とはいえ、最近中国より東京にいる時間のほうが長いし、中国に行ってもあまり面白いことも発生しないので、どうしようもないんである。
先日、広州と上海で開かれた大きなゴルフコンペをはさんで両市に行ってきたが、その時も大したことは発生しなかった。
上海では空いた時間で上海淞滬抗戦紀念館に行ってきた。上海に初めて足を踏み入れてから16年にもなるが、この辺鄙な宝山の奥にある博物館に訪れたことは一度もなかった。
何はともあれ人が少ないのに驚いた。「少ない」というより「誰もいない」。敷地内では、どこが建物の入り口かと尋ねても、ふんぞり返ったままで一言も発せずに入り口方向を指さすだけだった門衛と、展示場内の暗闇の中で静かに座っていた守衛と(その存在に気付いた時には思わず「キャッ」と声を上げてしまった)、揚子江を見渡す展望台のエレベーターの下で料金を徴収する女性しか見かけなかった。
1937年8月23日の日本軍の上海上陸のことで調べたいことがあり行ったのだが、大して得られるものはなかった。
そうそう。今回の中国滞在中にちょっとした驚きもあるにはあった。
半年以上前からのもろもろの付き合いだった人に突然
2005年8月のこのブログ(の前身)で触れたツバメ嬢のダンナであると告げられた。
それ自体確かに驚きではあったが、気になったのは「実は黙っていましたが」と前置きをした上で、なんとも意味ありげにそう言われたことと、なぜに半年も黙っていたのか、ということ。
う〜ん、どういうことなのだろうか。
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