2014年06月24日

セクハラ問題の根深さ&流行りのオーサー制度の問題点

このYahooニュース個人の記事↓
セクハラ野次@都議会事件に関する一般論による解説
あまりに内容が悪く、軽く炎上もしているようなので、執筆者本人もしくは運営者によってじきに削除されるかな、と思っていたのに、未だ掲載されているようなので、ちょっと批判を書いておこうと思う。

この記事、「一般論」という言葉が何度も繰り返し使われている時点で嫌悪感を感じ、また、一読しただけでは筆者がなにを言いたいのかよくわからない。

まあそれは単に文章がヘタなのだと考えれば目くじらをたてるほどのことではないのだけれども、二度、三度と読み直してみると、書かれている内容も相当にひどいことがわかってくる。

この筆者、今回の騒動の問題の所在が全くわかっていない。

以下、ちょっと長くなってしまうけど引用すると、
国民からも”議会の品格”について改めて議論となっているのは、やはり野次で罵倒される対象が広すぎるからだと思われます。なぜなら、問題となったセクハラ野次は、当該女性議員だけでなく一般の女性や、不妊治療に悩む男女間・夫婦の悩みにも直結しているからです。広く国民一般の苦悩をも揶揄したと思われる発言では炎上しても仕方がありません。

野次というのは、誰がどう見ても正論であり、かつ本人に対してのみ効果的な文言に限定するべきだ

塩村女史に対して『結婚しろ!』と野次ることは、結婚できないことに悩む一般国民の多くに対しても罵声を浴びせることと等しく、塩村女史だけでなく一般国民をも公職にある議員が馬鹿にした、と受け取られることになります。同様に、塩村女史に対して『子供は産めないのか』と野次りますと、結婚したけれど子宝に恵まれず辛い不妊治療に挑む夫婦や、晩婚や体質の問題などで産むことができない人にも悪辣な言葉を投げつける形になるわけです。


そして、文章の後半は塩村議員に対する個人攻撃の言葉がくどくどと書かれている。個人的な恨みでもあるかのではないかと思うほど悪辣
である。こんな一節もある。
一般論ではありますが、人によっては塩村女史のことを「女性の風上にもおけないビッチだ」と思われるかもしれませんし、あるいは「男の下半身を要領よく渡り歩いてきた人間のクズ」という風に感じられることもあろうかと思います。

美貌と性を売りにして名声を博し、それを足がかりに政治の世界へ打って出た以上、本件セクハラ野次の品格の件とは別に、この塩村女史の議員としての品格、資質もまた問題にするべきではないかと思うのです。

己の美貌や男性遍歴について極めて強い自負と自信を持っていると思われる塩村女史に対して『ブス!』と野次ったところで、まったく効果がないばかりか、ブスな国民も全員そろって敵に回す品格にかける不規則発言となってしまい、野次った側にメリットがありません。一般論ではありますが、このような場合は塩村女史に対してピンポイントに効果のある、一般国民に対して嫌悪感の抱かれない正論を軸に野次る必要があるのです。上記のような経歴を持つ塩村女史が晩婚化や出産関連の都政に冠する質問をする場合に、例えば『晩婚以前に他人の家庭を壊すな不倫女!』『みんなの党は他に適任いないのか!』というようなピンポイントに正論を語る野次や、『お前が言うな!』『どの口が言うか』『自分が何してきたのかよく考えろ!』といったボカした野次のほうが、一般論ではありますが正論となり品位も保たれ世論も反発せず本人に然るべきダメージが届くのではないでしょうか。


つまりこの筆者、今回の騒動は国民一般を傷つける文言を吐いたことが問題であって、塩村議員を傷つけたこと自体は問題だとは思っていないようなんである。

おそらくこの人、いわゆるセクハラ発言がいかに相手を傷つけるか実感としてはわかっておらず、世間が騒ぐからどうやら悪いことのようだ、と思っているのではなかろうか。

「じゃあ、男であり嫁もいるおまえにわかるのか」というヤジが飛んできそうだが、我が家は「超」がつくくらいの高齢出産であり、それまでの苦労や周囲からのプレッシャーは並のものではなかった。よく年賀状に子供を含めた家族みんなで映っている写真を送ってくる人がいるけれども、そういう年賀状を受け取るたびに「はぁ〜」とため息をついたものだ。

