双嶼というのは特定の都市の名前ではなくエリアの名前であって、寧波に近い、六横島西岸のふたつの港と佛渡島の港、梅山島の港があわせて双嶼と呼ばれていたらしい。
昨今、邦人が中国軍事基地のそばにいったらつかまった、なんてニュースをちらほらみかけるのでちょっと怖かったのだけれども、小説の重要な舞台となるので、六横島にいってみた。
動画は、六横島西岸の港のうちのひとつであったであろう場所の背後の丘の上から撮影したもの。海峡の向こうに佛渡島が見えている。
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海賊の巣窟でもあった双嶼は、1548年、浙江巡撫兼福州漳州泉州等海道提督軍務の朱紈の攻撃によりほろびた。
もしも朱紈が双嶼を攻めなかったとしたら。
おそらく双嶼は香港やマカオと同じような歴史をたどり、香港、マカオにまさるとも劣らない貿易都市として現代にいたっていたに違いない。ひょっとすれば上海は存在せず、中国最大の経済都市は双嶼という名だったかもしれない。
しかし実際には、六横島西岸南側の港だっただろう場所については、なんともさびれた寒村になっている(北側は造船場になっている)。そこまでいくのも結構大変だった。ミニバスが走っているけど本数が少なくて使えない。白タクに乗ったらぼったくられた。。。
朱紈の双嶼攻略について、 詳しくは→ |
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