2014年09月30日

昨今の障害者関連事件に関するネット上での論調を見て思うこと

もう一ヶ月ほど前のことだが、夏の甲子園優勝校大阪桐蔭の中村誠主将が中学3年生のころに書いた作文がずいぶんと話題になっていた。

中村少年には突然障害者になった友人がおり、作文はその友人を見て学んだことを記している。一部引用すると、
友達を見て、初め「かわいそう」だと思っていました。でも一生懸命にリハビリに取り組んでいる友達の姿を見ていると、僕は「かわいそう」と思うのは良くない事だと思うようになりました。なぜかというと、人に対して「かわいそう」と思うことは、その人を見下しているように思ったからです。

この作文は複数サイトに転載され、数万から十数万もの「いいね!」を得て拡散したようだ。

僕は「いいね!」をためらった。この作文は確かにいいと思う。誰かをみて「かわいそう」という感情を抱くとき、本人にそういう自覚がなくても、そこには往々にして相手を低くみる気持ちが隠れている。そのことに中学生でありながらも気づいた中村少年の感性はすばらしい。

でも僕は「いいね!」をクリックしなかった。この作文が何十万人へと伝播していくとき、果たして中村少年の趣旨は正しく伝わるのだろうか、「「かわいそう」と思うのは良くない事だと思うようになりました」という一文を「障害者を特別扱いするべきではない」という意味だととらえる人が少なからずいるのではなかろうか、と思ったのだ。

もちろん特別扱いされたくないという障害者もいるだろうけれども、そうでない人もおり、特別扱いされることを必要としている人も確かにいる。少なくとも僕の兄はそうだった。アスペルガーの特徴として、一見しただけでは障害者であることがわかりにくい、ということがあげられる。だから兄は学校や職場で健常者と同じように扱われたのだが、そのことが兄を大いに苦しめた。「こだわりが強い」とか「暗黙のルールがわからない」といったことなどから、周りの人と仕事の進め方がどうしても異なってしまう。周囲は兄のことを自分と同じだと思っているので「どうしてそんな仕事もできないのだ」と感じてしまう。そうした感情がいじめにつながった。彼が通った複数の学校や職場のいずれにおいてもひどいいじめがあった。兄は特別扱いされることを望んでいたと思う。少なくとも周囲が兄はちょっと違った人間なんだと考えてくれさえすれば、彼の人生は全く違うものとなっていたはずだ。

中村少年の作文は「自分と人は違っていて当たり前なのだし、その他人を認めることは最も大切なことだと思います。世の中のすべての人が自分と違う他人を受け入れることこそ、差別のない社会の実現につながっていくように思います(後略)」と結んでいる。全くもって至言、というべきか。

さて、昨今精神疾患をもつ、もしくは精神疾患をもつと思われる者による事件が複数あり、そのたびにインターネット上では「精神障害者だからといって特別扱いするな」との論が多数書き込まれた。一方でそれに対する反論も少数ながらもあるようだが、後者は精神障害者もしくは精神障害者の近親者により書き込まれている場合が多いようだ。よって論が分かれるのは精神疾患に対する理解の深さの違いによるのではないかとも思われるのだが、もちろん後者の意見が絶対に正しいとは言い切れない。精神障害者およびその近親者の場合、障害者寄りに過ぎ、社会全体の利益を考えた時にはバランスを失しているということがあるかもしれない。ただ少なくとも言えるのは、前者の意見が精神疾患に対する深い理解なしに述べられているのだとすれば、それはちょっと待ってほしい、ということだ。意見を言うのではあれば精神疾患についてよく理解したうえでにしてほしく、理解をしていないのであれば、せめて黙っていてほしいと思う。







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2014年09月17日

上海エイレーネー書評

aaaa.jpgこちらのブログで拙著「上海エイレーネー」を紹介いただいた。絶賛いただき、嬉しいのでリンクさせていただく。「上海エイレーネー」未読のかた、ぜひ当該ブログ記事を覗いてみてくだされ。あっ。でも大薗の書くものは読まないと決めている人はリンクをクリックしないように。絶対に読んでみたくなってしまい、後悔することになるから。

