このホテルは天津市内を貫通して流れる“海河”に面している。ホテルのロビー・バーが海河のボードウォークにテーブルを出しており、そこで今日はスパークリング・ワインを飲みながら、ちょっと酔っぱらってPCを叩いているのであった。昼が暑かっただけに、川面から吹いてくる風が実に心地よい。
この席に座ってちょっと驚いたのは、川の水が溢れんばかりであり、水位があと三十センチも上がれば水が足許にまで迫ってきそうなこと。
天津はかつて、大規模な洪水に何度も遭っている。
有名なのは1939年の洪水。不幸なことは重なるもので、日本軍が天津租界を封鎖した直後であった。
太行山脈あたりで豪雨があり、その約1カ月後に天津は水没した。
そもそもは別々に渤海に注いでいた五つの河川が、西暦610年に完成した北京と杭州とを結ぶ大運河≠フ建設によって流れを変えられ、西方で降った雨水が天津に集中するようになったのである。そのうえ天津の海抜は三メートルほどで海とほとんど変わらず、さらに黄土地帯を流れてくるため流水に土砂が多く、海河の河床には土砂が堆積している。このため元来天津は水害が発生しやすく、十数年から数十年に一度のペースで大洪水が発生した。
そういえば昨日の夜いたアスター・ハウスのテラスは路面から1メートル50センチほど高い位置にあった。周辺の古い建物も、みな入り口は階段を十段ほど上がったところに設けられていた。この街は洪水を前提として形作られていたのだろう。

現在は放水路ができ、洪水の心配はなくなったのだという。しかし、今僕の目の前にある川は、明日にでも水が溢れだすように見える。
この記事を「いいね!」と思った人も思わなかった人も、
何かを感じた時は是非ポチッと!↓↓↓
何かを感じた時は是非ポチッと!↓↓↓
【華北(北京・天津)の最新記事】