例えば
重慶はどこへ行っても坂ばかりで、華北平原の中に位置する北京や長江デルタに都市が建設された上海とは違い、人力車を主要交通手段とするにはおよそふさわしくない土地である。
しかしここでは、市内のどこへ行くにも人力車だ。
自動車もあるにはあるが、ごく一部の政府高官による使用に限られている。インフレーションはモノとモノとの間の相対価格を根本から変えてしまったが、中でも最も高くなったのが燃料であり、他方で最も安くなったのは人の汗である。
道路わきには露天商が並んでいる。売り手は叫ぶようにして道行く人の足を止めようとし、足を止められたほうは威勢よく値切っている。離れたところからは喧嘩をしているようにしか見えないが、近くで見れば両者のやり取りは何やら楽しげでもある。
天秤棒の両端に、野菜やら、小動物やら、一見しただけでは何の物体なのかわからないものを提げた人々が忙しく往来している。天秤棒や籠が活躍しているのは、この街が通りから一歩入ればどこもかしこも階段だらけだからである。
などなど。
とはいえ、重慶には過去に一度訪れただけであり、その時には市内を見て歩かなかったので、これらの記述ももろもろ文献を見ながら想像で描いた。
改めて見てみた重慶は想像以上に坂だらけだった。
長江と嘉陵江に囲まれた市中心部分は、川岸は断崖絶壁と言ってもいいほど。中央部分も平坦な部分はめったになく、右へ歩いても左へ歩いても坂。こんなところで人力車が主要な移動手段だったなんて、およそバカげている。空からの攻撃ができない時代は、まったく難攻不落の天然の要塞都市だ。
大使館のゲートを出た時、眼下に長江が見えた。
ここへ来る時に乗ってきた人力車の車夫がゲートのすぐ横に座って休んでいる。車夫はヤングが出てきたのを見て立ち上がったが、ヤングは掌を軽く見せて断った。
そして通りを横切り、コーヒーの入ったグラスにミルクを溶いたような長江へと続く長い階段を降り始めた。
というシーンもあるのだが、当時のアメリカ大使館の所在地(現地下鉄1号線両路口站そば)から歩いて数分のところに、このシーンにイメージぴったりの階段もあった。
市中心部から長江を隔てて南側に宿をとってしまったので、市中心部へ行くのがやっかいだった。空車のタクシーはなかなか来ないし、地下鉄まで歩くには遠すぎる。長江沿いの路上で待つこと十数分でようやくタクシーをつかまえることができた。
ところが朝天門のそばを歩いていたら長江南岸へのロープウェイがあった。ロープウェイ降り場からホテルまでは歩いて15分ほどだった。
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