そのブログ記事はこちら↓
http://ameblo.jp/apoyando5282/entry-11922832639.html
アマゾンにてご購入はこちら↓
http://www.amazon.co.jp/dp/4434187694/
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2014年09月15日

武漢上海間はCRH(高速鉄道)で その2

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旧漢口駅。現在は全く使用されていないようだ

2012年末に書いた「武漢上海間はCRH(高速鉄道)で」は検索エンジンでよくひっかかるようなので、調子に乗って続編を書いておこうと思う。

再び武漢から上海までCRHに乗ったのだが、切符を買うまでにちょっと試行錯誤した。

前回この路線に乗った時、5時間をわずかに切って走る列車があり、それを利用した。いまは5時間ぴったりで走る列車があって、他の列車のほとんどは6時間以上かかるので、なるべくならその5時間の列車を利用したいと考えた。ただ、上海到着が18時35分とちょっと遅い。その日19時過ぎから上海で大事な打ち合わせがあり、間に合うだろうけれども、万が一を考えるともう少し時間の余裕がほしい。

しかし、もっと早く上海に着く列車はみな6時間以上かかるうえに、商務座が連結されていない。となりの座席に座った、携帯の着信音がやたら大きく、イヤホンもせずにipadでビデオを見て、歯槽膿漏のにおいがきついおっさんと6時間もの間肘掛けの陣地争いをするなんて、僕にはとてもできない。

しょうがないから飛行機で帰るか、と考えていた時、ふと、「なんで上海まで所要5時間の列車と6時間超の列車があるのだろう。いくらなんでも差がありすぎないか」と思い、「そういえば、南京から上海の間は複々線だった。CRH専用線を走る列車と在来線を走る列車とがあって、そのため南京から上海への所要時間が列車によって大きく異なるのでは」と思い至った。

調べてみると武漢から南京までの所要時間はどの列車でも4時間弱程度であり大差なく、南京から上海間が、速い列車が1時間程度、遅い列車が2時間程度かかることがわかった。つまりおそらく、武漢から南京までは全列車在来線を時速150km程度で走り、南京上海間は、CRH専用線を時速300km程度で走るものと在来線を時速150km程度で走るものとがあるのだろう。

で、考えたのは、南京で乗り換えるという案。調べると、午前中に武漢を出て南京まで行く列車で商務座があるものがある(寧波行きの列車なので、武漢―上海間で検索した時には出てこなかった列車)。南京乗り継ぎで上海まで時速300kmで突っ走る列車に乗り換えればどうか。

結局そういう経路で切符を買った。そして9時に武漢を出て14時48分に上海に着いた。南京での乗り継ぎ時間が44分なので、列車に乗っていた時間は合計で5時間4分也。武漢南京間、南京上海間のいずれも商務座に乗ることができた。

なお、南京での乗り換え時間として40分以上みたが、15分程度でも十分のようだ。南京で列車を降りたあと、いったん駅の外に出てから再び駅の中に戻ってこなくてはならないと思っていたのだけれども、乗り継ぎの場合はホームから待合室へ直接行くことができる。





レンタル彼氏 あらすじ

rentals.jpg先頃刊行した「レンタル彼氏」の、紹介文を掲載させていただきます。


上海駐在員の僕はひょんなことからいきつけのバーのウェイトレスとともに極寒の哈爾濱(ハルビン)へ旅することになった。彼女の実家に行き恋人のふりをして、娘の早い結婚を望む彼女の両親を安心させるためだ。やたらハイテンションなお母さん。なにかと張り合いたがるお父さん。この二人を騙しとおすことができるか?影のあるお祖父さんはいったい何者?小悪魔のような彼女の妹の誘惑をかわすことはできるのか?そして、僕と彼女の関係は……


レンタル彼氏
 電子書籍: 763 KB(紙の書籍で40ページ相当)
 発行日: 2014年9月5日 初版
 著 者: 大薗治夫
 定 価: 103円
 ご購入:右のアマゾンのアイコンをクリックし、
     購入ページへ進んでください。

