2012年12月24日

重慶と武漢

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旧漢口站。北京から武漢への鉄道の終着駅だったところ。
不届きなタクシー運転手のせいで、日没ギリギリの撮影となってしまった。


重慶から武漢に移動した。

世界中のどこの都市へ行った場合でも、その第一印象はかなり良いかかなり悪いかのどちらかであり、その中間ということはまずない。

重慶は前者であり、武漢は後者だった。

(1)重慶は12月中旬だというのに最高気温は20度に近く、最低気温は10度を下回らなかった。暑くもなく寒くもないちょうどいい気候。一方で武漢は寒かった。華南→重慶とまわってきたので、くるくる巻きににしてカバンに押し込んでおいたダウン・ジャケットを取り出して、ヒートテックまで着こんでもまだ寒かった。陽が落ちてからタクシを探してトボトボと歩く長江沿いの大通りはかなり辛かった。

(2)武漢のタクシーは、たまたまそういう運転手に当たったのかもしれないけど、かなり質が悪かった。

空港からダウンタウンへと乗ったタクシーは「ウェスティンホテルへ」と伝えても「知らない」と言い、ipadで地図を見せても、老眼なのか、ちょっと腕を伸ばして見たのちに、すぐに「見えない」と言って地図を見るのをやめてしまった。住所を伝えて走り出すが、漢口にあるマルコポーロ・ホテルへと連れていかれてしまった。ウェスティンは長江の対岸の武昌に所在する。はるかに見当違いの場所だ。

その後なんとかウェスティンにたどり着いたが、思っていたより20分以上余計にかかってしまった。メーターは82元を示しており、運転手に100元を渡すと5元札を戻してきた。「足りないぞ」と言うと、有料道路代が10元だと言う。有料道路代を払った様子はなかったのだが、それにしても82元+10元=92元であり、95元を要求するのはおかしい。それを指摘すると、運転手は笑いながら5元札をひっこめ10元札を差し出した。

チェックインののち、漢口の中心部へ行こうと思いホテルの前でタクシーに乗った。女性の運転手である。

漢口に行くためはいったん左折をしてからトンネルを通っていくのが近いのだが、運転手は左折を試みるもすぐに諦め直進し、次の交差点でも左折のために交差点の真ん中で停車したが、そこでも左折を断念してしまった。その時は、よっぽど気の弱い運転手なのだろう、と思い黙っていたのだが、車はどんどん漢口から離れ、ついには漢陽へ入ってしまった。それでも僕はまだ、ずいぶんと遠回りになったけど渋滞を避けるためなのだろう、と自分に言い聞かせ黙っていた。ところが運転手は、
「もう市内に行きたくない、タクシーを乗り換えてくれ」
と言い出したのだった。

さすがに僕も怒り、とはいえ声を荒らげるのは時節柄よろしくないので、怒りを言葉には出さず、
「じゃあ軽軌(高架鉄道)の駅で下してくれ」
と、妥協した。

運転手はしぶしぶながらも軽軌の駅に向かったが、駅から100メートルほどのところで、
「この路地に入ると戻るのが大変だから」
と言って、いきなりUターンをして車を止めた。

よっぽど怒鳴ろうかとも思ったが、喧嘩するのも体力の無駄だと思い、ただ、
「あんたほど悪い運転手に会ったのは初めてだ」
と捨てゼリフを吐いて車を降りた。

(3)武漢は長江を越えての移動が不便過ぎ。重慶も長江の対岸に宿をとった場合にダウンタウンに行くのが面倒ではあるが、地下鉄がつながっているし、ロープウェイもある。しかし武漢はタクシーを使わなければならず(バスはあるだろうけど)、そのうえタクシーは二台に一台は長江の対岸に行くことを拒否する。加えて長江をくぐるトンネルはいっつも渋滞している。

これらのことに加えて……

(4)今回武漢に行った最大の目的は、今書いている小説の舞台の一つになっている宋慶齢の武漢における住居、すなわち1927年初から夏にかけて武漢にあった国民政府の財政部の建物の中を見ることだったのに、改修中で見ることができなかった。重慶でも蒋介石政権の中枢の住宅群が改修中であったけれども、こちらは建物の外からでも十分に雰囲気を味わうことができたし、一部の建物はドアが開け放たれており、中を見ることができた。しかし武漢では目的をかけらも果たすことができなかった。
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武漢宋慶齢故居=1927年武漢政府財政部
中に入れなかった……


そんなこんなで僕の武漢に対する印象は非常に悪いものとなった。

しかし小説の展開上で重要な位置を占める宋慶齢故居はどうしても見ておかなくてはならない。もう来たくはないけど、近いうちに出直さなくてはならない。

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