2014年09月14日

武漢の宋慶齢故居

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宋慶齢は1927年の前半をこの建物の二階で過ごした
宋子文について調べている時、The North American Newspaper Allianceの特派員として中国を訪れた作家Vincent Sheeanの次の文章に惹きつけられた。これはSheeanが1927年夏に宋慶齢へのインタビューを行った時の様子を描いたもの。和訳して引用すると……
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この扉から慶齢が現れたのだろう。
扉の向こうには廊下を隔てて慶齢の居室がある
財政部2階の明かりの消された応接室の端のドアが開き、黒いシルクの服をまとった、小柄で、はにかみ気味の中国女性が入ってきた。彼女の繊細で、か細い手のひとつにはレースのハンカチーフが、もうひとつの手には宋子文からの紹介状が握られている。彼女が声を発した時、私は飛び上がりそうになった。やわらかく、やさしく、思いのほかに甘い声だった。直射日光を避けるためにブラインドが閉められており、彼女がすぐそばに近づいてくるまで、その姿はおぼろげにしか見えなかった。彼女を見て私は当惑し、いったいこの女性は誰なのだろう、と思った。孫文夫人には私が知らない娘がいたのだろうか?この優雅に現れた、壊れそうで、臆病そうな女性が、世界で最も名高い女性革命家だとはなかなか信じることができなかった。
Vincent Sheean 「Personal History」P225〜P226より

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慶齢の寝室
宋三姉妹の若い頃の写真を見ると、どうみても慶齢が一番、かつ圧倒的にかわいい。長女の靄齢と次女の慶齢は仲が良くなかったという話がある。もしそれが事実ならば、その根本原因は靄齢の慶齢に対する嫉妬だったのではなかろうか。慶齢の夫は国父とも呼ばれる革命の英雄で、夫亡き後、慶齢は革命のシンボルとして中国国民全てに敬愛された。一方で靄齢の夫は国民党の首相格である行政院長も務めた孔祥煕だが、アメリカから中国の政治・経済・軍事情勢の調査のために派遣された特使が行ったルーズベルト大統領宛の報告で無能とはっきりと書かれてしまうような人物であった。加えてあの容姿の違いである。ハイスクール時代、慶齢は男子に相当にちやほやされたに違いない。他方で靄齢は……

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書斎

Sheeanが慶齢に会った財政部の建物は現存している。場所は武漢漢口の長江岸。

僕はSheeanの受けた感動を、宋子文の前半生について描く小説に採り入れたくて、2012年末にここを訪れた、が、改修中ということで中に入れなかった(それについては「重慶と武漢」に書いた)。2013年春にも行ってみた、が、未だ改修中だった。

そしてこのたび、ついに建物の中に入ることができた。「宋慶齢故居」として無料で一般公開されている。

Sheeanが慶齢に会見したと思われる部屋にも入ることができる。窓の少ない部屋で、外では晩夏の太陽が怒り狂っているのに、中はぼんやりと薄暗かった。人がめったに来ないので想像というタイムマシンに乗るのは難しくなかった。薄明かりの応接室のドアがゆっくりと開き、しなやかに現れた慶齢は、僕に向かって優しく微笑んだ。







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