2012年08月23日

アスペルガーに関するあまりにひどい判決(4)

「第2 具体的な量刑」の2においては、検察官の求刑を超えて重い刑を科す理由として「社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもないという現状の下では、再犯のおそれが更に強く心配されるといわざるを得ず、この点も量刑上重視せざるを得ない」としている。

「精神障害者は街に出るな」と言っているようなものである。

この論法によれば、例えば、被告が死刑にも成り得る犯罪を犯したとした場合、「受け皿がないから死刑にしてしまえ」という結論が導かれることになってしまう。

それに判決要旨は「受け皿が何ら用意されていない」と決めつけている。しかし、精神障害者を、医師の判断により、行動制限を伴う入院をさせる措置入院の制度がある。

裁判官及び裁判員には、障害者に対する、時代錯誤な差別の意識がある。

明らかに誤った判決だが、これがもし裁判員制度によったがために出された判決だったとすれば、裁判員制度の欠陥を露呈したと言わざるを得ない。


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2012年08月21日

アスペルガーに関するあまりにひどい判決(3)

この判決を報道で見た時、まず最初に思ったのは、果たして被害者は求刑をも越える重い刑を望んでいるだろうか、ということである。

しかし判決要旨の(量刑の理由)の2は、「被害者が受けたであろう恐怖あるいは絶望感、夫や子供を残して46歳という若さで命を絶たれなければならないことの無念さなどは想像するできないほど大きかったはずである」と、決めつけている。

確かにそうだったかもしれないが、被害者が死の直前に思ったのは、自立を願っていたのにそれができなかったという無力感かもしれないし、障害者として生まれたがために罪を犯してしまう弟への同情かもしれない。

他の家族にかける負担を考えて長い刑期を望むということはありえるが、障害者の家族として、弟がいかに大変な人生を歩んできたかを知っており、さらには、自分もそういう病気をもって生まれてきたかもしれなかった、自分はたまたま健常者なのだという意識もあるはずであり、弟に対する同情が、わずかにでも、確実にあったように思われるのである。判決は、障害者の家族の心情をしっかりと理解しているとは思えない。

判決要旨は、被害者の感情を、まるで見てきたかのように描いている。想像力を活かして事実でないことを、あたかも事実のように描くのは小説家の仕事である。それを裁判官が行うというのはいかがなものか。すくなくとも判決要旨に書かれたのと全く同じ感情ということはないし、軽い刑で済むことすら願っていたかもしれないのに、亡くなった被害者の心を勝手に推察し、それを量刑の判断に使うというのは、被害者に対してあまりに気の毒なことのような気がする。もし被害者が重刑を望んでいないとすれば、自分の本当の感情を証言することができない被害者は、果たしてあの世でどういう気持ちでこの判決を聞いたのだろうか。

続く


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2012年08月20日

孫文〔陳舜臣〕


中国近代史のものを書いていると必然的に孫文につきあたる。

中国国民党について書いているつもりのときも、蒋介石について書いているつもりのときも、汪兆銘について書いているつもりのときも、宋慶齢について書いているつもりのときも、いつのまにかに孫文について書いていたりする。

で、孫文について勉強しなくちゃと思い、まず手に取ったのが本書。

この本。。。ちょっと妙だった。

まず、冒頭は物語においてさして重要な位置づけにない登場人物の船の上での会話。いかにも小説風なのだが、小説風なのはこの冒頭部分のみと言ってもいいかもしれない。

上下巻のほとんどが、孫文が何をしたとか、どこに行ったとか、孫文の行動と歴史的事実の説明。

まあ、孫文について勉強するために読んでいる僕にとってはそれでもいいいのだけれども、小説を読もうと思って購入した人には「おや?」と思う内容に違いない。

そのうえ、勉強のために読んだ僕にとっても不満だったのは、この本、1912年の元旦、つまり孫文が南京で中華民国臨時政府の大総統に就いたところで終わっているのだ。周知のとおり、このあとも第二革命、第三革命と続き、孫文は波乱万丈な生涯を歩んでゆく。野球に例えるならば三回の表裏が終わったあたり、会社経営に例えるならば初年度決算を終えたあたり、フランス料理ならばワインが注がれてテイスティングをする直前あたり。すなわち「おいおい。それからどうなるんだ」と突っ込みたくなる場所で物語が終わってしまうのだ。

もっといろいろ読まなければ、孫文がみえてこない……


孫文 上 武装蜂起
孫文 下 辛亥への道
陳舜臣
中央公論新社

posted by osono at 00:00 | 読書等

2012年08月09日

アスペルガーに関するあまりにひどい判決(2)

次に「量刑の理由」の4。
「以上検討したとおり、本件犯行の手段は計画的であること、犯行の態様は執拗かつ残酷であること、生じた結果は極めて大きく、遺族の処罰感情も厳しいこと、犯行に至る経緯や動機についてアスペルガー症候群の影響があったことは認められるが、これを重視すべきではないこと等の事情を総合するならば、被告人の刑事責任は重大であり、被告人に対しては長期の服役が必要不可欠である」

つまりこの判決では
(1)計画的であること
(2)執拗かつ残酷であること
(3)遺族の処罰感情も厳しいこと
(4)アスペルガー症候群の影響があったことは重視すべきではないこと
等の理由から、被告を重く罰しなくてはならないとしている。

しかしこのうちの(1)と(2)の「計画的」と「執拗」は、まさにアスペルガーの特徴の一つである。アスペルガー患者は、時に(この裁判の裁判官や裁判員が理解できないほどに)極端な計画性と執拗さを示す。被告がアスペルガー患者であることを認めた上で、計画的で執拗であることを理由の一つとして重罰を科そうとする本判決は、アスペルガーであれば罪が重くなると言っているようなものである。

