2016年07月06日

瓦氏夫人(5)

3ヶ月ほどほかのものを書いていたので瓦氏夫人についての記事が滞ってしまった。

で、どこまで書いたかというと、瓦氏夫人の夫、岑猛が死ぬところまで。

瓦氏夫人のことを紹介するといいつつ、ここまでは岑猛のことばかりを書いてきている。さてようやく瓦氏夫人の華々しく躍動感のある業績を書きたい、と思うのだけれども、実はまだどろどろした相続争いのことを書かなくてはならない。

岑猛の乱のあと、朝廷は田州を田寧と田州に分けることとし、田寧には流官(中央政府から派遣された官吏)を置き、田州は豪族の盧蘇が後見する岑猛の四男、邦相を土官とすることとした。ところが。。。

『明史』によれば、
邦相の兄邦彦(岑猛の次男)には芝という子があった。(岑芝は)祖母の林氏(岑猛の妾)と瓦氏と同居し、官より養田を与えられていた。その後、邦相は廬蘇(田州の有力な豪族)の専擅(せんせん。勝手にふるまうこと)を憎み、頭目の盧玉らと密かに謀り廬蘇と岑芝を誅殺しようとした。盧蘇は(事前に)これを知った。邦相は二氏(林氏と瓦氏のこと)の養田を削った。二氏は盧蘇と連合し謀議し、岑芝を梧州に走らせ、軍門(明朝の総督)に危急を告げさせた。また盧蘇は岑芝のために、人を使って邦相を刺殺してよいかと上疏した。邦相はこれを知り、刺客を殺害した。しかし盧蘇は伏兵を使って盧玉等を殺し、兵をもって邦相の家を囲み邦相を誘い出した。夜に乗じて瓦氏はこれを絞め殺した。


つまり、瓦氏は、田州を継いだ四男邦相に疎んじられていた豪族の盧蘇と組んで、邦相を排除し次男邦彦を擁立したのだった。

これが嘉靖13年(1534年)9月である。そしてその直後、これに不満の豪族たちが長男邦佐を擁立しようとするのだが、これは失敗に終わり、岑芝が田州を継ぐこととなる。

まだまだ続く。。。予定だったのだけれども、小説の方が書き終わったので、あとはそちらをご覧いただきたい。





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posted by osono at 14:44 | 著作