2019年04月15日

長奶夫人??

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主人公花蓮のモデルである瓦氏夫人について、なにしろ500年前を生きた人なので、伝承や史料のなかには「ほんとかなぁ」と思ったり、「いやいやいや、そんなわけないでしょ」とツッコミたくなるものが結構ある。その一部は小説中になんとかリアリティが出るよう工夫して採用したけれども、バッサリと落としてしまったものも少なくない。

例えば「長奶夫人」、すなわち、瓦氏夫人は乳房が極端に長かったという伝承。騎馬で出撃するときに乳飲み子を背負い、背中の子が泣くと馬を駆ったままで乳房を出して乳をやったという話。これは伝承というより伝説もしくは神話といったほうがいいかな。瓦氏夫人には実子はなかったと思われ、あったとしても領主夫人なのだから乳母がいただろうし、そもそもゴムゴムの実でも飲まずに乳房がそんなに長くなるとは思えないし。中国の他の地域でもこの手の話が語り継がれているようだから、これは女性の武勇を表現するための形容詞のようなもので、500年の年月が流れるうちにいつのまにかに稀代の英雄瓦氏夫人にもあてはめられてしまったのだろう。

でも、非現実的というだけでなく、なんか美しくないので物語中には採用しなかった。

(つづく)

花の舞う海〜倭寇に勝った女の物語
(5月末にかけて連載中。7月頃まで無料公開予定)




posted by osono at 15:13 | 著作

2019年03月07日

花の舞う海〜倭寇に勝った女の物語

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本日よりアルファポリスにてペンネームで『花の舞う海〜倭寇に勝った女の物語』の連載を開始しました(5月末日まで毎日連載)。

16世紀の広西壮族のスーパーヒロイン瓦氏夫人をモデルとして描く大河小説、リアル『ムーラン』です。

ここ3年書き続けていたもので、大変苦労して書いたものなので果たしてこういう形で世に出すべきなのかどうか結構悩んだのですが、なにはともあれ読んでもらわなくてはしょうがないので、ウェブに載せてみることにしました。

ぜひみなさん、読んでみてください。

ウェブ掲載でありいくらでも修正できますので、誤字脱字はもちろん、「内容、こうしたほうがおもしろいんじゃない」といったご意見も大歓迎です。

5月にアルファポリスが主催する『第5回歴史・時代小説大賞』にこの作品でエントリーする予定です。みなさんの票が必要なようなので、5月になったらぜひお願いいたします!
posted by osono at 00:13 | 著作

2019年01月06日

トマム 4年ぶり

トマム。雲の向こうに太陽がうっすら見えていたのでゴーグル越しに日食を見ながらのスキーという希少体験!

トマムは4年ぶり。

4年前、施設の古さとレストランとエレベーターが混みすぎるのが嫌で「もう来ない」と誓い、3年前はルスツへ。

ルスツはウェスティンの部屋が、2階に寝室があるのにトイレが1階にしかない構造と、ホテルからスキーイン・スキーアウトできないのが嫌で「もう来ない」と心に決めて、2年前はキロロへ。

キロロのシェラトンは大変気に入り、「今後の定宿だ」と思ったのに去年再び行ったらサービスの劣化が著しくて(スタッフが外国人の研修生だらけ。シニアの日本人スタッフが横柄。ラウンジの撤廃等々。シェラトンのレビューを見ると星3つを切っていたので結構みんな不満みたい)、もう二度と行かないと心に決めた。

今年はニセコかなあと思っていたのだけど、ゲレンデから遠い上に、大したことがない宿がえらく高いのでやめて、結局トマムに戻った。

でもトマム、施設が古い、レストランやエレベーターが混みすぎ等々が不満。思えば4年前に思ったことばかりで、誓いを破った自分のせいだと気づく。

来年はどうしよう。ニセコにリッツカールトンがオープンするそうなので期待!