ちなみに、名乗り出てきたという鈴木議員は子供が三人おられるようだ。筆者の山本一郎氏に子供がいるかどうかは知らないが、セクハラ問題に対する男性の無理解というのは相当に根深く、今回のような騒動は起こるのがむしろ必然だったのかもしれない。

ところで、なぜこんなひどい文章がいつまでも「Yahooニュース」として掲載されているのだろうと思いちょっと調べてみたところ、Yahooニュースはフリーランスのライターやコラムニストなどに「オーサー」となってもらい、自由に投稿してもらっているそうだ。オーサーはYahooが選抜し、直接執筆の依頼をしているらしい。

このような悪文かつ問題のある文章を書く人を選抜することも、その文章をいつまでも掲載していることも、全くもってYahooの見識を疑ってしまう。以前インターネット会社をやっていた時、自社で出すニュースがYahooニュースからリンクされるとアクセス数が激増した。Yahooニュースの威力は非常に大きく、よってこのような文章を掲載させてしまうことは危険なことでもあると思う。

(と、これを書き終えてから改めて件の文章を読み直し「一般論」の意味を考えてみた。おそらくこの筆者、無意識のうちに、主張にちょっと自信がなく批判されそうな内容を述べる時に「一般論ではありますが」と前置きをして、自分の主張があたかも世間一般がそう考える正論であるかのように見せようとしているようだ)








posted by osono at 12:47 | Comment(0) | おかしいと思うこと

2014年06月21日

感動できない身体になってしまったのか?

最近、映画やテレビを見て「おもしろい」と感じることがない。何を見てもことごとくそうなので、ひょっとしたら最近の映画やテレビがつまらなくなったのではなくて、問題は僕のほうにあり、なにごともおもしろいと思えない異常体質になってしまったのではないか、という気がしてきた。

例えば今年の映画でいえば、エージェント・ライアン、ミケランジェロ・プロジェクト、LIFE!など、どれもつまらなかった。アナと雪の女王は、すごく良かったけれども、おもしろいというのとはちょっと違う。僕がいう「おもしろい」はストーリーが感動できるということであって、音楽や映像が素晴らしいということではない。例えばゼロ・グラビティなんかは画がすごいしハラハラドキドキして楽しめたけれども、ストーリーには感動できなかった。

最近のテレビでいえば、唐沢寿明主演のルーズベルト・ゲームと沢尻エリカ主演のファースト・クラスは、最初の2回ほどは「おっ、こいつはおもしろいかも」と思って見ていたけど、なんだかだんだんつまらなくなり、結局見なくなってしまった。

物語を素直におもしろいと思えない体質になってしまったのだとしたら、それは物語を紡ごうとする人間にとっては致命的と言うべきだ。

で、ちょっと話は変わるが、、、

最近、DVDを買ってきて木村拓哉主演のエンジンを見た。なぜ今10年近くも前の作品を見直したかというと、このドラマに上野樹里、戸田恵梨香、夏帆の3人が揃って出ているということを何かのきっかけで知り、そいつはぜひ見直し、かつ永久保存版として手元に置いておかなくちゃ、と思ったため。

そんな動機で見始めたのだが、これがなんだか毎回泣けるのだった。風の丘ホーム(児童養護施設)の閉鎖が決まり、木村拓哉扮する次郎がオンボロバスで子供ひとりひとりをそれぞれの新しい施設に送り届け、最後に風の丘ホームの再開を目指す決心をするシーンなんて、涙と鼻水が止まらなくなるくらいだった。「ベタ」というよりも「ベタベタ」のお涙頂戴のストーリー展開なのに、全く脚本家の掌の上で転がされた気分だ。

ん?ということは、どうやら感動できない異常体質になってしまったというわけでもなさそうだ。まだドラマを見て涙を流すことはできる。

でも、僕の感動のポイントが時代遅れになってしまっていて、現代にそぐわなくなってしまっている可能性はある。それも現代人に読んでもらわなくてはならない物書きとしては大きな問題だ。

うーむ。悩む。

エンジンをもう一度最初から見て、何が僕の琴線に触れたのか、分析して見なくちゃ。

それにしても当時の夏帆は可愛すぎないか。

posted by osono at 21:32 | Comment(0) | 日記