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2014年09月14日

武漢の宋慶齢故居

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宋慶齢は1927年の前半をこの建物の二階で過ごした
宋子文について調べている時、The North American Newspaper Allianceの特派員として中国を訪れた作家Vincent Sheeanの次の文章に惹きつけられた。これはSheeanが1927年夏に宋慶齢へのインタビューを行った時の様子を描いたもの。和訳して引用すると……
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この扉から慶齢が現れたのだろう。
扉の向こうには廊下を隔てて慶齢の居室がある
財政部2階の明かりの消された応接室の端のドアが開き、黒いシルクの服をまとった、小柄で、はにかみ気味の中国女性が入ってきた。彼女の繊細で、か細い手のひとつにはレースのハンカチーフが、もうひとつの手には宋子文からの紹介状が握られている。彼女が声を発した時、私は飛び上がりそうになった。やわらかく、やさしく、思いのほかに甘い声だった。直射日光を避けるためにブラインドが閉められており、彼女がすぐそばに近づいてくるまで、その姿はおぼろげにしか見えなかった。彼女を見て私は当惑し、いったいこの女性は誰なのだろう、と思った。孫文夫人には私が知らない娘がいたのだろうか?この優雅に現れた、壊れそうで、臆病そうな女性が、世界で最も名高い女性革命家だとはなかなか信じることができなかった。
Vincent Sheean 「Personal History」P225〜P226より

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慶齢の寝室
宋三姉妹の若い頃の写真を見ると、どうみても慶齢が一番、かつ圧倒的にかわいい。長女の靄齢と次女の慶齢は仲が良くなかったという話がある。もしそれが事実ならば、その根本原因は靄齢の慶齢に対する嫉妬だったのではなかろうか。慶齢の夫は国父とも呼ばれる革命の英雄で、夫亡き後、慶齢は革命のシンボルとして中国国民全てに敬愛された。一方で靄齢の夫は国民党の首相格である行政院長も務めた孔祥煕だが、アメリカから中国の政治・経済・軍事情勢の調査のために派遣された特使が行ったルーズベルト大統領宛の報告で無能とはっきりと書かれてしまうような人物であった。加えてあの容姿の違いである。ハイスクール時代、慶齢は男子に相当にちやほやされたに違いない。他方で靄齢は……

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書斎

Sheeanが慶齢に会った財政部の建物は現存している。場所は武漢漢口の長江岸。

僕はSheeanの受けた感動を、宋子文の前半生について描く小説に採り入れたくて、2012年末にここを訪れた、が、改修中ということで中に入れなかった(それについては「重慶と武漢」に書いた)。2013年春にも行ってみた、が、未だ改修中だった。

そしてこのたび、ついに建物の中に入ることができた。「宋慶齢故居」として無料で一般公開されている。

Sheeanが慶齢に会見したと思われる部屋にも入ることができる。窓の少ない部屋で、外では晩夏の太陽が怒り狂っているのに、中はぼんやりと薄暗かった。人がめったに来ないので想像というタイムマシンに乗るのは難しくなかった。薄明かりの応接室のドアがゆっくりと開き、しなやかに現れた慶齢は、僕に向かって優しく微笑んだ。





2014年09月11日

廬山 その3

(その2からの続き)

フロントの横の部屋に閉じ籠ってまだ寝ていたフロント嬢を叩き起こし、パジャマ姿で寝癖髪の彼女からデポジットを取り返してチェックアウトしたのが7時半。

image.jpg宿の隣の「美廬别墅」が既にオープンしていたので入場した。美廬别墅は蒋介石・宋美齢夫妻の別荘。実際に使っていたという家具も置かれており、ふたりの語らう声が聞こえてきそうだった。ただし、この別荘を夫妻が入手したのは1933年頃のようなので、小説で描く1931年には蒋介石はここには滞在していなかったと考えるべきなのだろう。

