
オリジナルの駅舎を外側から撮ったもの。美しい!(もともと白黒画像だったものに色をつけてみた)

それが日中戦争で日本軍の空爆を受けて無残な姿に。この変わり果てた姿で1987年まで使用された。

爆撃を受けた直後のものだけど、プラットホームと奥の駅舎の位置関係がよくわかるので。いつもここを宋子文と重光葵が連れ立って歩き駅出口へ向かった。

上海北站はターミナル駅であり、複線の線路が駅に近づくとどんどん枝分かれしていって、駅舎の前でそれらの線路がどん詰まりになるようになっていた。それは現在もそのまま残っており、宝山路站の窓から見ることができる。

駅舎内のカフェの写真。

駅舎内のサービス・オフィスの写真。これも爆撃直後のもの。
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