2014年09月10日

廬山 その2

(その1からの続き)

廬山山上の牯岭鎮に着いたのは13時頃。疲れていたが短い滞在を有効に使うためにすぐに観光に。巡回バスの「西線」に乗った。

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このような断崖が続く

「大天地」で下車し、「龍首崖」を経て、「石門澗」へ。景色がどうこうというのは各観光ガイドに譲り省略することとして、何はともあれ驚いたのはその高低差。下る、下る、そしてまた下る。45度程度の坂をひたすら下る。石で整備された階段なので歩きやすいのだけれども、途中で「あとでこれを登らねばならないのか」と気がついた。谷底からの帰りにいったい何段登るのかと数えてみたらなんと1400段強!超高層ビルの最上階から歩いて一階に行き、すぐに最上階に歩いて戻った、という感じ。汗でTシャツはスコールに遭ったみたいにずぶ濡れになった。ふくらはぎと太ももははちきれそうになった。その日はそのあとずっと、一歩を踏むたびに、あやつり人形のように膝がガクガク震えた。

image.jpgその日の宿は「美廬山荘」。蒋介石・宋美齢の別荘「美廬别墅」に隣接しており、かつ、きれいそうなのでそこにした。3つ星から4つ星の間というところかな(廬山には5つ星級以上、もしくはそのサービス水準以上のホテルはおそらくない)。古い別荘を改修してホテルとして利用している点は良かったのだけど、レストランとかはないし、夜になると玄関の鍵がしめられてしまったり、その他諸々の事由により、イマイチだった。

翌朝は日の出直前に、自分で玄関の鍵を開けて、別荘地の散歩に。朝靄に覆われた松林の中、車の音もなく、人影もなく、実に快適だった。

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実はこの散歩が今回の廬山行の第一の目的。蒋介石暗殺未遂の場面設定をしようと思い、みつけたのが上の写真の径。

image-a0e25.jpgこの坂を朝の散歩中の蒋介石が衛兵を引き連れてのぼってくる。木陰に隠れてふたりの刺客が息を殺し襲撃のタイミングをはかっている。 そしてもうひとり、孫文の三民主義に傾倒し三民主義から逸れてゆく蒋介石を憎悪するこの短編小説の主人公が、ふたりの刺客の監督者として右の写真の視点で見ている………

ちなみにこの写真はいまは廃墟となっている孔祥熙の別荘の敷地内から撮っている。そのすぐ隣には、かつては宋慶齢の別荘が建っていた。

(その3へ続く)







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