2015年02月27日

外灘(バンド)歴コラ

アングル内のほとんどのビルが現存しているので意味がないような気もしたのだけれども、女神像が建つ姿はいまは見られないので、歴コレの最終回(のつもり)として外灘の風景を。

僕の本の中では頻繁に外灘の景色が出てくる。

中でも『上海エイレーネー』では主人公の趙靄若が女神像=ニーケーを好きで、ほぼ全ての章で靄若とニーケーとの会話がある。

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元画像があまりはっきりしていなかったので拡大表示には堪えず。。。
posted by osono at 09:43 | 著作

2015年02月25日

昨今の“インバウンド”ブームを見ていて思うこと

ここ半年ほど、株式マーケットは「インバウンド」祭り。ラオックスやドンキホーテ、象印など中国人観光客の爆買い関連銘柄から始まり、日本空港ビルディングや京成電鉄など交通関連や帝国ホテルなど宿泊関連等々、次から次へと銘柄が発掘され、買い漁られている。

まあ20年近く日本と中国の間を往復してきた人間としては「いつかは必ずそうなる」と思っていたことであり、むしろ「思っていたよりもずいぶんと遅かった」という印象なのだけれども、一方で、昨今のお祭り騒ぎを見ていると、なんだか不安にもなってくる。

20年の間に見て、聞いて、その結果身体に染み付いたことはいくつかあるけれども、そのうちのひとつが、日本と中国とは定期的に必ず疎遠になる、ということ。政治・外交上の問題だけではなく伝染病の発生なども含め、数年に一度、日本から中国へ、もしくは中国から日本への人やモノの流れに大きな影響を与える事件が発生する。日本と中国とのつながりにはいい時期と悪い時期とがあって、それが波のように繰り返される。

僕が中国にかかわった20年弱について遡っていくと、
2012年9月の尖閣国有化前後から昨年にかけての日中関係の悪化を忘れている人はいないだろうけれども、その前にも、
2008年の殺虫剤入り餃子問題があって中国からの食品輸入に対する不安がつのり、
2005年には上海他で反日デモの嵐が吹き荒れ、同年は鳥インフルエンザも猛威をふるい、
2003年前後にはSARS騒動があって中国駐在員も多くが日本に帰り、
1997年のアジア金融危機のあとは一時期ANAの東京―上海直行便もなくなった。

「親中」と「嫌中」のふたつにわけるのであれば、僕は明らかに前者だし、一年程前にはこのブログで日中関係悪化を憂う記事を頻りに書いていたのに、いま日中交流の蜜月に水を差すようなことを書くと「あまのじゃく!」と指差されてしまいそうだけれども、地震予知風に表現するならば、

――日中間の交流は、今後2〜5年以内に90%の確率で悪化する。

もっとも、その悪い時期の次にはまたまたいい時期がくるのだろう。でも、いまの株式マーケットのように、今後ずっといい時期が続くことを前提として行動するのは大変あやうい、と思う。
posted by osono at 13:41 | おかしいと思うこと

2015年02月22日

上海競馬場、グランド・シアター、静安寺路

再びFBのこちらのスレッドで教えてもらった画像で再びアイコラならぬ歴コラをつくってみた。

中央を貫く道路は静安路(現南京西路)。左側は上海競馬場。「GRAND」の文字は大光明電影院(グランドシアター)。

この場所は拙著「カレンシー・ウォー」で出てくる。

主人公柳場賢がカジノでアメリカ人の中華民国金融顧問A.N.ヤングにボロ負けして借金をつくってしまったシーン。支払うカネが足りないと言う柳場に対してA.N.ヤングが言った。
「その差額分として、ちょっとこれからあるところに付き合ってもらえないか」
「あるところ、ってどこだ」
「それを訊かずについてくるというのも利子分ということで」
 わけのわからない提案をしてくる男の言葉の意味を考えるのが次第に面倒になってきた。
「いいだろう。好きにしろ」
 柳場はそう言って、先に出口に向かって歩き始めた。

