ドラマでは夫妻の終戦間際のスウェーデンでの諜報活動が中心に扱われるようだけど、太平洋戦争開戦直前には小野寺信は単身赴任で上海にいて、日中間の和平工作に従事していた。小野寺はこの上海駐在中も十分にドラマになり得るような活動をするのだけど、そのあたりのことを拙著「上海エイレーネー」のなかで結構詳しく書いた。
小野寺が上海に赴任した経緯について、「上海エイレーネー」P198から引用してみると。。。
一九三八年十月には、陸軍の小野寺信中佐が上海に着任し、いわゆる小野寺機関を立ち上げた。
小野寺はロシア畑の人間で、バルト三国の公使館付武官を勤めたのち、六月より参謀本部ロシア課に勤務していた。
ソ連および共産主義の南下に対する防衛は日本にとって極めて重要な課題で、中でもロシア課では危機意識が強く、ロシア課は、中国との戦いは本来対ソ連・対共産主義のために温存すべき国力の浪費以外のなにものでもないと考えていた。しかし参謀本部の支那課中心で進められてきた和平工作は遅々として進まない。未だなんら成果を得られないうちに開戦より一年以上が経ってしまっており、ロシア課の危機意識は大きくなる一方であった。
ロシア課は、一刻も早い中国との戦争終結を目指し、自らも中国関連情報を収集・分析する機関を持つことが必要と考えた。そこで、欧州駐在により国際情勢に対する感覚も磨いていた小野寺を上海に送り込んだのである。
小野寺の容姿について、「上海エイレーネー」の主人公趙靄如は
小野寺の丸い顔は、四十を過ぎた年齢には全く似つかわしくないくらいに幼く見えた。丸い眼鏡と丸い体型も相まって、なんだか愛嬌のある人だ、と靄若は思った。と言っている。
小野寺は上海着任時、「日中和平実現を目指せ」との命を受けてはいなかったが、上海赴任直後から約9か月にわたって積極的な和平工作を行った。小野寺は約50年ののちに自分の一生を振り返って妻百合子に向かって「あれほど心血を注いで張り切って働いたことはなかった」と語っており、すなわち彼にとってこの時期はNHKがドラマにするスウェーデン時代以上に熱い日々だったようだ。
その小野寺がなぜ「上海エイレーネー」にでてくるかというと、この小説の主人公のモデル、鄭蘋茹(ZhenPingru・テンピンルー)が小野寺が上海で立ちあげた小野寺機関で一時期通訳や翻訳のバイトをしていたから。鄭蘋茹は日本軍の情報が欲しくて小野寺に接近し、小野寺も鄭蘋茹がスパイであると知りつつも、中国国民政府への橋渡しをしてくれれば、と期待して彼女を雇用した。鄭蘋茹はバイトでありながらも結構大事な仕事もしたようで、軍事委員会調査統計局(国民政府の特務機関)の実質的なトップである戴笠(ダイリー)を小野寺に紹介したりもしている。小野寺は蒋介石の側近である戴笠に会えば蒋介石への直接交渉の道が開けると考え喜んで会ったが、実際にはその男はニセモノだったようだ(鄭蘋茹は事前にニセモノであることを知らなかったようで、つまり彼女も騙されていた)。
小野寺は蒋介石との直接交渉によらねば戦争の回避はできないと考えたが、汪兆銘を中心とする傀儡政権立ち上げによる和平をめざす同じ陸軍内の支那課と対立する。支那課の中心人物が謀略の天才、影佐貞昭(自民党の谷垣禎一さんの母方祖父)で、小野寺と影佐の間で熾烈な戦いがあって、鄭蘋茹もそれに巻き込まれる。結局小野寺が影佐に負けるのだが、このときもし小野寺が勝っていれば、その後に破滅に向かった日本の歴史は大きく異なるものとなっていたに違いない(ちなみに「上海エイレーネー」のなかでは、この二人の争いのとばっちりで主人公は恋人と別れることになる)。

あ、そうそう。NHKドラマの主人公、小野寺信夫人の百合子も「上海エイレーネー」のなかにでてくる(P298〜P299)。夜中にこっそり家を抜け出したことが夫にばれるのだが、実はその時百合子は夫の和平工作成功を祈って目黒区八雲の氷川神社にお百度参りに行っていた(この挿話は百合子手記に基づく史実)。
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