2018年08月24日

フーバー研究所にて(2)〜1931年上海北駅宋子文・重光葵暗殺未遂事件について

Hoover Institutionにて。
蒋介石の日記は閲覧できるのはコピーのみなのだけれども、拙著『カレンシー・ウォー〜日中通貨戦争』で準主役級のArthur N Young の日記などは実物を読むことができる。

彼が使った紙に、彼が使ったインクで書かれた文字を読むことができるわけで、日記をめくってゆくと、なんだか彼の書斎でその日にあったできごとを直接語ってもらっているような気分になった。

例えば上海北駅で宋子文および重光葵暗殺未遂事件が発生した翌日の1931年7月24日の記述。

直訳すると、
「上海に午前11時に着き、かわいそうな腴臚(ユールー。宋子文の私設秘書)が死んだと知った。彼は並はずれていい人間で、かつ将来有望だった(32才)。そして、誰からも好かれた。

T.V(宋子文のこと)は同じ日の朝に母親の死の知らせを受けた。彼の気持ちは沈んだが、それをあまり態度には示さなかった。腴臚は自分を守るために盾になろうとしたのだろう、と彼はいい、もしそうでなかったならば、死んだのは彼のほうだっただろう、といった。Lynch(Young の同僚)が23日の午後に彼に会ったとき、彼は聖書を読んでいたらしい。彼は24日の朝に彼の母がいた青島へ発った」

1931年7月23日の重光葵・宋子文暗殺未遂事件については数々の謎とドラマがあった。拙著『上海ノース・ステーション』で詳しく述べたので、ご興味のあるかたはぜひ一読されたい。こちらも『小説集カレンシー・レボリューション』の収録作品。
【歴史(中国史・日中関係史)の最新記事】
posted by osono at 07:45 | 歴史(中国史・日中関係史)

2018年08月17日

フーバー研究所にて(1)〜1935年汪兆銘暗殺未遂事件について考えてみた

hooverpic.jpgここ数日フーバー研究所に通いつめて資料を読み漁っている。

フーバー研究所(Hoover Institution)はスタンフォード大学内にある公共シンクタンク。両世界大戦等に関する文書が大量に保存されている。例えば、蒋介石の日記。汪兆銘暗殺未遂事件があった1935年11月1日前後の記述など、実におもしろい。

汪兆銘暗殺未遂事件とは、国民党第四期中央執行委員会第六回大会(六中全会)開会式後の記念撮影で新聞記者として会場内にはいった暗殺者が汪兆銘行政院長(首相に相当)に対して発砲し汪兆銘が瀕死の重症をおった事件。このとき撮影の列の中央に汪兆銘と並んで立つはずだった蒋介石はなぜだかその場におらず、災いを免れた(暗殺者の本来の狙いは蒋介石だったとみられている)。蒋介石と汪兆銘は労働者の扱いや外交方針などでときに対立する政敵同士であり、事件の直後、人々は蒋介石を暗殺の黒幕として疑った。

蒋介石の日記には、暗殺未遂事件のまさに当日の1935年11月1日のところに記念撮影に出なかった理由が書かれている。意訳してみると、
(11月1日の)朝8時前に孫文の陵墓を詣でたときと六中全会開会式における(中央執行委員たちの)「礼節」や「秩序」が相変わらず「紛乱」しており「悲憤」に耐えなかった。

撮影場所に行こうと門から出たときに倭人(日本人のこと)に出くわし、自分が出てくるのを待ち構えてそこにいたようなので、気分が一層重くなった。

撮影場所に行くと「紛乱」した様子であり、心がさらに痛んだ。

党の同志連中は礼を知らず、秩序を守らない。国家を建設する能力を有さないことは一目瞭然だ。

11月1日のページにはここまで書かれている。蒋介石が使用しているのは定型の日記帳で1ページに1日分を記すようになっており、見開きの右側のページでは右側欄外、左側のページでは左側欄外に日付、天気、気温を書き込むようになっている(ついでながら各日のページの上欄外には世界の偉人の名言が一言ずつ印刷されている)。上記は見開き右側の11月1日のページの後半に書かれているのだが、以下は11月2日のページに、おそらく11月1日の場所に書ききれなくなったためにはみ出して、書かれている。
(中央執行委員たちがだらしないから)敵国に侮られ攻められ、友邦国に見くびられる結果となっている。

