2012年12月16日

ドコモに猛省を促したい

ついていない日とはあるもので。。。

(1)香港でランチの約束があるため、朝9時50分広州東駅発香港行きの鉄道に乗ろうと思った。で、東駅には出発30分前には着いたのだが、9時50分発はいっぱいで、12時過ぎの列車でないと空きがないとのこと。でもそれではランチの約束に間に合わない。しかたなく深圳行きの列車に乗る。

(2)香港直行の列車はチンタラチンタラ走り、 深圳行きは時速200km超で走る高速鉄道なので、直行列車に乗るよりもむしろ早く香港に着くだろうと思っていた。しかし、羅湖の国境越えが今までにない混み方であった。国境を越えた時には直行列車に乗ってダウンタウンに着いているはずの時間を既に16分超過していた。

(3)待ち合わせ時間に間に合わないので電話で連絡をしようと思いドコモ携帯を取り出すものの圏外である。キャリアの捜索をしても、再起動しても、揺すっても、叩いても電波を拾わない。しょうがないので、相手は見てくれない可能性が高いがipadでメールを送ることにするが、こちらは電波バリバリである。つまり、AUは快調でドコモは使い物にならず。ipadで検索するとドコモ携帯が香港でつながらず困ったという不平が他にも見られた。海外で使えるはずの携帯が使えないというのは本当に困っちゃうのだ。ドコモさんには、海外でもつながる、と宣伝せずに、海外ではつながらないこともある、という注意喚起を行うことをお願いしたい。

2012年12月15日

ビックマック指数の続き

久しぶりに広州に来たので、以前やっていた物価の定点観測の続きを。

ビッグマック:16元
ハンバーガー:6.5元
チーズバーガー:8元

ちなみに過去は

2010年6月27日
ビッグマック:14元
ハンバーガー:5.5元
チーズバーガー:6元

2010年9月3日
ビッグマック:15元
ハンバーガー:6元
チーズバーガー:6.5元

商品によってバラツキがあるが、ビッグマックは年率で5%ほど上昇したと言っていいかな。

一時に比べれば物価上昇はかなり落ち着いている。

ちなみに日本のビックマック320円で算出すると、

1元=20円

やや改善したものの、ビックマックの比価で考えると、実際の円元レートはまだまだかなりの円高人民元安である。
posted by osono at 17:36 | Comment(0) | 中国経済

広州着

広州についた。

暖かくて驚いた。

冬の広州って、こんなに暖かかったかなぁ。

ヒートテックを着たのは失敗だった。

今日の泊まりは、天河のウェスティン。

ターミナルの中を歩いていると地下鉄の表示が出ているのに気づいた。

007s.jpg
そういえば空港から市内まで地下鉄が通じているんだった。

地下鉄乗り場までは少し遠かったが、なんと、ホテルのある天河まで一本で行けるじゃないの。

べんりだぁ。



と、思ったのだが、ちょっとしんどかった。

乗っていたのは20分くらいだろうか。

尻が痛かった。すごく痛かった。

香港も上海もそうだけど、中国の地下鉄は椅子が硬くて長距離は辛い。

久しぶりの中国行き

久しぶりの中国行き。

朝早い(9時30分発)成田発便のため、
慣れぬ早起きをしたせいで頭が痛い。


008s.jpgipad miniのキィーボードを買った。
LTEも高速で快適なので、ちょっことブログを書けちゃう。
(ああ、世界は進歩したもんだ)
と、感心しちゃうのだった。


ラウンジや飛行機の中でいつも不思議だなあと思っているのは、朝から酒を飲んでいる人。

この人たちが普段の生活でも朝から酒を飲んでいるとは思えないので、タダの酒は飲まずにはおられない、ということなのだろうか。
僕も酒を飲まない方ではないが、朝はちょっとなあ。
頭も痛いし。

