アスペルガー症候群を患い30年間引き籠り状態だった無職の42歳の男性が、その自立を促した姉を殺害したという事件で、7月30日、検察の求刑16年に対して、それを上回る懲役20年の判決がなされた。
アスペルガー症候群に対する甚だしい無理解と、精神障害者に対する時代錯誤な差別をも感じさせるとんでもない判決である。
判決要旨を読んでみた。
問題だらけの判決文である。
例えば「量刑の理由」の3の最後の部分。
「……最終的には自分の意思で本件犯行に踏み切ったといえるのである。したがって、本件犯行に関するアスペルガー症候群の影響を量刑上大きく考慮することは相当ではない」とある。
「したがって」の一言でごまかしているが、ここで論理が飛躍している。自分の意思で犯行を行ったら、どうして病気の影響を考慮すべきでないという結論になるのか。
この判決は
[自分の意思で犯行を行っていない → 罪にならない]という命題が真である場合に、その裏の
[自分の意思で犯行を行った → 罪になる]も真であると考えているようにみえる。
むろんそれは正しくない。
対偶の
[罪になる → 自分の意思で犯行を行った]というのは真だが、
[自分の意思で犯行を行った → 罪になる]は真であるとは限らない。
強い思い込みや強いこだわりはアスペルガー症候群の典型的な症状であり、アスペルガーであるがために被告は(この裁判の裁判官や裁判員が理解できない理由で)姉に対し恨みをもち、殺人に至るまでにその恨みを強めてしまった。
つまり、[病気である → 自分の意思で犯行を犯した]のである。
これと「量刑の理由」の3の最後の部分がいう
[自分の意思で犯行を犯した → 病気は減刑の理由にならない]とを合わせると
[病気である → 病気は減刑の理由にならない]となってしまう。
つまりこの判決は「病気である。ゆえに、病気は減刑の理由にならない」と言っているのに等しい。
もちろんこの命題には全く意味がない。
もし、自分の意思で犯行を行ったため「したがって」量刑上大きく考慮すべきでない、と結論づけるのであれば、「したがって」の一言でごまかしてしまわないで、なぜそうなのかを示すべきだろう。
おそらくこの裁判官および裁判員は、精神疾患といえば自分の意思を超えて異常行動をするものだと思い込んでいる。アスペルガー患者は一見健常人と同じように見えるが、病気であるがゆえに健常人とは異なる意思を形成してしまうのだということを理解していない。
アスペルガー症候群の人は、一見すると普通の人であるがために、周囲から病気とみなされず、それがために「おかしな人」「変わった人」と扱われて、社会において非常につらい思いをする。この判決はまさにその構図に陥っている。
アスペルガー症候群に対する無理解が背景にある。
(長くなったので続きは別途)
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