だから、「悲概」のためにひとり会議場に戻り撮影に参加しなかったのだ。

他の日の記述はその日にあったできごとを簡潔に記すだけのことが多く、翌日のページにはみ出しているこの日の記述は明らかに長い。蒋介石は、おそらく日記が将来他者に読まれるであろうことを意識しており(そのためだろう、あまり字を崩さず記されているので読むのに助かるのだが)、自分の無実を訴えるような気持ちでこの日の記述をしたのだと思う。

でも、党中央執行委員たちの「礼節」「秩序」の「紛乱」はそのときに始まったことではなく(蒋介石も「如故、犹未改正」(以前からそうであり、未だに改善されていない)と記している)、それが理由で撮影に参加しないというのは「自分のほうがよっぽど秩序を乱してますよ」とツッコミたくなるし、日本人を見かけただけで、そんなにも機嫌を壊すというのもよくわからない(ちなみにこのころは日中関係が比較的改善していた時期)。

説得力があるとは言い難い理由が長々と並んでいるのを読むと、却ってなんだか怪しいような印象を受けた。

ところで、このとき蒋介石が見かけた日本人というのはいったい誰なんだろう。おそらくは新聞記者だが、蒋介石が事件に関与していないのであれば、そのひとは蒋介石の命の恩人ということになる。もしその日本人がそこにいなかったならばその後の日中関係、もしくは日本の太平洋戦争へと続く歴史は変わっていたはず。

蒋介石はなぜ撮影現場にいなかったのか、蒋介石が出くわした日本人は何者か、この事件の直後に中国経済の革命というべき弊制改革が断行されるのだが、このタイミングの一致に深い意味はないのか、犯人は蒋介石を狙っていたはずなのになぜ汪兆銘を撃ったのか、そもそも犯人は誰なのか、などなど、1935年11月1日汪兆銘暗殺未遂事件をめぐってはもろもろの謎があるのだけれども、ぼくなりの謎解きを『カレンシー・レボリューション』でしているので、興味のあるかたはぜひ一読いただきたい。


posted by osono at 08:23 | 歴史(中国史・日中関係史)

2018年08月03日

歪められた株式市場

去る7月13日の金曜日。呪われたのは証券市場だった。

いわゆる「NT倍率」が13倍を超えた。NT倍率とは日経平均株価をTOPIX(東証株価指数)で割った数字のこと。ここ数ヶ月じりじりと上昇傾向にあったのだが、この日ついに不吉な大台13に乗せ、そのまま上昇を続けて一時13.06をも超えた(通常NT倍率は日に0.01程度しか動かない)。NT倍率が13倍台となったのは2000年に日経平均株価構成銘柄の大幅入れ替えがあったとき以降で初めてのことで、マーケット関係者たちは、「くわばら、くわばら」とは言わなかったが、「異常値、異常値」と祟りを避ける呪文のように唱えた。

NT倍率の分母であるTOPIXは東証1部全上場銘柄の流動株の時価総額による加重平均で算出され、ゆえに日本経済の状態をよく示す指標といわれる。一方で、分子の日経平均株価は日本経済新聞社が選んだ225銘柄の株価の単純平均をベースにしているので、株価の数字が大きい銘柄の動きに左右されてしまう。日経平均株価への影響度が最もかつ圧倒的に大きいのは株価が5万円代のファーストリテイリングで、7月13日に同社株価は3,420円上昇し、日経平均株価409.39円上昇のうちの実に127円を同社一社が引き上げた。