そのあと巡回バスの東線に乗って「含鄱口」へ。

image.jpgロープウェイに乗るのに30元をとられ、さらに含鄱口に入るのに25元をとられた。昨日の石門澗でもそうだったし、その他人気のある観光スポットに入るところでいちいち入場料を徴収される。入山料を180元も払っているのに、それはやりすぎでは、と思うのだが、他国でのことだし批判してみてもはじまらない。ここでも急な階段を下り、帰りはのぼってこなければならない。段数は350段ほどだったので石門澗に比べればましだったけれども、僕の足には昨日の疲労が残っており、相当にしんどかった。
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歩いて下りていった先に現れる滝


image.jpg次に「五老峰」へ。文字通り五つの峰があって、それをひとつづつ巡っていく。すばらしかった。天を突く峰々と断崖絶壁、そこをはいあがってくる白い雲。この登山道は全長6km。昨日の石門澗と午前中の含鄱口で足が疲れ切っており、そんな距離を歩けるだろうかと、ものすごく不安だったのだけれども、絶景に背中を押されてなんとか無事に踏破した。

image.jpgなお、多くの観光客はここを訪れないらしい。実際、他に比べてここは人がかなり少なかった。どうしてだろう。石門澗も含鄱口も、そしてもうひとつの人気スポットである三畳泉もいずれもロープウェイなどで下り、さらに何百段もの階段を下っていったところに滝がある。言ってみればいずれも似たような感じなのに、それらはいずれも必見とされる。僕にとっては五老峰が一番だった。高いところ、高いところへ行きたいというのは人の本能のように思っていたけど間違いだろうか。せっかく高地に来ているのに標高が下がる方向へはあまり行きたくないと感じるのは僕だけなのだろうか。それとも、いくつもある日本人と中国人との間の小さな感性の違いのひとつなのだろうか。
五峰から四峰方向を望む。雲が生きているかのようだ


ついには杖を突いて歩く老婆にも抜かれる程に疲れてしまった。登山道から逸れて渓流岸に座り込み、清流に両足をつけて休憩した。足湯ならぬ足冷水では効果はないかとも思ったが、そのまま15分程じっとしていたら足がずいぶんと楽になった。その勢いで巡回バスの西線に乗り「錦綉谷」へ。崖に貼りつくように巡らされた1.5km程の遊歩道を歩く。
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錦綉谷。廬山西側の山々は東側に比べてやや曲線的


そして15時30分発の九江行きバスで下山。

そのあと、ホテルにたどり着くまでがまたキツかった。

足が痛くてちょっとした階段の上り下りでも苦行のよう。九江駅前の地下道を歩くとなぜか咳がではじめ、周りを歩いている人達もなぜか一様に咳をしているので、息を止めて地下道を駆け抜けた。駅の待合室はうるさくて、どこからともなく歯槽膿漏の臭いが漂ってきて、トイレの汚さに閉口した。とはいっても、汗を大量にかいたうえに昨日と同じTシャツを着ている僕も悪臭を発しており周囲の人が息を止めているのではないかと不安になった。CRHは混んでいて一等が取れず、隣席のおじさんの肘掛からはみでてくる肘と2時間格闘し続けなくてはならなかった。武漢站では地下鉄が終わっていたためかタクシー乗り場が長蛇の列で、タクシーに乗るのに30分かかった。

23時30分。ホテルにたどり着いた時は嬉しかった。五老峰のてっぺんに着いた時より嬉しかった。ホテル前のコンビニでビールを買って、バスタブに湯をはってゆっくりと湯につかり、ルームサービスのワンタン麺を食べて………あとは記憶がない。おそらく僕は融けた。





2014年09月10日

廬山 その2

(その1からの続き)

