2009年03月23日

もう誰も知らない。もう誰も信じてはくれない。

先週の週末は年二回開催の上海商工クラブのゴルフコンペがあった。参加人数は約300人。土曜・日曜の二日間にわたって開催される大型コンペである。僕はこのコンペ、上海総領事館勤務の最初の年からなので、かれこれ14年も参加している。というか、その間ずっと幹事をやっているので“万年幹事”ならぬ“十年幹事”である。

参加者数の増加に比例し、いやそれ以上に幹事の人数が肥大していき、昔はたしか4商社から1人ずつ、JAL、領事館から2人の計6人だったと思うが、最近の幹事会は25人くらいにもなっている。幹事になると結構の負担になる。特に大会二日目は朝4時から、夜に宴会もあるので21時頃までの計17時間も拘束される。まあ、参加者数の10分の1も幹事がいる状態は異常と言えなくもないし、次回大会前には幹事団のスリム化を提案しなくちゃならんと思っている。

とはいえ、僕自身は実は大して負担だとは思っていない。インターネット関連担当幹事なので、コンペ前1週間にはキャンセルやら組み合わせ変更希望やらが続々とメールで送られてくるが、“あくまでボランティア。勤務時間中は作業しない”と決めているので作業するのは夜だけ。キャンセルや組み合わせ変更は、2日に一度ほど更新するウェブ上の組み合わせ表に反映するのみで、質問に対する回答を除いてメールに返信をしない、という姿勢である。

「メールに返事もよこさんでけしからん」と思っている人も少なくないようにも思うが、まあ、だからこそ14年も幹事が続くのでもあり、なにとぞご容赦いただければと思う。

さて、このコンペに関して、僕がよく笑い話として話す、でもその実は自慢としか聞こえない話がある。自慢話はたいてい読み手をウンザリさせるものではあるが、昨今自慢するようなことも何一つないかわいそうな男なので、ここは我慢してお読みくだされ。


領事館勤務の3年めだったか、村山総理の頃である。総理の上海訪問に際し、何か土産の希望はないか、と問われた。そして、通産省から来ている同僚と相談の上、ゴルフコンペの優勝カップを注文した。やはり優勝カップは中国製より日本製の方が全然質が良かったし、おそらく、かの“機密費”で購入されるものだろうから、自分たち領事館員のものとならず、在留邦人の役にたつもの、と考えた。届いたのは銀製の見るからに高そうな立派なカップだった。ネット優勝は商工クラブ理事長杯と決まっていたので、僕らはこのピカピカのカップをベストグロス賞に充てることとし、かつ、なぜかとり切りにしようと決めたのだった(他のカップは毎回毎回繰り越し使用され、各優勝者にはレプリカが贈呈される)。なにしろ「内閣総理大臣杯」である。次回大会の最大の注目点となるのは間違いない。このカップは懇親会において総領事からベスグロ受賞者へ手渡される。

それから数週間後、次回大会コンペの幹事会が開催された。そして、それまでこのコンペの懇親会の司会は、通産省からの同僚氏がやっていたのだが、帰任となることから、次回大会は僕が司会をすることに決まった。300人規模の大コンペであり大会後の宴会も大人数。ちょっと緊張しながらも大会当日を迎えることとなった。


飛距離もスコアもアベレージゴルファー、プレー頻度はアベレージゴルファーを大きく下回る今の僕からは到底想像できないかもしれないが、当時の僕は、年間プレー回数は100回を超え、飛距離も結構自慢で、スコアは、今より分散値はかなり大きいものの、数ラウンドに1回くらいは70代でまわれるプレーヤーだった(ように記憶している。あまりに隔世の感があるので、ひょっとしたら夢だったのかもしれないが)。

そして大会当日。ベストグロスをとっちまったのである。参加者数300人弱である。むちゃくちゃうれしかった。ちょうどその頃行われた二つのゴルフ場のクラブチャンピオンで悔しい負け方をした直後で「自分はなんて勝負弱い男なんだ」と少々落ち込んでいたところだったこともあり、周囲からうっとおしがられるほど僕は喜んだ。

ところがその夜。懇親会にて。司会でありながら自分の名前をコールし、自分で「在留邦人の皆さんのために」と思って取り寄せたカップを、自分のうちわである総領事から受け取る、ということになってしまったのである。

人はこれを、自作自演と呼び、マスターベーションと揶揄し、我田引水と蔑んだ。

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posted by osono at 00:00 | 日記