 男の黒塗りのパッカードは静安寺(バブリング・ウェル)路(現南京西路)を西に向かった。
 柳場は車窓をうしろへ流れていく商店のショウ・ウインドウの灯りを見ていた。
 車に乗ってから男と全く言葉を交わしていない。
 社交的ではない柳場でも、素性を全く知らない相手と車の後部座席で並んでいることには少々気まずさを感じる。
 柳場は男に尋ねた。
「アンタ。アメリカ人なんだろ」
 男は自分の横の窓のほうを見たままで何も答えない。
「なんだよ。愛想のない男だな。せめて名前ぐらい言ったらどうなんだい」
 やはり男は黙ったままである。男の視線の先は競馬場の敷地である。柳場の側とは違って光がなく、見つめるべきものは何もない。
「やれやれ。最悪の夜だな」
 柳場はそう呟いて視線を車窓に戻した。
 静安寺路が緩やかに右に曲がってすぐのところで車は停止した。
「なんだよ。ここかよ」
 車を降りると、目の前には仙楽斯(シロス)のきらびやかな光があった。仙楽斯は上海の不動産王、エリス・ヴィクター・サッスーンの資金で開業した上海一の高級ナイト・クラブである。

つまり柳場はA.N.ヤングの車に乗せられて写真の道を手前から奥に向かって進んだ。そして、写真の奥の方で右に折れたところで車を降りた(残念ながらこの写真には大光明電影院に隠れてシロスは写っていない)。

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posted by osono at 01:56 | 著作

2015年02月20日

上海劃船倶楽部(ボートクラブ)

上海の蘇州河畔にかつて「劃船倶楽部(ボートクラブ)」があった。下の写真は当時の白黒写真にちょっと色を加えてみたもの。

上海ノース・ステーション』では、悪者二人が悪い相談をしているシーンの密談場所として、この写真の右側(ボートクラブから蘇州河を挟んだ北蘇州路上)に設定した。

以下は該当部分の一部抜粋。
 田中隆吉は横殴りの雨の中、上海北蘇州路の歩道を早足で歩いている。
 すぐ左側を流れる蘇州河は水位が上がり、河水がいまにも道路に溢れ出してきそうだ。この雨の中で船を動かすものはいないようで、川面には多数の小船が繫留され、上流の方角から吹き下ろしてくる風に吹かれて木の葉のように大きく揺れている。
 前方左手に劃船倶楽部が雨のベールに隠れておぼろげに見えてきた。一時間ほど前に許清より連絡があり、劃船倶楽部から蘇州河を隔ててちょうど正面の対岸で会おうと言ってきた。田中は、許清がそのような場所を待ち合わせ場所に指定したことを腹立たしく思っていた。わかりやすい場所でありながらも人通りが少ないので密会場所として選んだのだろうが、雨を避けて待つことができる商店の軒先も街路樹も一切ない。もしも許清が自分に遅れて待ち合わせ場所に現れるようなことがあれば、何も言わずに首を絞めてやろうと心に決めた。


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posted by osono at 23:32 | 著作

上海北站フォトギャラリー

上海ノース・ステーション」読者のご参考に、上海北站の画像を集めてみた。

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オリジナルの駅舎を外側から撮ったもの。美しい!(もともと白黒画像だったものに色をつけてみた)

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それが日中戦争で日本軍の空爆を受けて無残な姿に。この変わり果てた姿で1987年まで使用された。

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爆撃を受けた直後のものだけど、プラットホームと奥の駅舎の位置関係がよくわかるので。いつもここを宋子文と重光葵が連れ立って歩き駅出口へ向かった。

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上海北站はターミナル駅であり、複線の線路が駅に近づくとどんどん枝分かれしていって、駅舎の前でそれらの線路がどん詰まりになるようになっていた。それは現在もそのまま残っており、宝山路站の窓から見ることができる。

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駅舎内のカフェの写真。

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駅舎内のサービス・オフィスの写真。これも爆撃直後のもの。

posted by osono at 15:35 | 著作

2015年02月18日

「上海ノース・ステーション」出来!

『上海ノース・ステーション』(電子版)リリースしました!

