2014年01月15日

成人の日、元宵節、藪入り

一昨日のこと。

「あ、あ、あんぱんまぁん、やさしいみきさ、いっけ、みんなう〜め、あ〜もるた〜め〜」
と、奔放な歌詞と音程の歌声で目が覚めた。ベッドサイドの時計に目をやると「8:10」と表示されている。

(あれ?なんでまだいるんだ?)

普段なら息子は既に保育園に行っていて、僕は一人、コーヒーを飲みながら朝の連ドラを見ているはずの時間だ。

視線を天井に戻し脳の覚醒を待って、しばらくして今日が祭日であることに気が付いた。

再び時計のほうへ首をひねり時間のとなりに小さく表示されている日付を見ると「1月13日」とある。ピンとこない日付だけれども、成人の日か。

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中国では元旦まであと16日。街には既に正月の化粧が施されている
それにしてもなんでこんなときに祭日があるのだろう、と僕は思った。つい先日まで長い休みがあり、ようやく正月気分が抜けてきてエンジンがかかってくるところでまた休みである。出鼻をくじかれるような感覚があるのではないか。日本人を慢性的に怠け者にする恐れはないか。GDPに少なからずの悪影響を及ぼし、新指標JPX日経400を引き下げることになりはしないか。

かつて成人の日は1月15日で、2000年から1月第2月曜日に変更されたのだが、1月15日といえば、中国では「元宵節」だ。年の最初の満月の夜だから元宵節(だと思う)。その日までが過年(越年期間)とされる。元宵節には、地域にもよるのだろうけれども、街にはランタンが飾られ、家庭では団子を食べ、満月を愛でる。

数え年で年齢を数えるのであれば、元日にみな一斉に年をとるわけだから、過年のうちで区切りのいい日に新成人を祝おうというのは、まあ理にかなっている。

でも、いまの日本にそれをあてはめるというのはどうだろう。数え年の制度は全く廃ってしまっているのに、成人に達した祝いを一律に正月にやるというのは、いかにも無理がないか。正月に成人の祝いをするにしても、15日というのはいかにも遅い。現代日本人は忙しく、15日間も正月気分でいるわけにはいかない。小正月という言葉もあるけれども、いまや松の内といえば七草粥を食べる1月7日までだろう。1月第2月曜日に変更され多少は正月から成人の日までの日数は短縮されたとはいえ、それでも長い。

その日の夜、母を交えての夕食の席で僕がこの疑問を口にしたところ、母はすぐに
「藪入りだからじゃないの」
と答えた。

藪入り。(ウィキペディアを参照すれば)年中休みなく働いた丁稚奉公人や女中が休暇として実家に帰ることができた日で、1月16日と7月16日がその日に当たる。時代が江戸から明治にかわり暦も旧暦から新暦にかわっても藪入りの習慣は廃ることなく、労働人口の移動がより活発になったことから、かえって一層重要な年中行事のひとつとなった。

なるほど。

若者たちは、元旦前後以上に1月15日前後に故郷へ集まるので、各地方での成人の式典が1月15日頃にとりおこなわれるようになった、だから1月15日が成人の日に定められた   それはいかにもありそうだ。

でも、やっぱり現代社会にあてはめるとどうだろう。いまや藪入りの習慣は消え去ってしまった。もちろんサービス業従事者のうちの少なくない人々は三が日に休むことができず、1月の2度目の週末を待って故郷に帰るのだろうけれども、その人数は元旦前後に帰る人に比べれば圧倒的に少ないはずだ。それなのに未だに1月第2週の月曜日に成人の式典を行うというのはいかがなものか。元旦前後に実家に帰った新成人が、成人式出席のためにもう一度帰るというのもかなりの負担だろうし。

成人式当日にまだ19歳で、同学年のみなと一緒に酒を飲むことができない人もいるだろう。2000年の制度変更の際に、1月15日という日付への拘りを捨てるのだったら、思い切って日程を変えてしまえばよかったのに。いっそのこと4月の最初の月曜日あたりにしたほうがよかったように思うのだけれども、どうだろう。

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posted by osono at 16:24 | Comment(0) | おかしいと思うこと