2014年09月11日

廬山 その3

(その2からの続き)

フロントの横の部屋に閉じ籠ってまだ寝ていたフロント嬢を叩き起こし、パジャマ姿で寝癖髪の彼女からデポジットを取り返してチェックアウトしたのが7時半。

image.jpg宿の隣の「美廬别墅」が既にオープンしていたので入場した。美廬别墅は蒋介石・宋美齢夫妻の別荘。実際に使っていたという家具も置かれており、ふたりの語らう声が聞こえてきそうだった。ただし、この別荘を夫妻が入手したのは1933年頃のようなので、小説で描く1931年には蒋介石はここには滞在していなかったと考えるべきなのだろう。

そのあと巡回バスの東線に乗って「含鄱口」へ。

image.jpgロープウェイに乗るのに30元をとられ、さらに含鄱口に入るのに25元をとられた。昨日の石門澗でもそうだったし、その他人気のある観光スポットに入るところでいちいち入場料を徴収される。入山料を180元も払っているのに、それはやりすぎでは、と思うのだが、他国でのことだし批判してみてもはじまらない。ここでも急な階段を下り、帰りはのぼってこなければならない。段数は350段ほどだったので石門澗に比べればましだったけれども、僕の足には昨日の疲労が残っており、相当にしんどかった。
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歩いて下りていった先に現れる滝


image.jpg次に「五老峰」へ。文字通り五つの峰があって、それをひとつづつ巡っていく。すばらしかった。天を突く峰々と断崖絶壁、そこをはいあがってくる白い雲。この登山道は全長6km。昨日の石門澗と午前中の含鄱口で足が疲れ切っており、そんな距離を歩けるだろうかと、ものすごく不安だったのだけれども、絶景に背中を押されてなんとか無事に踏破した。

image.jpgなお、多くの観光客はここを訪れないらしい。実際、他に比べてここは人がかなり少なかった。どうしてだろう。石門澗も含鄱口も、そしてもうひとつの人気スポットである三畳泉もいずれもロープウェイなどで下り、さらに何百段もの階段を下っていったところに滝がある。言ってみればいずれも似たような感じなのに、それらはいずれも必見とされる。僕にとっては五老峰が一番だった。高いところ、高いところへ行きたいというのは人の本能のように思っていたけど間違いだろうか。せっかく高地に来ているのに標高が下がる方向へはあまり行きたくないと感じるのは僕だけなのだろうか。それとも、いくつもある日本人と中国人との間の小さな感性の違いのひとつなのだろうか。
五峰から四峰方向を望む。雲が生きているかのようだ


ついには杖を突いて歩く老婆にも抜かれる程に疲れてしまった。登山道から逸れて渓流岸に座り込み、清流に両足をつけて休憩した。足湯ならぬ足冷水では効果はないかとも思ったが、そのまま15分程じっとしていたら足がずいぶんと楽になった。その勢いで巡回バスの西線に乗り「錦綉谷」へ。崖に貼りつくように巡らされた1.5km程の遊歩道を歩く。
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錦綉谷。廬山西側の山々は東側に比べてやや曲線的


そして15時30分発の九江行きバスで下山。

そのあと、ホテルにたどり着くまでがまたキツかった。

足が痛くてちょっとした階段の上り下りでも苦行のよう。九江駅前の地下道を歩くとなぜか咳がではじめ、周りを歩いている人達もなぜか一様に咳をしているので、息を止めて地下道を駆け抜けた。駅の待合室はうるさくて、どこからともなく歯槽膿漏の臭いが漂ってきて、トイレの汚さに閉口した。とはいっても、汗を大量にかいたうえに昨日と同じTシャツを着ている僕も悪臭を発しており周囲の人が息を止めているのではないかと不安になった。CRHは混んでいて一等が取れず、隣席のおじさんの肘掛からはみでてくる肘と2時間格闘し続けなくてはならなかった。武漢站では地下鉄が終わっていたためかタクシー乗り場が長蛇の列で、タクシーに乗るのに30分かかった。

23時30分。ホテルにたどり着いた時は嬉しかった。五老峰のてっぺんに着いた時より嬉しかった。ホテル前のコンビニでビールを買って、バスタブに湯をはってゆっくりと湯につかり、ルームサービスのワンタン麺を食べて………あとは記憶がない。おそらく僕は融けた。







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