NT倍率が大きすぎるのは日経平均株価が高すぎるからであり、日経平均株価が高すぎるのはファーストリテイリング 株が高すぎるから、と言っても言い過ぎではないだろう。

ファーストリテイリングのPER(株価収益率。株価を1株当たり純利益で割った数値)は40倍を超え、東証1部平均の約3倍にもなる。同社は成長を続けているので市場平均より高めのPERが付くことはおかしくないのだが、H&MのPERは20倍弱であり、ZARAが27倍程度であることを考えれば、40倍を超えるというのはやっぱり高すぎるようにみえる。

なぜファーストリテイリング 株は高いのか。

いくつかの理由が考えられるのだが、そのうちのひとつが海外投資家による日経225先物買いだ。海外投資家が日本の株を急いでたくさん買おうと思うとき、とりあえず流動性の高い日経225先物を買う。日経225先物が買われれば裁定が働いて日経平均株価構成銘柄の価格が上がり、なかでもファーストリテイリング など日経平均株価への影響度の高い銘柄が特に上昇する。

とはいえ、海外投資家は米朝関係や米中関係の動向などにより4、5月は日本株売り越し傾向にあったし、中長期的にいえば海外投資家は買うときもあれば売るときもあるので、ファーストリテイリング 株が恒常的に高い根本原因とは思われない。

投機的な海外ヘッジファンドが日経平均株価を操作するためにファーストリテイリング 株価を吊り上げていると考える人は少なくない。確かにそういう動きはあるようで、2013年末にNT倍率が急騰したときには海外ヘッジファンドが派手に相場を操作したと言われている。ただし、今回のNT倍率急騰局面では2013年末ほどのはっきりとした動きは認められないようで、また、ファーストリテイリング株を買って日経平均株価を引き上げ利益を得る場合があるのならば、逆にファーストリテイリング 株を売って日経平均株価を引き下げ利益を得る場合もあるだろうから、これも向上的なファーストリテイリング 株高の説明としては弱いように思える。

昨今注目されているのが日銀によるETF(上場投資信託)買い入れだ。日銀は金融緩和の手段のひとつとして年間6兆円のETFを買い入れている。2016年夏までは日経平均株価に連動するETF買い入れが全買い入れ額の半分を超え、「それでは日銀が日経平均株価採用銘柄を優遇し、日経平均株価を吊り上げていることになる」との批判を受けて、買い入れ比率を4分の1程度に落としている(後日注:7月31日にその比率はさらに引き下げられるとの発表がなされた)。

日銀がETF購入を通じ日経平均株価採用銘柄の購入を続けてきた結果、日経平均株価採用銘柄の日銀の保有割合が高まり流通株(創業者一族保有株などを除いた市場で取引に付される株式)比率が大きく下がっている。ファーストリテイリング については。実質的に全発行株式の数%しか流通しておらず、まもなくほぼゼロ%になると考えられる。株券を借りての売りがあるので売り手がゼロになることはなかろうが、株券を借りるには貸株料を支払わなければならないので、売りの側は控えめとならざるを得ない。

日銀は日経平均株価連動型ETF購入を早急にやめなければならない。
(後日注:7月31日にその比率は日経平均株価連動型ETF購入比率を引き下げるとの発表がなされたものの、その比率をゼロとすべきだった。発表の前後にNT倍率は12.75倍まで低下したが、3日後には再び12.9倍を超えている)

このことは疑いようもないことなので、日銀だって分かっている。それなのになぜそうしないのか。

2016年夏にETF購入のルールを変更し、それを再び変更すれば2016年夏の変更は失敗だったと認めることになるのを恐れているのだろうか。中央銀行たるもの、おいそれと一度決めた政策を変更してはいけないと思っているのか。

誤りは誤りと早急に認めたほうがいい。この呪いは、日本経済を着実に蝕んでいく。

posted by osono at 14:29 | おかしいと思うこと

2018年03月14日

傾国の美女とは〜宋慶齢記念館で見つけた一瞬の笑顔

『小説集カレンシー・レボリューション』収録の中編小説『ステーツマン』を電子書籍化するにあたり原稿を見直していて、

(宋慶齢の描き方、直そうかなぁ)