おっ、搭乗開始のアナウンスだ。
posted by osono at 09:14 | Comment(0) | 日記

2012年12月10日

iPad miniが来た

新刊書の宣伝のためにブログを頻繁に書こうと思っているのだがネタがなく、つまらない話を。

iPad miniを買った。au版。結構嬉しい。

初代ipadを買い、以降新製品がでるたびに「大して重量が変わらん」と思って買い控えてきた。

ちなみにiphoneも初代を買って、その後アンドロイド携帯へ乗り換えたのでiphoneから離れているのだが、街で人がいじくっているのを見ては羨ましく思っていた。

で、ついにでた軽くなったipad。すぐに飛びついた。

ただ、発売当初はwifi版のみで、ソフトバンク・AUともに扱っていなかったのでグッと堪え、セルラー版がでるのを待った。セルラー版の発売開始が11月30日というのを知ったのは25日頃だったろうか。すぐにAUショップに行き、「まだ予約を取り始めてない」と言われると、以降AUショップに日参し予約の開始を待った。

初めてアップル製品の事前予約というのをしてしまった。

DSC_0209.JPG
この季節に毎年散歩で訪れる東工大のイチョウ並木


ipad mini。

軽いし、初代ipadに比べればサクサク動くし、画面もきれいだし、憧れだったFaceTimeもできるし。

ああ。大満足。


のちにわかったこと(浮かれた自分を恥じる)
posted by osono at 00:37 | Comment(0) | 日記

2012年12月08日

法幣の対ドル・対ポンド・レートの推移

法幣、すなわち国民政府(蒋介石政権)の通貨の、対ドルおよび対ポンド為替レートをグラフにしてみた。

(クリックして拡大してご覧ください)
forexrate.gif


(1)法幣は1935年11月の幣制改革によって生まれた。以降1937年7月の日中戦争勃発までの間、法幣の対ドル・対ポンドレートはほとんど全く動かなかった。1935年の幣制改革まで銀本位制下にあった中国の通貨は銀の国際価格に弄ばれ極めて不安定だったが、法幣は誕生直後から大地にしっかりと根を張っていた。

(2)日中戦争勃発後も、約半年間法幣レートは安定していた。この時期、国民政府は中国銀行等を通じて積極的に為替介入を行いレートを支えていた。

(3)しかし1938年4月。対外支払い準備が危なくなってきた国民政府は為替介入を停止し外貨割当へ政策変更を行った。その直後からレートは急落する。

(4)レートの下落がインフレーションの進行よりも大きすぎたためか、1938年夏ごろに下落は止まり、それから約一年間、レートの安定期に入る。

(5)ところが1939年6月の日本軍による天津英仏租界封鎖を機に法幣不安が高まり、あわせて法幣防衛のためにイギリスとの共同で設立された法幣安定基金が底をついてしまい、法幣は暴落する。

(6)もはや法幣は死んだかと思われた法幣は、ドイツ軍のポーランド侵攻、すなわち第二次世界大戦の勃発によって九死に一生を得る。欧州へ逃げていた資金が中国に還流し、また、海上輸送が困難になることにより輸入の減少が予想され、法幣が一気に買い戻された。

(7)レートは、1940年初にかけて持ち直したあと、それ以降法幣のインフレーション進行に並行して徐々に安くなっていった。

もっと詳しく知りたいかたは↓
posted by osono at 01:50 | Comment(0) | 中国経済

2012年12月03日

1937〜1945年上海・重慶インフレ推移

日中戦争が始まった1937年7月から終戦の1945年8月までの上海および重慶の物価上昇率の推移をグラフにしてみた。

このグラフは、1941年12月を100としている。

1941年12月をもって上海租界は日本の統治下に入るので、それまでは、上海・重慶ともに法幣経済下にあり、グラフは法幣の二地点における物価上昇率を示していることになる。1941年12月以降は上海は日本の占領下にあるので、上海と重慶のグラフは、それぞれ日本と蒋介石政権下の物価上昇を示していると言うことができる。

グラフをみると……
(↓クリックして拡大してご覧ください)

inflation.gif

(1)日中開戦から約二年間は、戦時下でありながらも、上海においては物価が安定していたことがわかる。一方重慶では物価上昇がみられるが、これは、1938年の国民政府の重慶への移動にともなって重慶の人口が増え、物資不足が発生したためと考えていいだろう。