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posted by osono at 16:00 |

2018年12月17日

ショートショート(2)

引き続きペンネームでWeb小説サイトにショートショートを書いています。
脳のコピー&ペースト』 
KADOKAWA主催「カクヨムWeb小説短編賞」に本作品をエントリーしています。(ログインが必要となりうっとうしいかもしれませんが)リンク先で星を付けていただけると嬉しいです。
posted by osono at 23:08 | 著作

2018年11月08日

ショートショート

最近ペンネームでweb小説サイトにショートショートを掲載しています。

父から息子へ 時空を超えてつなぐ
(あらすじ)15年間会っていなかった親父が2ヶ月前に死んだことを知った。親父のPCを立ち上げると、そこにはぼくが生まれる一週間前から今に至るまでの家のなかの様子が映し出されていた。それらは録画ではなく、宇宙を旅してくる光が昔の姿をそのまま映し出す、いわば生放送だった。ぼくは時間旅行の旅に出て、親父のぼくに向けた想いを知る。そして親父の最後の日、親父がメッセージを伝えた……

究極の税制
(あらすじ)財政省の地下2階で密かに導入準備が進められている「包括税」。国民の銀行口座残高、病歴、勤務評定、電話やメールなどの全通信内容等を収集し、それらから算出される個々人の幸せの度合い=H指数をもとにして課税をおこなう新税だ。入省8年目の幸太郎は包括税部第一課で不幸な個々人にささやかな幸せを与える仕事を担った。続く第二課では、逆に個々人の幸せを削ぐ仕事を担当し、第三課では国民全体を幸せにする仕事を担う。次に配属されるであろう第四課では国民全体を不幸にする仕事を担わなくてはならないと気づき……

素顔のままで
(あらすじ)自分の顔が自動的に補正されて美しく写るプリクラが登場したのはずいぶんと昔のこと。その機能はあらゆるカメラに搭載され、ビデオカメラでも可能となり、鏡に映った姿までもが自動的に補正されるようになった。最近では窓ガラスにまで美しく映る機能が装備されるようになっている。このところ若い女性は、ディスプレイ越しならば理想の容姿となれるので、家族以外に素顔を晒すことを避けるようになった。街から女性がいなくなり、出会いがなくてうんざりしている僕は、ある日バーチャルな婚活パーティーに参加した……

posted by osono at 22:34 | 著作

2018年08月24日

フーバー研究所にて(2)〜1931年上海北駅宋子文・重光葵暗殺未遂事件について

Hoover Institutionにて。
蒋介石の日記は閲覧できるのはコピーのみなのだけれども、拙著『カレンシー・ウォー〜日中通貨戦争』で準主役級のArthur N Young の日記などは実物を読むことができる。

彼が使った紙に、彼が使ったインクで書かれた文字を読むことができるわけで、日記をめくってゆくと、なんだか彼の書斎でその日にあったできごとを直接語ってもらっているような気分になった。

例えば上海北駅で宋子文および重光葵暗殺未遂事件が発生した翌日の1931年7月24日の記述。

直訳すると、
「上海に午前11時に着き、かわいそうな腴臚(ユールー。宋子文の私設秘書)が死んだと知った。彼は並はずれていい人間で、かつ将来有望だった(32才)。そして、誰からも好かれた。

T.V(宋子文のこと)は同じ日の朝に母親の死の知らせを受けた。彼の気持ちは沈んだが、それをあまり態度には示さなかった。腴臚は自分を守るために盾になろうとしたのだろう、と彼はいい、もしそうでなかったならば、死んだのは彼のほうだっただろう、といった。Lynch(Young の同僚)が23日の午後に彼に会ったとき、彼は聖書を読んでいたらしい。彼は24日の朝に彼の母がいた青島へ発った」

1931年7月23日の重光葵・宋子文暗殺未遂事件については数々の謎とドラマがあった。拙著『上海ノース・ステーション』で詳しく述べたので、ご興味のあるかたはぜひ一読されたい。こちらも『小説集カレンシー・レボリューション』の収録作品。
posted by osono at 07:45 | 歴史(中国史・日中関係史)

2018年08月17日

フーバー研究所にて(1)〜1935年汪兆銘暗殺未遂事件について考えてみた

hooverpic.jpgここ数日フーバー研究所に通いつめて資料を読み漁っている。

フーバー研究所(Hoover Institution)はスタンフォード大学内にある公共シンクタンク。両世界大戦等に関する文書が大量に保存されている。例えば、蒋介石の日記。汪兆銘暗殺未遂事件があった1935年11月1日前後の記述など、実におもしろい。