とふと思った。

abcde.jpg一昨年『ステーツマン』を書いていたとき、宋慶齢が(おそらく)十代前半の頃に家族と一緒に写っている写真(右の写真)を見て、慶齢(前列右)が姉の靄齢(前列左)や妹の美齢(後列右)に比べて圧倒的に可愛い、と思って、慶齢を傾国の美女に、姉靄齢はその美を羨んでいる、と物語中で設定した。で、いま読み返してみると、慶齢が登場するたびになんだか翳がある。慶齢の美しさを表すためには笑顔のシーンがあったほうがいいかも、と思ったのだけど、そういえば慶齢が笑っている写真って見たことがない。そこで、宋慶齢記念館に行って笑っている顔を確認してみることにした。

ところが、ない。一枚も、ない。少女の頃も晩年も笑っている顔が全然ない。特に孫文が死んでから数年の期間(≒ 年齢的にもっとも美しかった頃)はしかめっ面ばかり。笑って写真に写ってはいけないと思っていたのか。常にとても笑えないような気分だったのか。もともとほとんど笑わないひとだったのか。

なかば諦めつつ、1927年に武漢の左派国民党が蒋介石に破れて崩壊したあと、武漢を離れて上海を経由しモスクワにはいった慶齢の短いビデオが上映されていたのでそれを眺めていたら、

あっ、笑った!

一瞬だが笑っている顔が映っている。

それがこちら。

か、かわいい!

aa.jpg河北麻友子に似てる?

笑ったというより、はにかんでいるって感じかな。頬が痩けて見えるのは極度の心労と、長く経済封鎖されていた武漢は食料が不足していたためなのだろう。なんだか痛々しい。

ところで、笑わない美女といえば褒姒。周王朝をぶっ壊したひと。ぶっ壊したといっても、むろんそれを主導したわけではなく、彼女を好き過ぎた幽王が勝手に国を壊してしまったわけで、悪者に仕立てられた彼女は実はかわいそうなひと。

しかめっ面の美女といえば西施。彼女の顰に寄せた皺に呉王夫差は狂い、国を潰してしまった。

ほんとうに美しいひとは笑わなくたって美しい。そして、稀に見せる笑顔で悩殺し、男は悶死する。

慶齢についての模写を修文するのはやめた。


宋慶齢の美しさと悩みの深さを覗きみたいひとは、ぜひ『ステーツマン』を読んでみて。



82BF9B67-AE97-43BF-A775-283C937FB678.jpeg宋慶齢陵園内の宋慶齢記念館。虹橋からすぐなのに静かでかなりオススメ。内山完造の墓とかもある。






posted by osono at 00:20 | 著作

2018年02月15日

カレンシー・レボリューション〜エコノミストたちの挑戦

cres.jpg昨年刊行した『小説集カレンシー・レボリューション』の表題作に『エコノミストたちの挑戦』というサブタイトルを付けて電子書籍化しました。

単行本未読のかた、ぜひダウンロードしてみてください(Kindle Unlimitedでなら無料です)。

詳細はこちら↓
カレンシー・レボリューション〜エコノミストたちの挑戦
(立ち読みもできます)


posted by osono at 18:47 | 著作

2018年02月01日

ステーツマン〜宋子文1927刊行

sms.jpg昨年刊行した『小説集カレンシー・レボリューション』収録作品について、そのうち『上海ノース・ステーション』については以前から電子版があったのですが、他の2作品についても電子書籍化することとしました。