1931年7月23日に発生した宋子文暗殺未遂事件をもとにした短編歴史ミステリー
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上海ノース・ステーション
電子書籍: 691 KB(紙の書籍で100ページ相当)
発行日: 2015年2月18日 初版
著 者: 大薗治夫
定 価: 356円
  アマゾンで購入


*あらすじ
1931年7月23日、上海北站(ノース・ステーション)で中国財政部長宋子文が南京発夜行列車から降車したところを襲撃された。刺客の数は十人を超え、宋子文の衛兵との間で激しい銃撃戦となったが、宋子文はかすり傷ひとつ負わず、しかし彼の私設秘書が三発もの銃弾を受けて死んだ。この列車には重光葵駐華代理公使も乗っていた。宋子文と重光が同じ列車に乗る時は決まって二人連れ立って列車から降りるのだが、この日に限って重光は一足先に降車し、そのために難を逃れた。この事件の裏には、複雑な事情と大きな陰謀が隠されていた。物語は霧に覆われた早朝の廬山での蒋介石暗殺未遂事件から始まる。

*目次
6月14日早朝   廬山
6月14日正午   廬山
6月15日     廬山
6月26日     南京 日本公使館
7月 5日     上海 ラファイエット路
7月12日     上海 虹口
7月14日     上海 四馬路
7月15日     南京 貢院街
7月22日午前11時 南京 財政部
7月22日午後4時  上海 蘇州河畔
7月22日午後8時  南京 太平路
7月22日午後10時 南京火車站
7月23日未明   昆山
7月23日朝晨   上海北站 燕克治
7月23日朝晨   上海北站 小島譲次
7月23日午前10時 上海 海関総税務司署
posted by osono at 16:04 | 著作

2015年02月07日

ニューヨーク・タイムズでタイムスリップ

1931年7月23日早朝の上海北站で起こった宋子文暗殺未遂事件について調べていて、ふとニューヨーク・タイムズのウェブサイトを訪ねてみたら驚いた。

1851年以降の全記事を検索できるのだという。

ちょっとした感動。

記事は全てリアルタイムに書かれているのだから当然ながら当時のことが鮮やかに蘇る。宋子文の心臓の鼓動が聞こえ、硝煙の匂いが漂ってきそうなくらいだ。

それが僕のデスクでキィーボードをパタパタ叩くだけで読むことができるのだからすごい。

ただ、全てが無料というわけではない。検索をし、サマリーを読むところまでは無料だけれども、紙面をPDFで開くためにはおカネを払わなくてはならない。

最初の4週間は99セント、以降は1週間3.95ドル。最初の4週間については安いけれども、以降の料金は、たま〜に検索するだけの人間にはちと高い。

申し込んで必要な記事だけ読んだあとにすぐ解約すればいいかと思い、F&Qで解約方法を見ると、「解約する時には電話等で連絡しろ」って書いてある。めんどくせぇ。いかにも解約させる気がなさそうだ。解約しようとしても、なんだかトラブルになりそう。

で、最初は記事閲覧を我慢しようと思ったのだけれども、しばらくするとどうしても記事が読みたくなってきて、結局「えいゃ」って申し込みボタンをクリックしてしまった。

せっかくなので、1931年7月24日に掲載された宋子文がインタビューに応じて語った内容を和訳して載せておこう。
駅の外に向かって歩き出口から十五フィートほどのところまで来た時、両側から銃を撃ち掛けられた。自分が射撃の目標なのだと思い、暗い駅舎の中では目立ちすぎる白い帽子を冠っていたのでそれを放り投げ、人の群れに向かって走り、柱の陰に身を隠した。駅舎の中は煙に包まれ、銃弾が四方八方から飛んできた。私の衛士はすぐに反撃した。駅舎内の煙が消えるのに五分はかかった。私の衛士は少なくとも四人の刺客が銃を撃つのを見た。人数はもっと多かったかもしれない。煙が消えた時、私と並んで歩いていた秘書が腹部と尻、腕を撃たれたことがわかった。銃弾は彼の身体の両側から入っていた。彼の帽子とブリーフケースにも弾痕があった。彼に比べてずっと背が高い私が傷を負わなかったことは奇跡としか言いようがない。

