2014年08月31日

「中国旅行記」移転完了

続いて、もっと古い連載「中国は広い!中国旅行記」も移転を完了した。

あまりに拙い文章で手をいれたかったのだけれども、時間もないのでそのまま掲載してしまった。

中国は広い!中国旅行記

海を見たい?それなら舟山諸島へ
シャングリ・ラへ
西施を助手席に載せて杭州近郊をドライブ
シルクロードはともかく盛り沢山だ
冬のゴルフはアモイに限る
東北地方でスキーをしよう
神々と日焼けと高山病のチベット
杭州楼外楼

posted by osono at 19:09 | Comment(0) | 日記

2014年08月29日

「編集長's EYE」移転完了

2004年9月から2010年7月にかけて書いた連載「編集長's EYE」の自分のサイトへの移転を完了した。

編集長's EYE

(10年07月記) グランドハイアット上海
(09年04月記) パークハイアット上海
(08年06月記) 広州リッツカールトン
(08年01月記) ハイアットオンザバンド
(07年11月記) Kayumanis(カユマニス)南京
(07年10月記) ベネチアンマカオリゾート
(07年10月記) 羽田−上海線&東方航空のビジネスクラス
(07年08月記) 昆明サンシャインゴルフクラブ
(07年08月記) バンヤンツリー麗江
(07年06月記) ウェスティン広州
(07年05月記) タイガーエアウェイズ
(07年03月記) 広州シャングリラホテル
(07年02月記) 常州トレーダーズ富都ホテル
(06年12月記) ミッションヒルズ
(06年07月記) BUND FIVE Oasis Spa
(05年09月記) スプリングシティ&レイクリゾート
(05年09月記) バンヤンツリー・リンガー
(05年09月記) 玉龍雪山ゴルフクラブ
(05年07月記) バンヤンツリー&マンダラスパ
(05年04月記) 美蘭湖ゴルフクラブ
(05年01月記) 一条さゆりさんの私的本
(04年11月記) She Shan(シャーシャン)ゴルフクラブ
(04年09月記) 杭州富春リゾート

posted by osono at 00:12 | Comment(0) | 日記

2014年08月26日

朝日新聞の誤報問題から考えるマスメディアのありかた

もはや旬な話題ではなくなってしまった感もあるけれども、朝日新聞の誤報問題について、少し考えておきたい。

朝日新聞の国民に与えた影響について論じるのならば、同社の戦前の行いについても必ず触れなければならないと思う。

ちょっと長くなるけれども、拙著「上海エイレーネー」から抜粋したい。ラジオ局に就職した主人公の趙靄若に対して、英国外交官のエドマンド・ホール=パッチが、1937年12月の南京事件について日本の一般大衆およびマスコミがどのような態度をとったかについて語るシーンである。

「僕が憂いているのは、事件のあとの日本での反応だよ。日本の民衆は大喜びだったそうだ。東京では何十万人もの市民が街に繰り出し、ブラス・バンドを先頭に、『万歳』と歓声をあげながらの大行進となったらしい。街じゅうの電飾と市民の提灯とでインペリアル・パレスの周りは華やかな光の海となったそうだよ。陸軍が暴走して南京に雪崩れ込んだとか、悪いのは現地軍だと言っている人もいるが、日本の民衆の支持が彼らをあと押ししたんだ。それは間違いない」
 エドマンドの話しぶりは、彼にしては珍しく、ずいぶんと熱が入っている。
「とはいっても、日本の民衆に全ての罪を着せようというわけでもないよ。急成長している国は往々にしてナショナリズムが激しくなりがちだからね。問われるべきはマスメディアの罪だ。新聞は事実だけを伝えていればいいのに、いろいろと意見を書きたがる。意見を報じるのならば、まさにたった今君が言ったように、民衆にその反対の意見に触れる機会が与えられていなくてはならない。もしそれがないなら、新聞は意見など書かないほうがいい。日本国内では南京入城を美しく書いているものばかりなのだそうだよ。それでは日本人が誰も南京戦に疑問を抱かないのも無理はない」