まず、『ステーツマン』電子版を刊行しました。

ステーツマン〜宋子文19271


Kindle版250円ですが、Kindle Unlimitedで無料で読むこともできます。

なお、本作品は以下のページで立ち読みできます。
  • 1段落目〜

  • 61段落目〜

  • 121段落目〜

  • 181段落目〜

  • 241段落目〜

  • 301段落目〜

  • 361段落目〜

  • 421段落目〜

  • 481段落目〜

  • 541段落目〜

  • 601段落目〜

  • 661段落目〜

  • 721段落目〜

  • 781段落目〜

  • 841段落目〜

  • 901段落目〜

  • posted by osono at 17:34 | 著作

    2017年12月31日

    SSF(ソーシャル・サイエンス・フィクション)ショートショート連載

    東洋経済オンラインにて、ホリディ企画ということで、大晦日まで毎日一本ずつショートショートを連載させてもらえることとなりました。

    第1回目は2017年12月28日掲載。シェアリング・エコノミーを題材にした男女の恋の?物語
    【あらすじ】各種シェアリング・サービスを利用する百貨店店員のメイ。望みは一刻も早く金持ちの男をつかまえ生活の苦境を脱すること。カツタは悠々自適の資産家で、とあることからカープールを利用し、メイと出会った。カツタは一目でメイに引かれ、なんとしてでも彼女の心をつかもうとする。カツタはメイに結婚を申し込み、メイは承諾しかけたのだが……。

    第2回目は2017年12月29日掲載。法定デジタル通貨について
    【あらすじ】政府・日銀は法定デジタル通貨eエンを導入し、日銀券は強制通用力を失った。1年間のeエンと円との等価交換期間が終了した。eエン導入により損を被った元相場師と元銀行員、振り込め詐欺師の3人は、日銀券は今後も使われ続け、その価値が上がっていくと予想し、日銀券の買い仕掛けを開始する。思惑どおり円の対eエン価格は上昇するのだが・・・。

    第3回目は2017年12月30日掲載。ベーシック・インカムについて
    【あらすじ】ベーシック・インカムが導入され、国民であれば誰でも1人10万エンが支給されることになった。懸念された財源問題は税制の調整とヘリコプター・マネーにより解決された。小説家を目指す僕は、もうカネのために働く必要はないと喜び会社を辞めて作家業に専念したが、思うように筆が進まない。一方で妻は次から次へと習い事を始め、家計は危機に……。

    第4回目は2017年12月31日掲載。テーマは理想の税制
    【あらすじ】理想の税制を導入するという夢を果たせず世を去った父は、その想いを手紙にしたため4人の子どもたちに託した。子どもたちはそれぞれ父から与えられた大掛かりな計画を実行してゆく……理想の税制への思いは時空を超えて……

    posted by osono at 17:47 | 著作

    2017年10月31日

    近代中国の通貨制度

    拙著『カレンシー・レボリューション』の原稿を校正しているとき、1920年代の中国通貨制度についての記述をバサっと落とした。物語が冗長になってしまうと思ったためなのだけれども、結構調べたのに捨ててしまうには惜しい気もするので、それをもとにして、近代中国通貨制度についてまとめて以下に記しておく。

    1920年ころの中国では、銀貨、銅貨、紙幣が並行して使用され、そのうえ銀貨には両と圓、二種類の系統があり、紙幣は中央政府、地方政府、各種金融機関がほとんど規制を受けずに発行していた。

    1.銀貨

    (1)銀両

    両は本来重さの単位であり、1両は同じく重さの単位である1斤の16分の1(現代の中国においては1両は1斤の10分の1)で、グラム換算では約37.3グラム。通貨の単位として両を使う場合、例えば、ある物品が約37.3グラムの銀塊と等価値である場合にその物品の金額は1両となる。すなわち銀両は「秤量貨幣」(ひょうりょうかへい。使用する際に重さや品質をはかって用いる貨幣)の単位。

    取引に使用される銀塊は馬蹄形のものが一般的で、「銀錠」、「元寶」、欧米人には「sycee(細絲)」、日本人には「馬蹄銀」などと呼ばれた。

    鋳造は中央政府ではなく、多数の民間業者によって行われていたので、形状も重量も品位(銀の含有量)も様々だった。清代においては、その最後の十数年間を除いて、銀両が本位通貨の地位にあったが、形状が携帯に適さず、品位にばらつきがあり、計量や計算に手間がかかる等の欠陥があった。