廬山山上の牯岭鎮に着いたのは13時頃。疲れていたが短い滞在を有効に使うためにすぐに観光に。巡回バスの「西線」に乗った。

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このような断崖が続く

「大天地」で下車し、「龍首崖」を経て、「石門澗」へ。景色がどうこうというのは各観光ガイドに譲り省略することとして、何はともあれ驚いたのはその高低差。下る、下る、そしてまた下る。45度程度の坂をひたすら下る。石で整備された階段なので歩きやすいのだけれども、途中で「あとでこれを登らねばならないのか」と気がついた。谷底からの帰りにいったい何段登るのかと数えてみたらなんと1400段強!超高層ビルの最上階から歩いて一階に行き、すぐに最上階に歩いて戻った、という感じ。汗でTシャツはスコールに遭ったみたいにずぶ濡れになった。ふくらはぎと太ももははちきれそうになった。その日はそのあとずっと、一歩を踏むたびに、あやつり人形のように膝がガクガク震えた。

image.jpgその日の宿は「美廬山荘」。蒋介石・宋美齢の別荘「美廬别墅」に隣接しており、かつ、きれいそうなのでそこにした。3つ星から4つ星の間というところかな(廬山には5つ星級以上、もしくはそのサービス水準以上のホテルはおそらくない)。古い別荘を改修してホテルとして利用している点は良かったのだけど、レストランとかはないし、夜になると玄関の鍵がしめられてしまったり、その他諸々の事由により、イマイチだった。

翌朝は日の出直前に、自分で玄関の鍵を開けて、別荘地の散歩に。朝靄に覆われた松林の中、車の音もなく、人影もなく、実に快適だった。

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実はこの散歩が今回の廬山行の第一の目的。蒋介石暗殺未遂の場面設定をしようと思い、みつけたのが上の写真の径。

image-a0e25.jpgこの坂を朝の散歩中の蒋介石が衛兵を引き連れてのぼってくる。木陰に隠れてふたりの刺客が息を殺し襲撃のタイミングをはかっている。 そしてもうひとり、孫文の三民主義に傾倒し三民主義から逸れてゆく蒋介石を憎悪するこの短編小説の主人公が、ふたりの刺客の監督者として右の写真の視点で見ている………

ちなみにこの写真はいまは廃墟となっている孔祥熙の別荘の敷地内から撮っている。そのすぐ隣には、かつては宋慶齢の別荘が建っていた。

(その3へ続く)





2014年09月08日

廬山 その1

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廬山。

標高は1000メートルを超え、四大ストーブのひとつと言われる武漢のすぐそばにありながらも夏も涼しい。19世紀末にイギリス人宣教師がこの地に教会を建て避暑地として開発し、その後イギリス人やその他欧米諸国の人々が競うように別荘を建てた。1930年前後には蒋介石など国民党の幹部もこぞってここに別荘を持った……

という話を、まだ領事館にいた頃に知って、ぜひ行ってみたいと思った。

でも機会がなくて、15年以上を経て、ついに廬山にのぼった。

image-18984.jpg先週書き上げた短編小説は1931年の蒋介石暗殺未遂の場面から始まる。その舞台が廬山で、とりあえずはWEB上の廬山紹介文や写真、google mapの航空写真などを見て、あとは想像で情景模写をした。でもやっぱり自分の目で実際に見ていろいろ確かめたく、廬山に行ってみることにしたのだ。

ちょっと苦労した。

まずは荷物の問題。広州でゴルフをしたあと上海への移動の途上でよったのでゴルフバックを担いでいる。移動のことを考え極力荷物を軽くすべくクラブはわずか9本にし(5番より長いアイアンとピッチングを家に置いてきた(ちなみにピッチングを置いてきたのは失敗だった。9番での慣れないスリーコーター・ショットはことごとく左へ飛んだ))、ゴルフシューズっぽい靴を履いてゴルフシューズも持たずに来たのだけれども、ゴルフもしないのに山にクラブを持って上がるなどという愚かなことはしたくない。廬山站に預けることも考えたが、駅に荷物預かり所があるかどうかわからない。結局、廬山の前後に武漢に泊まることにして、武漢のホテルにゴルフバックとキャリーバックを預けてバックパックひとつで廬山に登ることにした。本来は廬山のあと、廬山から近い南昌を経て上海へ向かうつもりだったのだけれども、ゴルフバックのためにちょっと面倒な経路をとらざるを得なくなった。

ちなみに余計なことだけど、上に「バックパック」と書いたが、正確に言えば僕が持っていたのは「ショルダーストラップのないショルダーバッグ」。家にショルダーストラップを置いてきちゃったのだ。で、急遽、ゴルフバックのショルダーストラップを使うことにした。僕のゴルフバックは両肩で担ぐタイプなので、ショルダーバックがバックパックとなった次第である。
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これが………

