2016年06月02日

山海関

いま書いている長編のオープニングを河北省山海関に設定したので、ちょこっと行って見てきた。

物語では1935年に中国で実施された通貨制度改革を扱っている。当時アメリカでは、銀算出業界の要請に応じて大統領が銀価格を吊り上げていた。銀本位制度を採用していた中国では銀価格が上がればそれに並行して自国通貨高となる。極端な元高が発生し、ために中国はひどい不況に陥っていた。そこで銀の輸出に課税して銀の国内価格を海外での価格に比べて安く抑えることにした。銀の国内価格は国際価格の約半分となった。その結果、密輸が横行した。

その銀密輸の舞台となったのが山海関。山海関の北側はもう満洲国で、日本人も中国人も、せっせと銀貨や銀塊を満洲国へ持ち出した。小さめのトランクに2000枚の銀貨(だいたい50kgくらいになる)を詰めて国境を越えれば、銀貨1枚=1元は現代の日本円で1000〜2000円の価値があったので、トランク1個で数百万円相当の儲けになった。

山海関の長城の北側には満洲中央銀行の支店があった。密輸されてきた銀を買い取るために設置された支店である。一国の中央銀行が密輸に加担していたんだから、まあひどい話だ。

image.jpegさて、山海関はちょっと前まで万里の長城の東の端っこといわれていたところ(いまは遼寧省の虎山長城が東端とされている)。写真は長城が海に落ちる老龍頭で、すなわち東の端っこの山海関のなかの東の端っこ。海にはみ出して長城がつくられている。


image.jpegで、で、でかいね。まさに中国という感じ。写真は山海関の正門ともいうべき「天下第一関」。老龍頭から5kmほど内陸になるのだけど、むかしは老龍頭からここまで長城が連なっていた。


image.jpegそして山海関駅。満洲国との境の駅ということで数々の小説にも描かれている。おそらく駅も線路も場所は1930年代から変わっていない。張作霖も爆殺される直前にこの駅に立ち寄ったはず。『カレンシー・ウォー』を書いている時に読んだ資料の中に、1938年に大蔵省の財務官以下3人が北京へ赴任するため山海関駅に立ち寄り、税関検査のために荷物をいったんプラットフォームにおろしたら、汽車が走り出して焦った、ということが書いてあった。そんな事件もこの写真の奥のほうに写っているプラットフォーム上でのできごとだ。

冒頭で、(山海関に)「ちょこっと行って見てきた」と書いたけど、つまりは日帰りで行ってきたということ。僕は結構汚いところへも平気で行けるけど、夜寝るところだけはきれいなところにしたい。そこで天津に宿泊して日帰りすることにした。高鉄で天津から山海関へはわずか1時間ちょっとで、かつ頻繁に便があるので楽チンだった。

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posted by osono at 23:36 | 著作