    (2)銀圓

    銀圓は「計数貨幣」(けいすうかへい。一定の重さと品質を持ち、使用の際に個数を数えるだけで用いることができる貨幣)の単位。1圓銀貨は一般的に「大洋」と呼ばれた。

    大航海時代以降、ヨーロッパと中国の経済交流が深まるにつれ、海外の銀貨が中国に流入し、それらは銀錠と同様に秤量貨幣として使用された。外国銀貨は銀錠と異なり円形で使用しやすいこともあり、複数種類のものが普及したが、なかでも広く使用されたのが8レアル銀貨だった。8レアル銀貨は16世紀にスペインが、その植民地であり銀産国であるメキシコで鋳造を開始したもので、国際貿易において広く使用され、中国にも大量に流入していた。

    清末に至り、自国鋳造の円形銀貨を発行すべきとの上奏が相次ぎ、1887年、両広総督(広東・広西両省の民政・軍政を統括する地方長官)張之洞の上奏が聴許され、「光緒元寶」が発行された。8レアル銀貨1枚が0.72両と等価だったので、光緒元寶1枚も0.72両となるよう鋳造された。すなわち1圓は0.72両と等価だった。その後、他の地方政府も銀貨発行を続々と手掛けるのだが、いずれも表面に光緒元寶と刻まれ1圓0.72両のレートが踏襲されたものの、各地でばらばらに鋳造がなされたため重量や品位にばらつきがあり、流通には計量が必要なときもあり、計数貨幣としての機能を完全に有しているとは言えなかった。

    辛亥革命後の1914年、袁世凱政権下で「国弊条例」が定められ、ようやく形状・重量・品位の均一な銀貨が発行されることとなった(国弊条例で定められた計算方法によれば、1圓は純銀約23.98グラムと等価となる)。統一銀貨は広範に流通するようになり、本位通貨の地位も銀両から銀圓に移っていくが、契約書の建値や振替決済による取引などにおいて引き続き銀両も使われた。


    (3)角

    圓銀貨は一般的に「大洋」と呼ばれたが、それに対して少額銀貨は「小洋」と呼ばれた。単位は角である。張之洞は圓銀貨と同様に光緒元寶と表記した角銀貨を鋳造・発行した。

    国弊条例のもとでは1角、2角、5角の3種が発行された。本来角は圓の10分の1を示す通貨単位だが、大洋の銀含有率が90%前後であったのに対し、小洋の銀含有率は70%程度と大きく品位が劣ったので、やがて1角は0.1圓以下の価値となり、圓と角との間で交換レートが建てられるようになった。つまり圓と角とは本位通貨と補助通貨の関係というより、あたかも異なる通貨間の関係のようになってしまうのである。

    2.銅貨

    以上は銀系の通貨だが、銅貨も広く流通していた。一般的に「制銭」と呼ばれる銅貨の単位は「文」で、1000文が1両に相当するとされた。清末になり制銭が不足がちとなり、円形無孔の新銅貨、「光緒通寶」が発行された。その表面には当初は100枚が1圓に相当する旨が刻まれ、銀圓の100分の1の価値の補助通貨であることが明示されたが、のちには、1枚は制銭10文に相当すると刻まれるようになり、銀圓の補助通貨という位置づけが曖昧になってしまった。銀貨と同様に各地方政府がばらばらに鋳造したため品質は一定しておらず、また、需給に従って銀圓との相対価格は大きく変動した。

    3.紙幣

    紙幣の状況も鋳貨に劣らず複雑である。

    (1)外国銀行による紙幣発行

    1850年前後より外国銀行の進出が相次いだが、これら外国銀行が活発に紙幣の発行を行った。外国銀行は治外法権の地位を有しているので、本国政府の監督に服するものの、中国の政府により規制されることなく勝手に紙幣を発行したのである。銀両建てで発行するものもあれば銀圓建てで発行するものもあり、その両方を発行する銀行もあった。それらのほとんどは銀系通貨だが、日本統治下の朝鮮の中央銀行である朝鮮銀行が発行した紙幣は金兌換券であった。その背景には、日本が中国東北地方への経済進出を深めていく中で、銀系紙幣よりも、日本円と同じ金系紙幣のほうが使い勝手がよかったいいということがある。