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こうなった。


image.jpg次に、情報が少ないこと。武漢からの鉄道は廬山站に着く。ところが廬山山上へは通常廬山站から北へ20kmほどの九江から登るようで、廬山站からの登り方がわからない。廬山についてWEB上には日本語では体系だった説明は全然なく、中国語のものも、廬山内の各観光スポットについての説明はあっても、廬山へのアプローチについて詳しく書いてあるものは見当たらなかった。結局は廬山站で降りてすぐのところで旅行会社が陣取っており、それが廬山往復と廬山内周遊で120元と言うので利用することにした(が、廬山内周遊や廬山からの下山にはわざわざ電話をしてバスを呼ばなくてはならないとのことだったので、結局片道にしか使わなかった)。

廬山山上を目指すバスは途中のゲートで止まり、そこで乗客は各自入山料の180元を支払わねばならない。高いけれども、それは事前に調べて知っていたので驚きはしなかった。しかし山の上にあがってからの周遊の仕方は事前に調べてもわからなかった。廬山の集落を歩いていると周遊巡回バスのバス停があった。どうやらそれに乗れば良さそうだが、乗り方がわからない。ずいぶんと歩いて巡回バスの起点となっている場所を見つけ、そこでようやく80元で7日乗り放題のチケットを手に入れた。

(その2に続く)






2014年09月07日

広州から武漢への高鉄

広州から武漢へ。

image.jpgこの区間の移動は二度目で、前回も今回もCRH(高速鉄路(高鉄)、日本語でいうなら「新幹線」)を使用した。なんだか先月、中国国内線飛行機の遅れがひどかったようだし、飛行機で事故があればまず死ぬけど、鉄道なら乗客全員は死なないだろう、という発想で中国国内移動は極力鉄道を使いたい、と思っている。

時速300kmで疾走し、所要時間は僅か4時間ほど。ちなみに料金は特別座で878.5元。

image.jpg特別座というのは、先頭もしくは最後尾の車両の端っこ部分を仕切って、そこに1列&2列計3列の座席を配した席。1人掛けシートに座れば知らない人と同席になる不快感はないし、一般席とはガラスの壁で仕切られているのでとっても静か。それでいて一等席との価格差は僅か(一等は738.5元で10%強しか変わらない。ちなみにシェルフラットシートの商務座なら料金は一等のほぼ2倍になる)でお得だと思う。

なお、難点がひとつあって、起点及び終点の駅が街の中心から遠いこと。前回乗った時は確か広州東站から出て漢口站に着いた。広州東站はビジネス街の天河地区に位置しているし漢口站も武漢市の漢口エリアの中央近くにある。ところが今回は広州南站から出て武漢站に着いた。いずれも街の中心から渋滞がなくても30分程かかる。







2014年09月05日

「レンタル彼氏」出来!

一年程前に書いた短編小説「レンタル彼氏」。似た路線の作品を集めて短編集として本にしたいと思っていたんですけれども、なかなか同路線の作品を書けずに時ばかりが過ぎて行くので、それ単独で電子書籍として出版することにしました。

講演などの機会で本作のコピーをあちこちで配布したので既にお読みいただいたかたもおられると思いますが、未読のかたは是非読んでやってください。

歴史モノでも経済ものでもなく、現代モノかつ恋愛モノです。やわらかい内容で一気に読める作品です。主人公は上海駐在員。上海駐在経験のある(男性の)かたにはきっと共感いただけると思います。

申し訳ありませんがkindle版のみです。アプリをダウンロードいただけばiphoneやandroidなどでもご覧いただけます。

103円!自動販売機でソフトドリンク一本買うよりも安いのに、それよりもずっと大きい清涼感を得ていただけるのではないかと思います。

(あらすじは次回以降の本欄にてご紹介します)

image.jpgレンタル彼氏
大薗治夫著
kindle価格:103円


posted by osono at 22:25 | Comment(0) | 著作