(2)日本軍天津英仏租界封鎖(1939年6月)の頃から上海・重慶ともに顕著な物価上昇がみられるようになった。1939年9月に法幣の四つの発券銀行の発券業務を統合的に管理する連合弁事処が設置され、同時に法幣発行準備に国債が含められるようになった。連合弁事処の設置は、発行準備に国債を含めるにあたっての管理強化を目的としたものだが、それが却って法幣の増発を容易にしてしまったものと考えられる。

(3)日本軍による軍事費の現地借入の開始(1943年4月)より、上海の、すなわち日本軍占領地域の物価上昇が加速し、1944年には「ハイパーインフレーション」と言っていい状態に陥っていく。

もっと詳しく知りたいかたは↓


posted by osono at 18:26 | Comment(0) | 中国経済

2012年12月02日

カレンシー・ウォー 小説・日中通貨戦争出来!


「カレンシー・ウォー 小説・日中通貨戦争」

12月16日発売開始です。
現在予約購入いただけます。
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本作品は僕にとって初めて世に出す長編小説ですが、実はこの作品の前に既に書き終わり、現在文学賞の結果待ちの小説があり、さらに現在執筆中の小説とあわせて、近代日中関係史についての三部作となる予定です。

背景となる年代は、現在執筆中のものが1926年11月から1935年11月までで、最初に書きあがったものが1937年7月から1940年2月まで。そして本作が1938年2月から1942年12月までですから、本作が世に出るのは最初ですが、扱う時代としては最も遅いということになります。

日本が中国占領地域において独自の通貨を発行し、経済的挑戦をしかけていった史実に沿って物語は進行します。第一部では主人公である元大蔵官僚が、中国側通貨の法幣駆逐を目指し奔走し、第二部では主人公がイギリス財務官とアメリカ人の中国国民政府顧問に「エコノミストの力で戦争終結を早めよう」と誘われ、その発案にのり暗躍を始めます。

歴史の話や為替レートなど数字の話が多いので、中国近代史に興味がなく、かつ日経新聞なんて読まないというかたには少々読みにくいかもしれません。しかし中国近代史と経済のいずれかに興味があるかたには楽しんでいただけると思いますし、中国の歴史を扱った小説と経済小説のいずれも好きだというかたには、自分で言うのもなんですが、本当におすすめの小説です。

あらすじなど、関連情報はこちらをご覧ください



posted by osono at 00:23 | Comment(0) | 著作

2012年12月01日

蒋介石に棄てられた女 陳潔如回想録


 陳潔如著
 加藤正敏訳
 草思社


ああ。おもしろかった。

陳潔如は、妾も一人と数えれば、蒋介石の三人目の夫人で、(本人以外には誰も断言できないが)おそらく蒋介石が、宋美齢も加えた四人の中で、最も愛したのではないかと思われる女性。

本書を要するに、蒋介石の暴露本。ただ、蒋介石を扱き下ろすことを目的としていないので暴露本特有の泥臭さはなく、むしろ感じるのは、そこはかとない悲しさだったりする。

陳潔如のほうでは大して気がなかったのに、蒋介石の執拗な求愛を受け、15歳にして結婚する。

夫婦であったときには、読んでいるこちらが気恥ずかしくなるような愛のセリフを蒋介石に投げかけられ続ける。

自分とは血のつながらない子を大事に育て、

蒋介石の激しい喜怒哀楽を最も近い場所で見続け、

結局は、「国のために5年間だけアメリカに留学してくれ」と言われて、体よく追い出されてしまう。

この回想録は、蒋家と宋家によって出版が阻止され、その後原稿は行方が知れなくなったが、1990年にスタンフォード大学フーバー図書館で偶然に発見されたのだそうだ。

生身の蒋介石を知ることもできる本書は実におもしろいのだが、日本での出版当時にそんなに話題になったような気がしないのは、おそらくは文中に出てくる史事に誤りが少なからずあるためだろうか。

ただそれは陳潔如が記憶のみに頼り書いたためであって、却って彼女の感情の所在を知ることができ、それによって蒋介石の人間像が一層浮き上がっているように思う。



posted by osono at 00:06 | Comment(0) | 読書等