汪兆銘暗殺未遂事件とは、国民党第四期中央執行委員会第六回大会(六中全会)開会式後の記念撮影で新聞記者として会場内にはいった暗殺者が汪兆銘行政院長(首相に相当)に対して発砲し汪兆銘が瀕死の重症をおった事件。このとき撮影の列の中央に汪兆銘と並んで立つはずだった蒋介石はなぜだかその場におらず、災いを免れた(暗殺者の本来の狙いは蒋介石だったとみられている)。蒋介石と汪兆銘は労働者の扱いや外交方針などでときに対立する政敵同士であり、事件の直後、人々は蒋介石を暗殺の黒幕として疑った。

蒋介石の日記には、暗殺未遂事件のまさに当日の1935年11月1日のところに記念撮影に出なかった理由が書かれている。意訳してみると、
(11月1日の)朝8時前に孫文の陵墓を詣でたときと六中全会開会式における(中央執行委員たちの)「礼節」や「秩序」が相変わらず「紛乱」しており「悲憤」に耐えなかった。

撮影場所に行こうと門から出たときに倭人(日本人のこと)に出くわし、自分が出てくるのを待ち構えてそこにいたようなので、気分が一層重くなった。

撮影場所に行くと「紛乱」した様子であり、心がさらに痛んだ。

党の同志連中は礼を知らず、秩序を守らない。国家を建設する能力を有さないことは一目瞭然だ。

11月1日のページにはここまで書かれている。蒋介石が使用しているのは定型の日記帳で1ページに1日分を記すようになっており、見開きの右側のページでは右側欄外、左側のページでは左側欄外に日付、天気、気温を書き込むようになっている(ついでながら各日のページの上欄外には世界の偉人の名言が一言ずつ印刷されている)。上記は見開き右側の11月1日のページの後半に書かれているのだが、以下は11月2日のページに、おそらく11月1日の場所に書ききれなくなったためにはみ出して、書かれている。
(中央執行委員たちがだらしないから)敵国に侮られ攻められ、友邦国に見くびられる結果となっている。

だから、「悲概」のためにひとり会議場に戻り撮影に参加しなかったのだ。

他の日の記述はその日にあったできごとを簡潔に記すだけのことが多く、翌日のページにはみ出しているこの日の記述は明らかに長い。蒋介石は、おそらく日記が将来他者に読まれるであろうことを意識しており(そのためだろう、あまり字を崩さず記されているので読むのに助かるのだが)、自分の無実を訴えるような気持ちでこの日の記述をしたのだと思う。

でも、党中央執行委員たちの「礼節」「秩序」の「紛乱」はそのときに始まったことではなく(蒋介石も「如故、犹未改正」(以前からそうであり、未だに改善されていない)と記している)、それが理由で撮影に参加しないというのは「自分のほうがよっぽど秩序を乱してますよ」とツッコミたくなるし、日本人を見かけただけで、そんなにも機嫌を壊すというのもよくわからない(ちなみにこのころは日中関係が比較的改善していた時期)。

説得力があるとは言い難い理由が長々と並んでいるのを読むと、却ってなんだか怪しいような印象を受けた。

ところで、このとき蒋介石が見かけた日本人というのはいったい誰なんだろう。おそらくは新聞記者だが、蒋介石が事件に関与していないのであれば、そのひとは蒋介石の命の恩人ということになる。もしその日本人がそこにいなかったならばその後の日中関係、もしくは日本の太平洋戦争へと続く歴史は変わっていたはず。

蒋介石はなぜ撮影現場にいなかったのか、蒋介石が出くわした日本人は何者か、この事件の直後に中国経済の革命というべき弊制改革が断行されるのだが、このタイミングの一致に深い意味はないのか、犯人は蒋介石を狙っていたはずなのになぜ汪兆銘を撃ったのか、そもそも犯人は誰なのか、などなど、1935年11月1日汪兆銘暗殺未遂事件をめぐってはもろもろの謎があるのだけれども、ぼくなりの謎解きを『カレンシー・レボリューション』でしているので、興味のあるかたはぜひ一読いただきたい。


posted by osono at 08:23 | 歴史(中国史・日中関係史)

2018年03月14日

傾国の美女とは〜宋慶齢記念館で見つけた一瞬の笑顔

『小説集カレンシー・レボリューション』収録の中編小説『ステーツマン』を電子書籍化するにあたり原稿を見直していて、

(宋慶齢の描き方、直そうかなぁ)

