2012年12月08日

法幣の対ドル・対ポンド・レートの推移

法幣、すなわち国民政府(蒋介石政権)の通貨の、対ドルおよび対ポンド為替レートをグラフにしてみた。

(クリックして拡大してご覧ください)
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(1)法幣は1935年11月の幣制改革によって生まれた。以降1937年7月の日中戦争勃発までの間、法幣の対ドル・対ポンドレートはほとんど全く動かなかった。1935年の幣制改革まで銀本位制下にあった中国の通貨は銀の国際価格に弄ばれ極めて不安定だったが、法幣は誕生直後から大地にしっかりと根を張っていた。

(2)日中戦争勃発後も、約半年間法幣レートは安定していた。この時期、国民政府は中国銀行等を通じて積極的に為替介入を行いレートを支えていた。

(3)しかし1938年4月。対外支払い準備が危なくなってきた国民政府は為替介入を停止し外貨割当へ政策変更を行った。その直後からレートは急落する。

(4)レートの下落がインフレーションの進行よりも大きすぎたためか、1938年夏ごろに下落は止まり、それから約一年間、レートの安定期に入る。

(5)ところが1939年6月の日本軍による天津英仏租界封鎖を機に法幣不安が高まり、あわせて法幣防衛のためにイギリスとの共同で設立された法幣安定基金が底をついてしまい、法幣は暴落する。

(6)もはや法幣は死んだかと思われた法幣は、ドイツ軍のポーランド侵攻、すなわち第二次世界大戦の勃発によって九死に一生を得る。欧州へ逃げていた資金が中国に還流し、また、海上輸送が困難になることにより輸入の減少が予想され、法幣が一気に買い戻された。

(7)レートは、1940年初にかけて持ち直したあと、それ以降法幣のインフレーション進行に並行して徐々に安くなっていった。

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posted by osono at 01:50 | Comment(0) | 中国経済