2014年01月10日

日中戦争期の和平工作

上海エイレーネー」=上海の平和の女神。すなわち本作は、上海を舞台とした平和の物語。主人公は鄭蘋如をモデルとした女性だが、「和平」は本作のもうひとりの主人公といってもいい。

以下はウェブに掲載した「本作をお読みいただく前に」の文章から引用。
日中戦争は、残忍な戦闘も行われる一方で、和平に向けた活動が積極的になされ、それも同時に複数の工作が進行するという、特異とも言える紛争でした。軍人、外交官、民間人など各方面の人々が参画する和平活動は、やがて蒋介石との直接和平を目指す派と、汪兆銘による政権を立ち上げその政権と和平を実現し戦争を終結させようとする派とが激しく対立するようになります。本作ではその対立を中心に据えつつ、和平仲介のために南京−上海間を移動中の英国大使が謎の航空機に襲撃された事件や、暗殺者に狙われる汪兆銘を民間人に扮した陸軍大佐がハノイにまで救出に向かったことなど、歴史的ドラマをも交えて和平活動を描いていきます。

すなわち本作では「蒋介石との直接和平を目指す派」と「汪兆銘による政権を立ち上げその政権と和平を実現し戦争を終結させようとする派」とについてかなりのページを割いて描いているのだけれども、日中戦争期の和平工作については、興味深い話が他にもいっぱいある。

以下は、本作の巻末に掲載されている「モデルとした人々のこと」からの引用。
1940年を迎える頃には、首相周辺や参謀本部のみならず陸軍省、現地軍もが一様に、膠着状態に陥っている日中戦争をなんとか終わらせたいと望むようになるのだが、同時に、自らが骨抜きにしてしまった汪国民政府には大きな期待はできないというのが共通の認識だった。そのため日本政府は、汪国民政府の承認を引き延ばしつつ、蒋介石との直接交渉を模索し続けた。

そんな折に出てきたのが宋子良(宋慶齢、宋子文、宋美齢等の実弟)を通じた和平交渉、いわゆる桐工作である。陸軍はこの工作に大きな期待を寄せた。満洲承認問題や華北駐兵問題などでは難航したものの、1940年3月に香港で行われた予備会談では和平条件に日中双方がほぼ同意するに至った。中国側代表は蒋介石等の承諾を得るために合意内容を重慶に持ち帰ったが、同月末に汪国民政府が成立し、その頃から中国側の態度が消極的となる。結局同年9月、本工作は実質的に終了する。なお、宋子良と名乗った人物は、実は戴笠の直系の有力幹部だったことが後に判明する。

桐工作と入れ替わるように、1940年後半には浙江財閥の重鎮で交通銀行董事長の銭永銘を通じた工作が進められた。11月17日、蒋介石の特使より、全面撤兵と汪国民政府の非承認を約束するのならば和平交渉に入ってもいいとの打診があり、それを受け、22日に開かれた四相会議では、中国側が速やかに正式な代表を任命すれば30日に予定している汪国民政府承認を延期するとの決定がなされた。この日本の回答が香港に届いたのが24日で、27日にその回答を持って杜月笙が飛行機で重慶に向かった。中国側は29日に正式代表の任命を知らせてきたのだが、時すでに遅かった。その前日の28日、日本政府は予定どおり30日に汪国民政府承認を行うことを正式決定してしまったのである。

この短い文章からは伝わりにくいかもしれないが、中国側要人のニセモノが出てきて、日本側がそれに疑心を抱いたり、和平のために奔走する登場人物の一角に上海マフィアの大ボス杜月笙がいたり、一秒一刻を争うスリリングな展開があって最後にはたったの一日遅れたために失敗に終わってしまうことなど、小説になりそうな話が盛りだくさんなのだ。

ただ、すくなくとも当面は、これをテーマにして書くつもりはない。

日中戦争期の物語をふたつ書き終えて、いったんこの時期の話からは卒業しようと思っている。僕の頭はいま日中戦争期から400年ほど遡った頃の蘇州にある。

中国関連ブログ一覧へ





  この記事を「いいね!」と思った人も思わなかった人も、
  何かを感じた時は是非ポチッと!↓↓↓

posted by osono at 21:05 | Comment(0) | 中国社会・外交など