    (2)民族系銀行による紙幣発行

    1900年代に入ると、外国銀行に倣って民族系の商業銀行が相次いで設立され、それぞれが銀行券を発行した。また、伝統的な金融機関も発券を行うようになる。清朝が倒れ、ようやく紙幣発券規制が開始されるが、関連法令はほとんど順守されなかった。

    (3)公的機関による紙幣発行

    公的機関による紙幣発行については、各地方政府による発券が1900年前後より積極的に行われるようになった。各地方政府の発券機関は省銀行または官銀號などと呼ばれ、銀両建て、銀圓建て等各種紙幣を発行した。1904年には清政府が半額出資する戸部銀行が設立され、銀両建てと銀圓建ての紙幣が発行された。すなわち近代以降における中央政府による初めての紙幣発行である。戸部銀行は1908年に大清銀行と改称され、発行量を増やしていく。また清政府は1908年に交通銀行を設立し、銀圓建て紙幣を発行させた。辛亥革命後、大清銀行は中国銀行に改組され、交通銀行とともに発券業務が続けられるが、両行ともに兌換を義務付けられておらず、発行準備についての規制もなく、またそもそも、両行の銀行券発行の主目的は財政需要を賄うことにあったので、必然的に紙幣が乱発されるに至った。中央・地方政府発行の紙幣は、銀行券というよりも、財政資金調達のための、政府証券というべきものであった。

    4.総括すると

    以上のように、宋子文が広州の中央銀行行長に就任した1920年代半ばの時点では、中国の通貨制度は極めて乱雑な状態にあった。物価安定のために通貨発行量をコントロールするようなことはできず、各通貨間での両替にかかる手間は国民経済に大きな負担をかけていた。清朝は通貨制度が経済の根幹を成すなどという考えは全くもっていなかった。制度の整備を図ろうという意思はほとんどなく、通貨の発行は、それをやりたいものが勝手にやればいいというのが基本的な姿勢だったのである。通貨制度の混乱は、清朝が倒れて十数年が経っても大して改善されなかった。

    複雑な当時の政治経済情勢や、その後の中国幣制改革についてさらに知りたいかたは、拙著『小説集 カレンシー・レボリューション』をぜひご一読いただきたい。

    posted by osono at 00:00 | 中国経済

    2017年10月27日

    簡単!会社の目的変更登記

    48FE5E63-26F1-4485-9CAC-4C4A5A6BBC8E.jpeg会社の登記上の目的に出版関連を加えるため、目的変更等の登記をやってみた。

    思いのほかに簡単でびっくり。

    「ひとりでできるもん」という、怪しげな名称だけでもかなりしっかりしたウェブサイトで書類を作成。簡単、簡単。かかった時間は15分くらいかな。まあ、ウェブ上でシステムが吐き出す書類の作成で5400円かかるというのは高過ぎる感じもするけれども、専門家に依頼することを考えればずうっと安い。AIの発展で諸々の仕事がAIに置き換わるというけれども、まっさきにそうなるのは行政書士とか税理士とかだろうなぁ、と改めて思った。

    車で子供を学校に送ったあと、そのまま法務局世田谷出張所へ。

    つい最近移転したそうで、非常にきれいな建物。無料の地下駐車場もあってたいへん便利(法務局世田谷出張所は世田谷線沿いにあって電車で行くにはとっても不便なのだけれども、駐車場がこれほどに便利ならば問題なし)。

    8時30分の始業とともに行ったためかガラガラで、8時38分には手続きを終えて法務局を出た。はやっ!

    受付の女性も親切で、満足したので誰かに言いたくてここに書いてみた。

    posted by osono at 10:05 | へえ〜 そうなんだぁ

    2017年05月09日

    「小説集 カレンシー・レボリューション」上梓!

    しばらくぶりの新作「小説集 カレンシー・レボリューション」刊行です。

    詳細はこちらへどうぞ↓
    http://www.ozcapital.jp/pub/cr/

    (アマゾン https://www.amazon.co.jp/dp/4434232630/ では明日5月10日から先行販売されます)

    posted by osono at 22:07 | 著作