹口の港に向かうのだが、国民政府高官である彼は、途中のガーデン・ブリッジで歩哨に誰何され拘留されるおそれがあり、歩哨の目をたばかる必要があったのだ。

ちなみに、松本重治の車が高宗武を載せてガーデン・ブリッジを渡ったのは1938年7月2日午後11時半頃。ちょうど僕がこの写真を撮ったのと同じ時刻だ。この写真を見つめていると、同盟通信社の旗を立てた黒塗りの車が橋の真ん中に停車しており、その車内を日本兵が覗き込んでいる姿が見えてくるような気がしないか。

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posted by osono at 23:56 | Comment(0) | 上海