このエドマンドの語りのうち「新聞」というのは「朝日新聞」と置き換えても構わない。当時朝日新聞は社を挙げて日本の侵略を肯定し、日本人を鼓舞する論を展開した。

エドマンドの言を要約すれば、戦争責任は日本軍だけにあるわけではない。日本の大衆の支持と熱狂が軍を動かしたという面がある。そして、日本の大衆を導いたのがマスメディアである。すなわち責任は三者ともにあって、中でも偏った報道で大衆を導いたマスメディアの罪は重い、ということであろう。

軍と大衆とマスメディア。書いた本人はエドマンドのようにマスメディアの罪が最大だと断言することはできないけれども、戦前のマスメディアの中でも先頭に立って日本人を奮い立たせた朝日新聞の罪が相当に大きかったことは間違いないと言っていいと思う。

そして現代。従軍慰安婦に関する誤報である。あちらこちらで言われているように日韓関係を壊す大きな要因となった天下の大誤報だ。A級戦犯たちは絞首刑となったが、朝日新聞は戦後も生きながらえて、再び日本国民に多大な損害を与えた。これほどの長期にわたって、かつこれほどに大きな損害を日本国民に与え続けたものは、個人・法人通じて他にはないのではあるまいか。

ところでなぜ朝日新聞は戦前と戦後でがらりと態度を変えたのか。戦前の行いの反省をして百八十度転換したのだろうか。おそらくはそうではなくて、企業利潤を追求しようとした結果なのだと思う。

戦前の朝日新聞はずっと軍国主義的であったわけではなくて、満洲事変(1931年9月)の頃までは、軍部の反発のなかでも政府の軍縮方針を指示しそれを強く後押しするなど、どちらかと言えば平和主義的・自由主義的な傾向にあった。しかしその姿勢を満洲事変勃発の頃にガラリと変える。

このあたりの事情は、どうやら発行部数の問題だったようなのだ。いわゆる大正デモクラシーの時期、リベラルな記事が大衆ウケするのでそれに合わせる記事を載せた。満洲事変勃発の前後、世論が右傾化すると、それに迎合するように朝日の記事も右傾化していったようだ。リベラルな傾向にあった朝日新聞に対して、地方の軍人会が不買運動を繰り広げたことなどもあって、発行部数維持のためには記事内容を変更しなくてはならなかったのだ。

発行部数を伸ばすためにマスメディアは大衆の空気をかぎ、その空気に合わせる編集方針を採る。ただ、他誌との競争もある中で一部でも余計に売るためには大衆の空気のさらに先をいき、それを助長するような記事を書かねばならない。その記事を読んだ大衆は空気をさらに濃厚にしてゆく。日本の世論はそのようにスパイラル的に醸されて結局極端なところにまでたどり着いてしまう。

発行部数という観点から戦後の朝日新聞の編集方針も説明し得る。戦後、リベラルを通り越してあたかも諸外国に迎合するかのような記事を載せたのも、国全体に厭戦と贖罪のムードが強く、新聞を売るためにはそうした国民感情に合わせ、さらにその一歩先をいく記事を載せるのが一番だと考えたためかもしれない。そして今回誤報を明らかにしたことも、昨今、特に第二次阿部内閣の誕生以降、国論が修正されたと感じ、それに合わせるように編集方針の変更があったからなのかもしれない。

僕は経済学バックグラウンドの人間なので、営利追求が行動原理であるということに対して理解を示さないわけではないけれども、その影響力の大きさを考えるとき、やはり新聞には営利のことを差し置いてでも、何かに流されることのない報道に務めるという意志をもってもらいたいと思うし、もしそれができないのだったら、エドマンドが言うように、自らの意見は一切書かずに、事実だけを淡々と伝えることに専念してもらいたいと思う。





posted by osono at 16:59 | Comment(0) | おかしいと思うこと

2014年08月19日

旧ブログから画像移転完了

旧ブログから画像移転完了(したと思う)@日々雨の蓼科。
posted by osono at 23:54 | Comment(0) | 日記