1929年にアメリカからの金融顧問団の一員として1年間の予定で中国に来たのだが、任期満了とともに帰国せず、アメリカ国務省を退職して中国国民政府の経済顧問に就いた。
1937年までは上海に住んだが、国民政府の移動とともに武漢、重慶と居を動かす。
妻のエレンを連れて上海から香港へと逃れたのは1937年末の南京陥落直後のクリスマスの頃。香港のホテルでのディナーのあと、暖炉の前でエレンに「自分は内陸に行かねばならない」と告げた。一週間後、エレンは涙を流しながらアメリカへ帰っていき、ヤングは武漢へと向かった。
ヤングは、全くの異文化で、かつ戦時下にあった中国に、実に20年もの長期にわたって滞在する。時に蒋介石や孔祥熙、宋子文などに金融や財政分野でのアドバイスを行い、日本との熾烈な通貨戦争を戦いぬき、勝利するのであった。
ヤングの業績については、本人著の
「China’s Nation-building Effort,1927-1937」Hoover Institution Press
「China’s Wartime Finance and Inflation, 1937-1945」Harvard University Press
「China and the Helping Hand, 1937-1945」Harvard University Press
に詳しい。
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