とふと思った。

abcde.jpg一昨年『ステーツマン』を書いていたとき、宋慶齢が(おそらく)十代前半の頃に家族と一緒に写っている写真(右の写真)を見て、慶齢(前列右)が姉の靄齢(前列左)や妹の美齢(後列右)に比べて圧倒的に可愛い、と思って、慶齢を傾国の美女に、姉靄齢はその美を羨んでいる、と物語中で設定した。で、いま読み返してみると、慶齢が登場するたびになんだか翳がある。慶齢の美しさを表すためには笑顔のシーンがあったほうがいいかも、と思ったのだけど、そういえば慶齢が笑っている写真って見たことがない。そこで、宋慶齢記念館に行って笑っている顔を確認してみることにした。

ところが、ない。一枚も、ない。少女の頃も晩年も笑っている顔が全然ない。特に孫文が死んでから数年の期間(≒ 年齢的にもっとも美しかった頃)はしかめっ面ばかり。笑って写真に写ってはいけないと思っていたのか。常にとても笑えないような気分だったのか。もともとほとんど笑わないひとだったのか。

なかば諦めつつ、1927年に武漢の左派国民党が蒋介石に破れて崩壊したあと、武漢を離れて上海を経由しモスクワにはいった慶齢の短いビデオが上映されていたのでそれを眺めていたら、

あっ、笑った!

一瞬だが笑っている顔が映っている。

それがこちら。

か、かわいい!

aa.jpg河北麻友子に似てる?

笑ったというより、はにかんでいるって感じかな。頬が痩けて見えるのは極度の心労と、長く経済封鎖されていた武漢は食料が不足していたためなのだろう。なんだか痛々しい。

ところで、笑わない美女といえば褒姒。周王朝をぶっ壊したひと。ぶっ壊したといっても、むろんそれを主導したわけではなく、彼女を好き過ぎた幽王が勝手に国を壊してしまったわけで、悪者に仕立てられた彼女は実はかわいそうなひと。

しかめっ面の美女といえば西施。彼女の顰に寄せた皺に呉王夫差は狂い、国を潰してしまった。

ほんとうに美しいひとは笑わなくたって美しい。そして、稀に見せる笑顔で悩殺し、男は悶死する。

慶齢についての模写を修文するのはやめた。


宋慶齢の美しさと悩みの深さを覗きみたいひとは、ぜひ『ステーツマン』を読んでみて。



82BF9B67-AE97-43BF-A775-283C937FB678.jpeg宋慶齢陵園内の宋慶齢記念館。虹橋からすぐなのに静かでかなりオススメ。内山完造の墓とかもある。






posted by osono at 00:20 | 著作

2018年02月15日

カレンシー・レボリューション〜エコノミストたちの挑戦

cres.jpg昨年刊行した『小説集カレンシー・レボリューション』の表題作に『エコノミストたちの挑戦』というサブタイトルを付けて電子書籍化しました。

単行本未読のかた、ぜひダウンロードしてみてください(Kindle Unlimitedでなら無料です)。

詳細はこちら↓
カレンシー・レボリューション〜エコノミストたちの挑戦
(立ち読みもできます)


posted by osono at 18:47 | 著作

2018年02月01日

ステーツマン〜宋子文1927刊行

sms.jpg昨年刊行した『小説集カレンシー・レボリューション』収録作品について、そのうち『上海ノース・ステーション』については以前から電子版があったのですが、他の2作品についても電子書籍化することとしました。

まず、『ステーツマン』電子版を刊行しました。

ステーツマン〜宋子文19271


Kindle版250円ですが、Kindle Unlimitedで無料で読むこともできます。

なお、本作品は以下のページで立ち読みできます。
  • 1段落目〜

  • 61段落目〜

  • 121段落目〜

  • 181段落目〜

  • 241段落目〜

  • 301段落目〜

  • 361段落目〜

  • 421段落目〜

  • 481段落目〜

  • 541段落目〜

  • 601段落目〜

  • 661段落目〜

  • 721段落目〜

  • 781段落目〜

  • 841段落目〜

  • 901段落目〜

  • posted by osono at 17:34 | 著作