2014年01月08日

消えた蘋如

名刺用カバー4.jpg「上海エイレーネー」(1月18日刊行予定・昨日アマゾンでの予約受付開始)について、主人公・靄若のモデルである鄭蘋如に直接聞いてみたいことは他にもいくつもある。

1939年12月。ジョッフル路(現淮海路)や大馬路(南京路)が濃緑の柊や深紅のポインセチアに色づいたころ、丁黙邨暗殺に加担し失敗した蘋如は「ジェスフィールド76号に自首するわ」と家族に言い置いて自宅を出た。

が、蘋如はまっすぐジェスフィールド76号に向かわなかったようだ。

自宅を出たあとの動きがよくわからない。蘋如は消えた。上海憲兵隊の林秀澄特高課長は彼女の出頭は年を越してからだと言っている。年内に出頭してきたとの証言もあるので断言はできないけれども、彼女が自宅を出たのは12月26日頃なので、林秀澄特高課長の言葉を信じるとすると、出頭までの間に1週間ほどが費やされている。

中国では、蘋如は自宅を出たあとアジトに籠り再度丁黙邨暗殺を謀った、というのが定説となっているようだ。蘋如は丁黙邨に対して、自分はクリスマスの暗殺に関わっていないと泣いて訴えて、もう一度会ってほしいと哀願した。そして自ら丁黙邨を殺害するつもりで拳銃をバッグに潜ませ会いにいき、その場で逮捕されてしまった、と。

しかし、どこにそう書いてあるのか、誰がそういう証言をしたのか、それがわからない。

確かに、蘋如が自宅を出たのは自首のためではなくて、家にいては逮捕されてしまうと考えたためかもしれない。しかし、拳銃をもって丁黙邨のもとに乗り込んでいったというのはどうなのだろう。

そんなことをできる蘋如は僕が彼女に抱いているイメージから遠いところにいる。

世間一般的には、蘋如は国家に殉ずる烈士、もしくは、一糸まとわぬ姿で枕の下に隠したナイフで対象の心臓を一刺しする女性、というようなイメージがある。でも僕は、それはかなり疑わしいと思っている。時代が時代だから国を思う気持ちは強かったろうけれども、そのために命を捨てようと考えるほどに狂信的でもなく、小さな虫すら容易に殺せない。そんな女性だったんじゃないかと思う。夜中に部屋に出てきた小さい虫をスリッパで叩くことはできても、数日前まで親しく会話をしていた人間を自分の手で殺せるとは思いにくい。あれやこれやと文献を読んでいるうちに僕はそういうイメージをもつに至った。

それに、逮捕されるかもしれないと思って自宅を出たのに、丁黙邨が自分を疑っていないだろうと思って会いにいくというのも軽率に過ぎるように思うし。

ちなみに「上海エイレーネー」では、主人公が家を出てからジェスフィールド76号に出頭するまでの間についてはさらりと片づけてしまっている。主人公の靄若は僕の頭でつくられた女性だから、そのあたりは誰からも文句を言われたくない。

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posted by osono at 15:16 | Comment(0) | 著作