posted by osono at 19:57 | Comment(0) | 著作

2015年02月04日

中国の銀行でセカンドIDの登録が必須となったと言われた件

image.jpgつい先日のこと。

中国のシティバンクのインターネット・バンキングが使えなくなっていた。

上海和平飯店1階の支店で訊いてみると、昨年より必要となったセカンドIDの登録がなされていないので口座が凍結されている、との由。

セカンドIDとは我々外国人の場合はパスポート以外の身分証明書のこと。駐在員ならば居留証や免許証があればそれを登録できるだろう。でも僕のような出張者や旅行者の場合はどうすればいいのか。中国国内で通用するIDでなければ不可だそうで、つまりは日本の免許証や健康保険証とかではダメなのだ。

支店の受付君、
「国際免許証はもっていますか?」
「もっているけど、日本においてきたよ」
「じゃあ次に中国に来る時にもってきてください」
「でも、国際免許証って中国では使えないよ。それでもいいの?」
「あっ、そうか。じゃあだめです」

でも、自分の口座のお金をおろせないなんてことがあっていいはずはない。このままでは国際紛争に発展する、と思いつつ粘ってみると、
「じゃあ、ホテルで「この人は当ホテルに宿泊しています」と書いてもらって、それに印鑑をもらって持ってきてください」
とのことだった。

「めんどくせぇ」と思いつつも文句は言わず、ホテルに帰って「境外人員臨時住宿登記単」なるものをもらって支店に戻る。

その後30分ほど待たされて、
「明日午後から口座は復活するでしょう」
と、受付君。それじゃあ今日中にキャッシュが手に入らないじゃないか、と大いに不満だったけれども、ぐっと堪えて支店を出て、次の太陽が昇るのをジッと待った。

しかし翌日。口座は凍ったままだった。正午を過ぎても溶けない。14時が過ぎてもキンキンに凍っている。

15時まで待って支店に行った。

待つ。待つ。待つ。

30分ほどした頃、女子行員に「オソノサン?コニチハ」と声を掛けられた。前日に店頭で長いことトラブっていたので名を覚えたのだろう。キャワイイ。目がクリクリしている。沈んだ気持ちが一瞬晴れた。

さらに待たされる。。。

15分して再びクリクリおめめの女子行員が現れた。彼女は僕がいつまでも待たされているのを見て、状況をあちこちに問い合わせてくれた。

どうやら本店のバックオフィスが「境外人員臨時住宿登記単」に公安の印章がないから手続きできないと言っているらしい。

それはあんまりだと思い俯くと、彼女は「一緒に公安に行きましょう」と、輝く笑顔で言った。

外は雨。彼女は傘を持っていなかった。公安まで10分ほどの相合い傘。ド、ドキドキした。

公安に着き彼女が受付のおばちゃんに印鑑を押してほしいと頼むと、受付おばちゃんは「その紙に印は不要。絶対に不要」ときっぱりと言った。

彼女は申し訳なさそうな顔をして僕に謝り、「支店に戻って交渉します」と言って帰っていった。

その日の夜は宴会があったのだけど、僕は終始なんだか不機嫌だった。最終的にはなんとかなると思ってはいるのだけれども、少ないとは言えない額の資産が消えることを想像すれば誰であっても気分は沈む。

翌朝10時頃。シティバンクから電話があり、口座が復活したと告げられた。

僕は電話を切ってすぐに「ヤッタ」と声を上げた。

ただすぐに、ホテルの滞在期間が終わればIDの有効期限切れということで再び口座を止められるかもしれない、と思い、再び気分が沈んだ。

しばらくしてクリクリおめめの女子行員から
「口座が復活したそうです」
とのショートメッセージが届いた。

僕は、手を尽くしてくれたことのお礼に続け、
「また会えるといいね。と言っても、またトラブルに遭いたいと思っているわけではないけどね。HaHa」
と書いて返信した。

(ところでHSBCでは問題なくお金をおろせている。どういうことなんだろう、と思うけれども、HSBCで訊いたら「じゃあセカンドIDを登録して」と言われそうで、怖くて訊けない)
posted by osono at 22:34 | Comment(0) | 中国経済