それから(4)。これは「量刑の理由」の3の最後の部分での結論を引いているのだが、前回述べたとおり、「量刑の理由」の3の最後の部分は「病気である。ゆえに、病気は減刑の理由にならない」という意味のない命題であり、そのうちの「病気は減刑の理由にならない」という部分のみを引っ張り出してきて被告を重く罰しなくてはならない理由の一つとしている。

さらに続く


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2012年08月08日

アスペルガーに関するあまりにひどい判決(1)

先日の日経社会面に「発達障害 求刑より重く 大阪地裁 殺人事件 20年判決」という見出しの記事が掲載されていた。

アスペルガー症候群を患い30年間引き籠り状態だった無職の42歳の男性が、その自立を促した姉を殺害したという事件で、7月30日、検察の求刑16年に対して、それを上回る懲役20年の判決がなされた。

アスペルガー症候群に対する甚だしい無理解と、精神障害者に対する時代錯誤な差別をも感じさせるとんでもない判決である。

判決要旨を読んでみた。

問題だらけの判決文である。

例えば「量刑の理由」の3の最後の部分。

「……最終的には自分の意思で本件犯行に踏み切ったといえるのである。したがって、本件犯行に関するアスペルガー症候群の影響を量刑上大きく考慮することは相当ではない」とある。

「したがって」の一言でごまかしているが、ここで論理が飛躍している。自分の意思で犯行を行ったら、どうして病気の影響を考慮すべきでないという結論になるのか。

この判決は
[自分の意思で犯行を行っていない → 罪にならない]という命題が真である場合に、その裏の
[自分の意思で犯行を行った → 罪になる]も真であると考えているようにみえる。
むろんそれは正しくない。
対偶の
[罪になる → 自分の意思で犯行を行った]というのは真だが、
[自分の意思で犯行を行った → 罪になる]は真であるとは限らない。

強い思い込みや強いこだわりはアスペルガー症候群の典型的な症状であり、アスペルガーであるがために被告は(この裁判の裁判官や裁判員が理解できない理由で)姉に対し恨みをもち、殺人に至るまでにその恨みを強めてしまった。

つまり、[病気である → 自分の意思で犯行を犯した]のである。

これと「量刑の理由」の3の最後の部分がいう
[自分の意思で犯行を犯した → 病気は減刑の理由にならない]とを合わせると
[病気である → 病気は減刑の理由にならない]となってしまう。

つまりこの判決は「病気である。ゆえに、病気は減刑の理由にならない」と言っているのに等しい。

もちろんこの命題には全く意味がない。

もし、自分の意思で犯行を行ったため「したがって」量刑上大きく考慮すべきでない、と結論づけるのであれば、「したがって」の一言でごまかしてしまわないで、なぜそうなのかを示すべきだろう。

おそらくこの裁判官および裁判員は、精神疾患といえば自分の意思を超えて異常行動をするものだと思い込んでいる。アスペルガー患者は一見健常人と同じように見えるが、病気であるがゆえに健常人とは異なる意思を形成してしまうのだということを理解していない。

アスペルガー症候群の人は、一見すると普通の人であるがために、周囲から病気とみなされず、それがために「おかしな人」「変わった人」と扱われて、社会において非常につらい思いをする。この判決はまさにその構図に陥っている。

アスペルガー症候群に対する無理解が背景にある。

長くなったので続きは別途


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2012年08月02日

ロンドンオリンピック バドミントン失格問題

ロンドン・オリンピック・バドミントン女子ダブルスで中国・韓国選手らが“無気力”試合をしたという問題について、最初ウェブでみた時は「厳重注意がなされた」と書いてあり、まあ妥当だな、と思っていたが、今朝テレビのワイドショーを見ていたら「全員失格となった」と報じており、驚いた。

メダルをとることが目標となっている以上、一部の試合で負ければ上位に行ける可能性がより高まるのであれば、一部の試合で負けを選択することは戦略としか言いようがない。

野球で一塁が空いている時に敬遠の四球で塁を埋めるのと同じである。この失格を妥当だという人は、敬遠の四球もフェアプレーに反するから認められないと主張しなくてはいけない。

と、僕は思うのだが、人によって考え方は違うもので、わざと負ける行為はやはり認めるべきではないという人もいるだろう。

でも、人によって意見が分かれるのであれば、事前にどういう考え方をとることにするのか示しておくべきだったと思う。事件が発生したあとで、人によって考え方が分かれるにもかかわらず、片方の考え方を一方的に採用するというのは問題である。「疑わしきは罰せず」である。「法の不遡及」である。あらかじめ法が定められておらず判断が難しいのであれば、無罪とすべきだ。

反省すべきであり、かつ非難されるべきは、そういう行為が発生する仕組みを作った運営側なのではないか。仕組みをつくった側が悪いのか、選手側が悪いのか、第三者が判断すべきだろう。すくなくとも言えるのは、そういう欠陥のある仕組みをつくった本人(世界バドミントン連盟)が、処分を下すというのはおかしい。

と、おかしいことがいっぱいあるのだが、一番おかしいと思ったのは朝のワイドショーである。アナウンサーも複数いるコメンテイターも、一人として問題提議をしない。みな口を揃えて選手たちを非難していた。なでしこジャパンの対南アフリカ戦のドローも全く同じ問題だと思うが、それと関連させて論じる人もいない。

とってもおかしい。
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