2012年08月21日

アスペルガーに関するあまりにひどい判決(3)

この判決を報道で見た時、まず最初に思ったのは、果たして被害者は求刑をも越える重い刑を望んでいるだろうか、ということである。

しかし判決要旨の(量刑の理由)の2は、「被害者が受けたであろう恐怖あるいは絶望感、夫や子供を残して46歳という若さで命を絶たれなければならないことの無念さなどは想像するできないほど大きかったはずである」と、決めつけている。

確かにそうだったかもしれないが、被害者が死の直前に思ったのは、自立を願っていたのにそれができなかったという無力感かもしれないし、障害者として生まれたがために罪を犯してしまう弟への同情かもしれない。

他の家族にかける負担を考えて長い刑期を望むということはありえるが、障害者の家族として、弟がいかに大変な人生を歩んできたかを知っており、さらには、自分もそういう病気をもって生まれてきたかもしれなかった、自分はたまたま健常者なのだという意識もあるはずであり、弟に対する同情が、わずかにでも、確実にあったように思われるのである。判決は、障害者の家族の心情をしっかりと理解しているとは思えない。

判決要旨は、被害者の感情を、まるで見てきたかのように描いている。想像力を活かして事実でないことを、あたかも事実のように描くのは小説家の仕事である。それを裁判官が行うというのはいかがなものか。すくなくとも判決要旨に書かれたのと全く同じ感情ということはないし、軽い刑で済むことすら願っていたかもしれないのに、亡くなった被害者の心を勝手に推察し、それを量刑の判断に使うというのは、被害者に対してあまりに気の毒なことのような気がする。もし被害者が重刑を望んでいないとすれば、自分の本当の感情を証言することができない被害者は、果たしてあの世でどういう気持ちでこの判決を聞いたのだろうか。

続く




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posted by osono at 07:52 | Comment(0) | おかしいと思うこと