2009年03月09日

トラウマ

一週間に一度の更新にする、と宣言をし、あたためにあたためたネタがクソネタである。。。。。。




世間のどのくらいの人が何らかのトラウマを抱えて活きているのかは知らないけれども、僕にも一つだけトラウマがある。説明するのも忌々しい記憶なのだが。。。


上海外灘の中山東路と延安東路が交わるところに写真の建物がある。この建物の煙突のような部分に上がることができ、そこから外灘の夜景を撮ると非常にきれいだという話を聞き、夜7時頃に行ってみた。

正面入口は鍵が閉まっていた。どこか他に入口はないかと思い、建物をぐるりとまわってみた。建物の周りに幅1メートルほどの、道路側からも歩道側からも植木で隔絶され見えないエリアがあり、そのどこかに隠れた入口がないものかと考えた。


そうしたら。。。ああ、今ここに書くだけでも気分が悪くなってきた。。。建物の壁沿いに、正確に50センチメートルほどの間隔を空け干乾びたイモのようなものが転がっている。このサイズはどう見たって犬のものではない。どうやらココは、周辺の商店主たちのトイレと化しているようなのだ。



それからしばらくの間は、日に何度もこの光景を思い出してしまい、そのたびに吐き気をもよおした。しかし、失恋の悲しい記憶ですら時間とともに薄れていくものである。僕は耐えた。思い出すたびに他のことを考えるようにして、我慢した。人間の脳の偉大な“忘れる”という機能を信じひたすら時の経つのを待った。


あれから数年を経て、この記憶からはほぼ解放されたが、時々ふとしたきっかけで思い出してしまうことがある。一昨日、僕は仙霞路と古北路の交差点にあるHSBCでから太陽広場の方向へ歩いて行った。そして仙霞路と婁山関路の交差点を右に曲がろうとした時、壁際にそれは落ちていた。干乾びていた。長かった。


なぜこんな交通量の多い交差点に!


いや、そんなことはどうでもいい。これで僕はまた数日間、忌々しい記憶にとりつかれることになってしまったのだ。







クソ繋がりの話を続ける。


日本人と中国人とでは、少々排泄に対する感覚が違うようだ。男どうしの酒の席の話題のメインは、当然のこと、女の話だが、時々耳にするのが、なぜトイレのドアを閉めないのか、とか、シャワーを浴びていたらカーテン越しに女の子が便器に座っていた、とか、いたいけな少女たちが排泄の姿を見られることをあまり気にしない、という話。


まあ、アメリカのトイレの個室は足元と上部がオープンで、それに比べて日本のトイレは密閉されすぎているし、むしろ排泄の姿を恥ずかしく思う気持ちは、日本人が特殊なのかもしれないけれども。



昨日飲んだ某君から聞いた話。


ベッドルームからガラス越しにバスルームが見えるホテルの一室にて、きれいな女の子と、されこれから一戦、という時。先にベットに入り、ふとバスルームの方を見ると、女の子が便座の上に足をのせ、しゃがんで用を足していたのだそうだ。それも、前向きに!


そういえば僕が子供の頃。TOTOの便器には必ず「洋式便器の使い方」なる説明が貼ってあった。小さい頃から和式(もしくは中式)のトイレを使って育ってきた人が、大人になってから出会う洋式便器の使い方が間違っていてもおかしくはない。いや、正しい使い方は知っていて、それでも敢えて昔から慣れ親しんだ方法で用を足してしまうのかもしれない。


しかしながらこの話。中国駐在者は聞き流してはいけない。若い女の子がこういう使い方をしているのである。この広い中国、かなりの人が同じ使い方をしているに違いない。


公共のトイレで、わざわざ靴を脱いで便座に乗っかっているとも思えない。どんなガイドブックにも書いていないことだけど、公共のトイレの便座はまず相当に汚いと思ったほうがよさそうである。

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posted by osono at 00:00 | 中国社会・外交など