蒋介石の日記は閲覧できるのはコピーのみなのだけれども、拙著『カレンシー・ウォー〜日中通貨戦争』で準主役級のArthur N Young の日記などは実物を読むことができる。
彼が使った紙に、彼が使ったインクで書かれた文字を読むことができるわけで、日記をめくってゆくと、なんだか彼の書斎でその日にあったできごとを直接語ってもらっているような気分になった。
例えば上海北駅で宋子文および重光葵暗殺未遂事件が発生した翌日の1931年7月24日の記述。
直訳すると、
「上海に午前11時に着き、かわいそうな腴臚(ユールー。宋子文の私設秘書)が死んだと知った。彼は並はずれていい人間で、かつ将来有望だった(32才)。そして、誰からも好かれた。
T.V(宋子文のこと)は同じ日の朝に母親の死の知らせを受けた。彼の気持ちは沈んだが、それをあまり態度には示さなかった。腴臚は自分を守るために盾になろうとしたのだろう、と彼はいい、もしそうでなかったならば、死んだのは彼のほうだっただろう、といった。Lynch(Young の同僚)が23日の午後に彼に会ったとき、彼は聖書を読んでいたらしい。彼は24日の朝に彼の母がいた青島へ発った」

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